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ジョーカーの国のアリス

『冬より冷たい場所でも、二人でいれば ■冬より冷たい場所でも、二人でいれば(後)』

▼▼▼本編▼▼▼

 

 

 

 

 

「ただいま。

こんなところに三人揃っているなんて、珍しいわね」

「おかえり、アリス。

これには色々と事情があってだな……」

「ナイトメアがまた仕事をサボって脱走しようとして、トカゲがそれを捕まえた。

それだけのことだ」

 

「事情」を説明しようとしたナイトメアを遮って、ユリウスが事の次第を簡潔にまとめてしまう。

 

(なんだ、いつものことか……)

 

「いつものこととか言うな!」

「いつものことだろう。

おまえは、仕事をサボってばかりだ」

 

こちらの思考を読んだらしいサボり常習者の抗議を、仕事中毒の気がある男が一言のもとに切って捨てる。

 

「サボっていない!

デスクワークに飽きて、外回りの仕事をしようとしただけだ!」

「飽きてもやってください。

仕事なんですから」

「もちろん、やるとも。

外回りの仕事をした後にな」

 

ナイトメアの反論に、今度はグレイが突っ込んだ。

それに駄目上司は胸を張って、かなり微妙なことを言った。

 

(外回りの仕事の後にって条件をつける意味が分からないわ……)

 

それなりに長く、クローバーの塔で働かせてもらっているから分かる。

 

書類仕事は、時が経てば経つほど、次々新しいものがやってくるのだ。

放置しておいても、増えることはあっても減ることはない。

 

しかも量が半端ないので、こまめに片付けないと後で酷い目にあうことになる。

 

「外回りの仕事はしなくていいですから、書類を片付けてください。

お願いですから……」

 

それが分かっているグレイは、必死で上司に食い下がった。

しかし同じようにそのことを理解しているはずの上司も、自分の意見を曲げない。

 

「部屋にこもってばかりだと退屈だ。

たまには出掛けさせろ」

「出掛けるのは構いませんよ。

ただし、書類を全部片付けてからにしてください」

 

駄目上司と優秀な部下のやり取りは続く。

どう考えてもグレイの主張が正しいが、ナイトメアは折れるつもりはないらしい。

 

「……仕事って、だいぶ溜まっているの?」

「ああ、至急処理しなければならない書類が大量にあるんだ。

出掛けている暇なんてない」

「そうなんだ……。

じゃあ、無理かしら」

 

グレイの答えに、私は肩を落とす。

三人のやり取りを見た時点で覚悟してはいたが……。

 

(デートに誘おうと思ったんだけど、仕事が忙しいなら無理よね)

 

(秋の領土に行こうと思ったんだけど……)

 

「無理じゃないぞ。

君からの誘いなら、いつでも喜んで受ける」

「……勝手に人の心を読まないでくれない?」

 

当たり前のようにこちらの心を読んだ男を、ぎろっと睨む。

 

「秋の領土で何かあるのか?

君は秋に行くのは嫌がっていたと思うんだが」

「だから……」

 

毎回毎回抗議しているのに、ナイトメアはいつもそれを聞き流して、心を読むことをやめない。

 

「心を読まないでって、何回言えば分かるのよ」

 

抗議することをやめたら、心を読んでもいいと許可したような気がするから、抗議をやめるつもりはない。

たとえ相手がどうせ聞き入れないと分かっていても。

 

「何回言われても、こればかりは仕方ない」

「……読まないようにも、出来るくせに」

「ははは」

 

笑って流された。

軽くあしらわれているようで、なんだか悔しい。

 

「ナイトメア様と秋の領土に行くつもりなのか?」

「え、あ、うん。

暇なら誘おうと思ったんだけど……」

 

グレイに尋ねられて、そう答えた。

ナイトメアと一緒に出掛けたいと思ったのは事実だが、仕事があるなら仕方ない。

 

どうせジョーカーに頼まない限り、季節は秋のままなのだ。

仕事が片付いた後、また改めて誘えばいい。

 

私はそう思っていたのだが。

 

「…………分かりました。

出掛けてくださっても構いませんよ、ナイトメア様」

「え!?」

 

グレイが突然、それまでの主張と逆のことを言い出した。

 

「仕事が終わってからでも、別にいいのよ?」

「俺としてもそうしたいんだが……、ナイトメア様がな」

 

無理やり仕事をさせようとしても、どうせやらないだろうと諦め顔で言うグレイに、私は同情した。

駄目上司を持ってしまったせいで、彼はしなくていい苦労を山のようにしている。

 

「それに相手が君なら……許可しないわけにはいかない」

「???」

 

(私ならって、どういうこと?)

