=RPGシチュエーション・ラブ= 職業別の恋愛噺いろいろ
04:護衛騎士×姫
「あら、嫌だわ。
また落としちゃった」
落し物は、様々。
王室付きの教師へ教わりに行った帰りには、ペンやノート。
楽器の稽古帰りには、楽譜。
舞踏会の帰りには、装飾品や出席者リスト。
ぽとぽと、ぽろぽろ。
様々なものを落としていく。
落し物をすれば、立ち止るしかない。
「拾ってくださる?」
私が立ち止まれば、後ろに控える護衛騎士も同様に。
「そそっかしいですね、姫様」
立ち止まり、落し物を拾い上げ、渡してくれる。
柔らかな木漏れ日。庭の草葉の匂い。
短いやりとり。
ほんの少しの時間だけ、帰り道は滞る。
落し物を渡すそのときさえ、直接私の手には触れないように、慎重に。
生真面目な彼は跪き、落し物を差し出した。
どんな小さなものでも、物ごしにしか触れない。
私も、小さなそれを慎重に摘み上げた。
彼が拾ってくれたものを取り落とさないよう、慎重に。
けして触れ合わないが、そのときだけ、まっすぐに目が合った。
***
「落としちゃった」
そう最初に言ったのは、いつだったか。
霞んで思える、子供の時分。
最初の落し物は、ぬいぐるみだった。
子供の私は、護衛としてつけられた男に興味津々だった。
護衛対象である私に素っ気ない、彼。
今思えば、彼も若く、騎士になりたてで緊張していたのだろう。
王族の姫君の護衛となれば、幼子相手といえども責任は重大だ。
しかし、当の子供にとっては知ったことではない。
話かけてもろくに相手にしてくれない『お兄さん』に、拗ねていた。
だから、最初は悪戯心。
「拾ってよ」
「……分かりました。
はい、姫君」
彼は今も昔も生真面目で、子供相手でも態度を崩さない。
落としたぬいぐるみは、恭しく差し出された。
(むう……)
当然、子供にとっては不満だ。
(拾うだけじゃなく、構ってよ)
護衛役は、そうそう変わることはないと聞く。
私が不満を言わず、望めば、そのままだ。
つまり、彼とは長い付き合いになる。
常に見守り、行き帰りを送ってくれ、付けられた教師のように教科ごとに変わったりもしない。
そんな人は初めて。
出来れば、仲良くしたい。
王族というのは、政務ばかりで家族ともろくに会えないのだ。
「…………」
受け取ったぬいぐるみを、ぽいっとまた芝生に放る。
「……姫?」
「また落としちゃった」
(拾ってよ)
じっと見ると、彼もまたじっと私を見返した。
(呆れた?
ワガママなお姫様だって、軽蔑する?)
じいいっと、見合う。
十にも満たない子供と、立派な体格の二十代男性。
ある程度年齢が近いところから選ばれたのだろうが、王族の護衛になれることからして相当に優秀なはず。
護衛でなければ、兵士長か教官、役職持ちになっていたかもしれない。
互いに巡りあわせがなければ、対面することもなかったであろう二人。
「…………」
「……そそっかしい姫君だ」
ほんの少し、言葉遣いを崩して。
ほんの少し……、彼は微笑んだ。
「!」
その反応が、少しどころではなく、嬉しくて。
「ふふ、またまた落としちゃった」
また、落として。
「ねえ、拾って」
拾ってもらっては、落として。
「拾って、拾って」
追いかけっこのように、遊んでもらった。
もちろん、体裁上は騎士として落し物を拾っただけ。
真面目くさって、彼は拾うたび、丁寧に差し出した。
「あまり落としては、ぬいぐるみさんが可哀想ですよ」
(ぬいぐるみさん……?)
幼い女の子に合わせて、彼は可愛い言葉を使ってくれた。
子供の目線に合わせて、しゃがんでくれて……。
まっすぐに、見てくれた。
大柄で、屈強な……騎士というより戦士のような彼。
私が成長した後も考慮されて、いわゆる乙女の夢見るような王子様イメージの『騎士』は人選から避けたのだろう。
だが、彼はまさしく騎士だった。
「どうせ落とすのなら、布地でないものになさいませ。
……いくらでも、拾わせていただきますから」
そう言ってくれた彼は、孤独な女の子にとって、輝けるナイト。
「ありがとう!
さすが、私の護衛騎士ね!」
***
「ついに、お輿入れですね」
「いつのまにか、大人になられて……。
どうか、お幸せに」
口々に贈られる言葉。
悪気はないとは、分かっているけど。
「幸せに……、ね。
なれるはずないと分かっていながら……。
白々しいことを言うものだわ」
「そういう姫様は、手厳しいことをおっしゃる」
私が落としたペンを拾い上げ、彼は苦笑した。
いつものように差し出され、いつものように受け取る。
指先ひとつ、触れ合うこともなく。
いつものように。
「私、あなたのお嫁さんになるのだと思っていたわ」
今日で最後。
明日、私は旅立つ。
遠い国に嫁いでいく。
自分より父の年齢に近い、軍事大国の君主の三番目の后になるため、生まれ故郷のこの国を出るのだ。
「子供だったけど、本気で思っていたの」
子供の私は、当然のように思っていた。
大好きなこの国に生まれ育ち、国民を愛し、好きな人が出来て、愛し愛されて、ずっとずっと。
(子供だったから、本気で思っていたの)
「…………」
次にノートを落とし、楽譜を落とし、ペンダントを落とし、ブローチを落とし、本にリストに。
そそっかしい私は、様々なものを落としていく。
彼は黙々と拾い、差し出してくれた。
今日は、習い事も稽古も社交場へ行く用事もない。
護衛たる彼も、もちろん私も分かった上で落とし、拾う。
これまで落とした、様々なもの。
これまで拾ってもらった、様々な思い出。
巻き戻すように、落としていく。
ぬいぐるみを拾ったとき、彼は目を合わせなかった。
「あなたを攫って、逃げてしまいましょうか」
優しい人。
愛しい人だ。
彼は、この年になるまで見合いも受けず、結婚もせずにきてくれた。
愛しい人の……、なんと甘美な誘いだろう。
愛し愛されて、ずっとずっと。
孤独な女の子にとって、輝けるナイト。
夢を、叶えてくれる。
そんな優しい騎士の言葉を、王女の口調で切り捨てた。
「出来もしないことを、言わないで」
(でも、嬉しい)
どんな祝いの言葉より、どんな贈り物より、価値がある。
「実行できない……。
勇気のない俺を……、情けなく思われているでしょうね」
彼は、私を見てくれない。
ぬいぐるみを差し出さず、俯いた。
(情けなく……?)