 

「……おい、トカゲ」

「邪魔するなよ、時計屋。

クローバーの領土のことがかかったことなんだ」

「邪魔するつもりはないが……」

 

グレイの言葉の意味が分からない私の横で、彼の意図するところを理解したらしいユリウスが渋面を作っていた。

 

「押し付けるのは、やめろ」

「押し付けてなどいない。

ただ、機会を作っているだけだ」

「それが押し付けだと言っている」

 

(押し付けって……何を?)

 

「だから、押し付けではない。

それに……見れば分かるだろう?

俺が何かするまでもなく、もう纏まっている」

「それは……」

 

グレイの言葉に、ユリウスが怯んだ。

 

「俺がしているのは、纏まっている二人の時間を作る手伝いだけだ。

これが押し付けだというのか?」

「…………」

 

畳み掛けるようなグレイの言葉を聞きながら、ユリウスはじーっと一点に視線を注いだ。

 

「???」

 

……私に向けて。

 

「何?」

「おまえは……男の趣味が悪いな」

 

居心地の悪さに問いかけると、そんなことを言われてしまった。

しかも、苦言を呈するような表情で。

 

「……何、いきなり」

「率直な感想だ」

「何を言うか。

まあ、一般的はないだろうが、悪くはないだろう」

 

「おまえは本気でそれを言っているのか?

帽子屋の連中よりはマシだろうが、マシという程度だろう?」

「マシならいいじゃないか。

……よくはないかもしれないが、悪くもないはずだ」

 

(……どうして私の男の趣味について、この二人が口論しているわけ?)

 

私の男の趣味がよかろうが悪かろうが、二人には関係ないと思うのだが。

 

(男の趣味、ね)

 

関係あるとすれば、話に加わっていない男のはずだ。

ちらりと視線を向けると、微笑まれた。

 

(顔はいいわよね。

外見についてだけいうなら、悪くないと思うわ)

 

(中身はまあ……あれだけど)

 

クローバーの国やエイプリル・シーズン中のことを思い出す。

 

仕事をサボる。

病弱なのに病院に行かない。

妙なこと(自分の雪像を作る)をやりたがる。

 

思い出されるのは、どれもこれもしょっぱい出来事ばかり。

 

(………………ユリウスの言うとおり、私って男の趣味が悪いのかも)

 

「おい、それはどういう意味だ?」

「勝手に人の心を読むような男は、趣味がいいとは言えないと思わない?」

「む……」

 

「…………。

それじゃあ、私達は出掛けてくるからなっ」

 

(ごまかしたわね……)

 

ナイトメアは、あからさまに話を逸らした。

 

「いってらっしゃいませ。

……帰ってきたら溜まった書類を全部処理するまで休ませんからね」

「全部って……おまえは鬼かっ!?」

「鬼で結構です。

予定外の休憩を取られるんですから、そのくらいは覚悟してください」

 

「そのときは、私も手伝うわ」

「ありがとう、アリス。

ぜひそうしてくれ」

 

仕事をサボってデートに行こうとしているのだから、そのくらいは当然だろう。

協力を申し出ると、グレイは疲れたように笑って礼を言った。

 

「あ、ナイトメア様。

出掛けられるんでしたら、ちゃんと温かくしていってください。

秋は冬ほどではないですが、それなりに寒いですから」

「分かっている」

 

グレイの注意を受け、ナイトメアはクローバーの塔へと足を向けた。

防寒具を取ってくるつもりなのだろう。

 

「私も行くわ」

「ん? 君はそれで十分だろう?」

 

私の格好を見て、ナイトメアは首を傾げた。

彼と違い、私はマフラーもコートも着用している。

 

「防寒具じゃなくて、財布を取りに行くのよ。

それに秋に行くなら、この格好じゃ暑すぎるから、着替えてくるわ」

「何か買いたいものがあるのか?

わざわざ秋の領土で?」

「そういうわけじゃないけど、もしかしたら買いたくなるかもしれないからね」

 

尚も首を捻るナイトメアの背を押しながら、私も自室に戻る。

支度が済むと、すぐナイトメアの部屋に向かった。

 

今回は市に行くつもりだ。

秋の領土に住む友人に、珍しいものがたくさん売られていると聞いている。

 

ナイトメアは子供っぽいところがある(というか基本的に子供っぽいところばかりだ)ので、珍しいものを見れば喜ぶかもしれないと思っての選択だ。

 

(秋の領土内ではあるけど、端っこのほうだし……前みたいにブラッドと鉢合わせたり、しないわよね?)

 

以前のブラッドと会った時のことを思い出す。

あの時は彼が引いてくれて何も起こらなかったが、次もそうなる保障はない。

 

(ナイトメアやグレイは大丈夫だって言うけど、安心できない)

 

しかも大丈夫だという理由が、夢魔だから。

私にとっては、到底納得できるものではない。

 

普段の駄目駄目っぷりを見ているだけに、心配や不安の方が大きい。

それでも、危険だと思いつつも秋の領土に行こうと思うのは。

 

ナイトメアに、喜んで欲しいから。

 

「入るわよ、ナイトメア」

「アリス?

どうしたんだ?」

「迎えに来たのよ。

準備できた?」

「ああ、出来ているよ」

 

尋ねながら、ドアを開ける。

室内には薄手のコートを羽織ったナイトメアが立っていた。

 

「それじゃあ、出掛けましょうか」

「ああ、そうしよう。

……アリス」

「何?」

 

不健康なほど白い手が、すっと首元に伸ばされる。

細い指が、私の襟元に触れた。

 

「歪んでいる」

「そう?」

「少しな」

 

そう言いながら、ナイトメアは手を動かした。

 

(近い)

 

すぐ傍に立つナイトメアを見つめる。

いつもより、距離が近い。

 

(まあ、キスする時ほどじゃないけど)

 

私の思考を読んだのか、ナイトメアの頬が薄く色づいた。

 

思春期の少年みたいな、初心な反応だ。

キスよりもっと深いことをしているのに、こんな反応をするなんて。

 

(……可愛い人)

 

(……こんな人を、どうして皆怖がるのかしら)

 

不思議に思う。

こんな情けなくて可愛い人が、何故あんなに怖がられているのだろうか。

 

「それはもちろん、私が夢魔だからだよ」

「その理由が、私には理解できないわ。

夢魔だから怖いって、意味が分からないわ」

 

夢魔だから大丈夫。

夢魔だから怖い。

 

私にとっては、意味の分からない理由だ。

 

「君も、そのうち分かる時が来るだろう。

……そろそろ、出掛けようか」

 

(分からなくていいわ)

 

そんなの、分かりたくない。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「これは何だ?」

「これは香炉というものです。

中にこちらの香木を入れてたくんです」

「木を燃やしてどうするんだ?」

「いい香りがするんですよ。

香木は香油のようなものでして……」

「ほう……」

 

市は人で賑わっていた。

友人に聞いた通り、見慣れないものが多く売られている。

 

子供のようにはしゃぐことはなかったが、ナイトメアは物珍しそうに商品を覗いては売り子から説明を聞いている。

 

(楽しそうで良かった。

……周りにも、夢魔だってバレていないようだし)

 

いつか春の領土に行った時のことを思い出す。

 

夢魔だとバレた途端、聞こえてきた悲鳴。

向けられたマイナスの感情。

 

あの時、私はとても嫌な気分になった。

どうしてナイトメアが、そんなふうに言われなくてはいけないのかと。

 

「アリス、こっちに来てくれ」

 

そんなことを考えていると、ナイトメアに手招きされた。

楽しそうにしている様子に、笑みが零れる。

 

(……駄目ね。

こんなことばかり考えてちゃ)

 

せっかくのデートなのだ。

私も、もっと楽しまなければ。

 

「どうしたの?」

「グレイ達に土産を買っていこうかと思うんだが……」

「いいんじゃない?