そんなふうに彼を見たことは一度もない。
いつだって、彼は輝き、頼もしかった。
「死ぬほどそうしたくても、そう出来ない」
ぎゅっと、ぬいぐるみが押しつぶされる。
彼の大きく、無骨な手。
触れたことは一度もないが、きっとゴツゴツしていて温かいのだろう。
(情けないなんて、とんでもない)
「いいえ」
(だって、私は知っている)
彼に、年老いた母親がいること。
嫁いだ妹がいて、つい最近甥っ子が産まれたこと。
(あなたが、家族を愛していること)
「いいえ、私はあなたを誇らしく思います」
(あなただって、知っているでしょう?)
私が、この国を愛していること。
ろくに会えもしない両親。
おべっかばかりの随従。
顔の判別もつかないほど遠い距離からしか見られない国民達。
けれど、愛している。
生まれたこの国には、この人がいて、彼の年老いた母親や妹や甥っ子も含まれる。
そのすべてを心から。
「……出来ないからこそ。
死んでもいいと思えるほど、誇らしい」
(私を攫うことなんて出来ないあなたを、愛している)
彼は、護衛騎士。
望めば、彼を嫁ぎ先に伴うことも可能だった。
だが、私はそれを拒否した。
ここからは、女の戦場。
受身でいいわけもなく、嫁いだ後こそ、正念場。
弱小国の姫として、汚いこともしていかねばならず、手段を選ばず寵愛を受けねばならない。
「今日まで私を守ってくれて、ありがとう」
(私を綺麗でいさせてくれて)
好きな人に、醜いところは見せたくない。
この人の前では、ずっと少女のままでいたいのだ。
「明日からは、私があなたを守ります」
あなたが愛した人達を。
これからもあなたが暮らす、この国を。
(守ってみせる)
彼は、顔を上げないまま、ぬいぐるみを差し出した。
最後の最後。
その手に、その指に、触れようかどうかを迷った。
触れても、彼は跳ね除けたりしないと分かっていたけど……。
いつも通りに、受け取った。
指先一つ、触れないまま。
そこまで振り切れたというのに、やはり最後、背を向けることに迷いが出る。
ここから先は、護衛も離れる居城の域。
彼は控えに周り、私的な会話もこれで最後だ。
『どうせ落とすのなら、布地でないものになさいませ』
そう言われてから、ぬいぐるみ以来、避けてきた。
だが、最後。
いくらでも拾ってくれると言った彼は、もういなくなる。
ノートに楽譜、ペンダントにブローチ、本にリスト。
その他、諸々。
抱えられるだけ持ってきたが、後は最後に、ポケットから一つ。
「……落としちゃった」
ひらりと舞ったものを目で追ったのか、彼の頭も動く。
それを見下ろし、だが無理に顔を見ようとは思わなかった。
落ちた布が飛んでいかないよう、軽く踏みつける。
汚れた、白いハンカチ。
(汚れやすいものは、落としちゃいけない……か)
幼い頃……。
怖いもの知らずで無邪気なあの頃ならば、「攫って逃げて」と言えただろうか。
「汚れたから、処分は任せます」
大人になった私も、そそっかしいまま。
変わるのは、明日からでいい。
「…………」
彼は、ハンカチを拾い上げる。
けれど、いつものようには差し出さず、手の内に収めた。
「……今日までの褒美を頂きました」
彼は最後、顔を上げ、まっすぐ私を見てくれた。
溢れる涙を拭いもせずに、まっすぐに。
「俺も、あなたの国にこの命を捧げます」
「どうか……、お幸せに」
その言葉は、彼が言うと白々しく聞こえない。
鼻水まで流している彼は、やっぱり情けなくなんか見えなかった。
ただただ、格好いい。
輝ける、私のナイト。
(あなたも、落し物をしてくれるのね)
私を見つめるまっすぐな瞳が、結ばれた唇が、震える拳が。
そして、彼の落とした涙が。
ご褒美のお返しであり、餞別になる。
「……ありがとう。
さすが、私の護衛騎士ね」
今度こそ、背を向ける。
(あの日みたいに、笑えたかしら)
好きな人に、醜い姿は見せたくない。
私まで鼻水が垂れそうだったが、拭うものは落としてしまったので。
涙で前が見えないような有様でも、反対方向へ歩いていくしかない。
(私、あなたのお嫁さんになりたかった)
本気で想っていた。
ぽとぽと、ぽろぽろ。
落としてばかり。
抱きしめるなんて、夢のまた夢。
今日を限りに、拾うことさえ叶わない。
指先で触れるのも惜しい、恋でした。
――――――――――触れれば消え去る、初恋の君。
Fin.