何を買っていくつもり?」

 

「酒を買っていこうと思う。

それで、どれにしようか悩んでいてな」

 

そう言うナイトメアの前には、いくつかの瓶が並んでいた。

 

「これ、お酒なの?」

 

瓶の中身を見て、私はそう尋ねた。

 

お酒といえば、赤や薄い黄色、茶色など色がついているものを思い浮かべる。

だが、目の前の瓶は透明な液体に満たされていた。

 

「ええ、そうですよ。

果実からではなく、麦や芋から作ったお酒なんです」

「へえ、珍しいわね」

「だろう?

どうせなら、珍しいものを買っていってやろうと思ってな」

 

「君はどれがいいと思う?」

「どうぞ、試飲なさってください」

「あ、ありがとう。

そうねえ……」

 

差し出されたカップを受け取る。

 

(わ、きつ……)

 

思った以上に度数の高いお酒らしい。

匂いを嗅いだだけで酔ってしまいそうなほど、強烈なアルコール臭がする。

 

(んー……。

おいしいけど、ちょっと飲みづらいお酒ね)

 

いくつか飲み比べてみたが、どれもおいしいが飲みづらい。

 

「君の言うとおり、うまいんだが少し飲みづらい酒だな」

「では、こちらはどうですか?

比較的飲みやすいものですが……」

 

新たに差し出されたカップに口をつける。

 

「甘くて飲みやすいわね。

おいしいわ」

「……ん。

確かにこれはいいな」

「先ほどのお酒に砂糖を加えて、梅を漬け込んだものなんですよ」

 

愛想よく笑いながら、売り子さんがお酒の説明をしてくれた。

それを聞いて、ナイトメアが大きく頷く。

 

「これがいいと思うんだが、君はどう思う?」

「私も、いいと思うわ」

「よし、じゃあ決めた。

これをくれ」

 

(……っと)

 

売り子さんにお金を払っているナイトメアの後姿が、一瞬ブレる。

 

飲んだ量はたいしたことないが、度数の高い(と思われる)お酒を立て続けに飲んだせいだろう。

酔いが回って、足元が危うくなっていた。

 

「大丈夫か?」

「少し休めば、平気だと思う……」

 

そんな私に気づいたらしいナイトメアが、心配そうに声をかけてくる。

私と違って、彼の足取りはしっかりしていた。

 

「じゃあどこかで休もう。

ほら、捕まりなさい」

 

肩に手が添えられた、その時。

 

「お、アリスにナイトメアじゃねえか!」

「エリオット?」

 

聞きなれた声に、振り返る。

そこには、部下を引き連れた帽子屋のウサギが立っていた。

 

「奇遇だな、エリオット」

「そうだな。

まさかあんた達がここに来てると思わなかったぜ」

 

にかっと笑って、エリオットは大股でこちらに歩み寄ってきた。

彼の後ろに控える、武装した部下も同じく。

 

(これは……)

 

出掛ける前に危惧していたのと、似たような状況だ。

 

相手がブラッドではなく、程々にナイトメアと親しいエリオットだったことが救いといえば救いではある。

だが、彼も帽子屋の領土における権力者であることに違いはない。

 

(まずい状況なんじゃない?)

 

「そんなことないぞ、アリス。

まずいことなんてない」

「まずい?

何がまずいんだ?」

 

「アリスは心配性だからな。

必要のない心配までしているんだ」

「ふーん?

何かよく分かんねえけど、心配することないぜ?

ここはブラッドの領土だからな!」

 

(だから心配しているんだけど……)

 

ナイトメア以外の、それもマフィアの領土だから心配しているわけで。

 

「帽子屋の領土だろうと何処だろうと、私にとっては同じだ。

危険なことなど、一つもない」

「ん? ああ、なるほどな。

心配って、そういうことか」

「ああ、そういうことだ」

「それなら尚更心配いらねえだろ。

ナイトメアを傷つけられる奴なんて、そうそういねえよ」

 

私の心配を、エリオットは笑い飛ばした。

ナイトメアもこくこく頷いて、ウサギに同調している。

 

(そんなの、分からないじゃない)

 

ナイトメアも、グレイも、エリオットも。

皆、同じことを言う。

 

ナイトメアは大丈夫。

危険はない。

 

(信じられないわ)

 

私はこの目で見たのだ。

ナイトメアが、他者に傷つけられる瞬間を。

 

顔なしが相手だったわけではない。

それにここではなく、牢獄という特殊な場所でだったけれど。

 

それでも、ナイトメアは傷ついた。

怪我をして、血を流した。

 

それがあの場所以外で起こらないと、どうして信じられるのか。

 

(それに……)

 

たとえば肉体的に傷つけられる危険がないとしても。

 

「ナイトメアだ……」

「夢魔が、どうしてこんなところに?」

 

(心が傷つけられない保障は、ないでしょう)

 

エリオットに話しかけられた時から囁かれる声を聞きながら、考える。

 

「秋の領土に、どうして……」

「夢魔……」

 

ひそひそと交わされる声。

恐れるような、厭うような。

 

「塔にいるはずなのに……」

「冬から出てくるなんて……」

 

(やめてよ)

 

耳に入る囁きに、苛立つ。

悪感情を向けられているのは、私ではないけれど。

 

「それで、その酒を買ったのか」

「ああ。

なかなかうまい酒だぞ」

「そんなのより、にんじん酒を買っていけよ。

うまいところ、教えてやるぜ?」

「……それは遠慮しておく」

 

しかし苛立っているのは、私だけ。

ナイトメアは、漏れ聞こえてくる囁きを気にすることもなく、和やかにエリオットと話している。

 

(どうして、そんなに平然としていられるの)

 

心の読めるナイトメアのことだ。

私が聞いている以上に、聞きたくないことが聞こえているはずなのに。

 

「なあ、アリス。

あんたはにんじん酒飲みたいよな?」

「正直に答えていいぞ。

君が飲みたいというのなら、買って帰る」

 

陰口など聞こえないといったふうに、笑う。

 

(ううん、違う)

 

聞こえていないわけではない。

そんなもの、どうでもいいと。

気にする価値もないのだと、ナイトメアの表情は言っていた。

 

(……冷たい)

 

こんなふうに笑うのなら、ナイトメアは傷ついたりしていないのだろう。

顔のない人たちから向けられる言葉も感情も、彼を傷つけるだけの威力を持たないということだ。

 

(なんだろう……)

 

彼が傷ついていないのはいいことだと思う。

だからといって、こんな表情をするナイトメアは……見たくない。

 

「……興味がないとは言わないけど、今は別にいいわ」

「えー、うまいのに……」

「はは、そう落ち込むな、エリオット。

またの機会に、もし気が向いたら、買うこともあるかもしれないだろう?」

 

楽しそうに話す二人に混ざり、一緒に笑いながら、私は違うことを考える。

 

(早く冬に帰りたい)

 

自分で望んで秋にやってきたはずなのに、そんなことを思った。

 

ナイトメアと一緒に、色んな季節を楽しみたいのは本当。

けれど、今は無性に冬の寒さが恋しかった。

 

ここは冬より温かいはずなのに、私達にはよそよそしくて、寒い。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「よかったのか?」

「何が?」

「こんなに早く、帰ってしまって」

「いいのよ」

 

しばらくエリオットと談笑した後、私達は冬に帰るべく道を歩いていた。

いつもよりずっと早い帰還だ。

 

「疲れたのか?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

 

心配そうに尋ねてくるナイトメアに、曖昧な答えを返す。

 

疲れたわけではない。

ただ、早く帰りたいと思った。

 

ナイトメアの領土に、帰りたいと。

 

(冬なら、大丈夫)

 

ナイトメアが傷つくことはないと、安心できる。

そして、彼にあんな表情をさせることもない。

 

冬に戻れば、ナイトメアはいつもの彼に戻る。

秋で見せたような冷たさは消え、温かみを取り戻すはずだ。

 

(冬のほうが温かいなんて、ちょっとおかしいけど)

 

「?

冬は、秋より温かくはないぞ?

寒いだろう?」

「ふふ、分かっているわ」

「???」

 

中途半端にこちらの考えを読み取ったナイトメアが、変な顔をした。

その顔がおかしくて、私は笑う。

 

「戻ったら仕事か……」

「ちゃんとやりなさいよ。

私も手伝うから」

「むー……」

 

他愛ない話をしながら、道を歩く。

 

(あ……)

 

地面の色が変わる。

赤い葉ではなく、白い雪が降り積もったものへと。

 

(冬に戻ってきたんだ……)

 

「……随分嬉しそうだな?

君は、そんなに冬が好きなのか?」

「ええ、嫌いじゃないわよ」

 

少し歩くと、見慣れた街並みが見えてきた。

 

(塔に帰ったら、ココアでもいれてあげよう)

 

グレイほど上手くいれなれないかもしれないが、飲めば温まるだろう。

冷え切った体を、温めたい。

 

「あまり急ぐと転ぶぞ?」

「子供じゃないんだから、転んだりしないわよ」

 

ナイトメアの手を引き、先を急ぐ。

早く、塔に帰りたい。

 

(?

何?)

 

街中を歩きながら、内心首を傾げた。

なんだか、妙に注目されている気がする。

 

(あ、ナイトメアがいるからかしら?)

 

基本的に、領主の姿は皆知っている。

この冬の領土でも、それは同じだ。

 

滅多に塔から出ない領主がここにいることを、珍しがっているのかもしれない。

 

「夢魔だ……」

「夢魔だわ……」

 

(え……)

 

聞こえてきた囁きに、思わず足が止まる。

 

「夢魔がいる……」

「なんで……」

 

声に秋の領土で聞いたものと同じような感情が込められているのが、分かった。

意識せず、顔が強張る。

 

「夢魔……」

「ナイトメアだわ……」

 

(どうして?)

 

ここは、冬の領土。

ナイトメアはそこの領主だ。

 

しょっちゅう仕事をサボる駄目領主だが、領土に住む人々に酷いことをしたことはない。

それなのに、どうして。

 

(怖がるの?)

 

(理由がないでしょう?)

 

「どうしてこんなところにいるんだ……」

「塔にいるはずじゃ……」

 

恐れる理由はないはずなのに、囁く声は消えない。

それどころか、徐々に数が増えていっているような気がする。

 

「怖い……」

「夢魔……」

 

聞こえてくる声。

ナイトメアを恐れ、厭う目。

 

恐れられている本人は、どうでもいいと言うけれど。

 

(嫌だ……)

 

私は、嫌だ。

 

(聞きたくない!)

 

そう思った瞬間。

 

「!」

 

周りの景色が変わった。

 

「???」

 

(ここ……夢の空間……?)

 

「そうだよ」

 

声と共に、ナイトメアの手が私に触れる。

宥めるように肩を撫で、そっと抱き寄せられた。

 

「君が、あの場にいたくなかったようだったからね。

ここに一時避難した」

「そうなんだ……」

 

(誰もいない)

 

この空間には、私とナイトメアしかいないようだった。

私達の声以外、誰の声も聞こえない。

 

(よかった)

 

そのことに安心する。

ここには、彼を悪く言う者はいない。

 

周りからマイナスの感情しか向けられていなかった場所は、とても寒かった。

季節が冬だからとか、そういう理由ではなく、背筋が凍るような寒さを感じる空間だった。

 

ここは、先ほどの場所より温かい。

 

「……あんなの、気にしなくていいんだぞ?」

「そんなの無理よ。

気になるわ」

 

(恋人をあんなふうな目で見られて……。

あなただったら、気にせずにいられるの?)

 

「いや、無理だな」

 

内心で問いかけたことに、すぐ答えが返された。

 

「想像しただけで、嫌な気分になってきた」

「私は想像じゃなくて、実際目にしたのよ」

 

苦い表情をするナイトメアを見つめる。

私がどれだけ苛立ち、嫌な思いをしたか、少しは分かってくれただろうか。

 

「私の場合は、君とは違う」

「また、そういうことを言って……」

「事実そうなのだから、仕方ない。

私は恐れられるものなんだ」

 

子供に言い聞かせるような話し方だ。

噛んで含めるような、あやすような。

 

「グレイや部下達だって、私を恐れているんだぞ?

顔なしの連中が恐れるのは当然だろう」

「そんなこと……」

「あるさ。

あいつらも、私を怖いと思っている」

 

否定の言葉は、遮られた。

自信満々に言い切られて、私は黙り込む。

 

「疑うなら聞いてみればいい」

「…………」

 

(聞きたくない)

 

聞いて、「怖い」という答えが返ってくるのが怖い。

 

(そんなことを聞いたら……)

 

不安になる。

 

部下さえ、ナイトメアを恐れているのかと。

表に出さないだけで、心の中では先程見たような目で彼を見ているのかと。

 

(そんなの、寂しい)

 

寂しくて、悲しい。

あの空間に……あんな寒い場所に、ナイトメアが立っているなんて。

 

「……寒くない?」

「ん?

いや、私は寒くないぞ。

ここは外よりも温かいしな」

「私は、寒いわ」

 

当事者でない私でさえ、寒く感じた。

冬よりも、もっと寒いと。

 

それなのに、悪感情を向けられていた本人は平気だと笑う。

 

そのことが、よりいっそう私を凍えさせた。

 

(すごく寒い場所にいるのに、寒いって感じないのは……自分の体温が同じくらい低くなっている時)

 

自分が冷たいから、自分のいる場所の寒さに気づかない。

同じくらいの温度だから。

 

ナイトメアも、そうなのだろうか。

彼自身が冷たいから、あの空間を寒いと感じないのだろうか。

 

(…………ナイトメアが、冷たいなら)

 

「!!!?」

 

間近にある紫色を啄ばむ。

触れた唇は、思った通り冷たかった。

 

(私の熱を、分け与えればいい)

 

「待て待て待て待て!

わ、私の体温は正常だぞ!?

君に、その、そんなことをしてもらわなくてもだな……っ」

 

慌てふためくナイトメアの頬に手を添えた。

病的なほど白い頬が、今は赤く染まっている。

 

「そう?

かなり冷たいわよ?」

「私は元々低体温なんだ!

君だって知っているだろう!?」

「そうだったかしら?」

 

とぼけた返事をしながら、もう一度顔を寄せた。

今度は長く、口を塞ぐ。

 

「!!?!!?」

「…………」

「……~~~~~っ」

「ふ……」

 

口の中の温度が同じくらいになった頃、ようやく離れる。

 

「き、ききき君は、いきなり何をするんだ!?

こんなところでっ」

「こんなところって……、不都合な場所ではないと思うけど」

 

私達以外、誰もいない場所。

室内というわけではないが、かといって屋外でもない。

 

「それはそうだが……っ」

「何?

嫌なの?」

 

「嫌というわけでは!

そうではなく、こう……っ」

「こう、何?」

「!!!」

 

尋ねながら、ナイトメアを押し倒す。

顔は幾分温かくなったが、首や手などはまだ冷たいままだ。

 

「~~~~~アリスっ!」

「ナイトメア」

 

抗議の声は無視した。

 

「寒いの」

 

屈んで、ナイトメアの耳元で囁く。

 

「私が、寒いのよ」

「……そう、なのか?」

「ええ」

 

なるべく、甘く聞こえるように。

 

「だから、温めて?」

 

誘うような言葉。

いつもの私なら、けして言わないような類のものだ。

 

(まあ、そもそも私から仕掛けることが、今までなかったんだけど……)

 

キスくらいなら、自分からしたことある。

だが、その先はお互い合意の上というか、流れでいっていたというか。

 

とにかく、こんなふうに襲うことはまずなかった。

だからこそナイトメアも、まるで生娘みたいな反応をしたのだろうが。

 

「…………」

 

私の誘い文句は、それなりに効いたらしい。

 

ナイトメアの手が、明確な意図をもって髪を梳いた。

 

「寒いのなら、まあ……温めなくてはいけない、な」

「そうでしょう?

温めてよ」

 

温めてほしい。

私が……ナイトメアが、寒くないように。

 

熱を、分け合いたい。

 

「……ん」

「っ」

 

強い力で引き寄せられ、口付けられた。

たどたどしく、性急なキス。

 

「ふっ」

「…………」

「……あっ」

 

性急なのは、キスだけではなかった。

服を乱す手も、同じくらい余裕がない。

 

「……アリス」

「っ」

 

(冷たい)

 

直に触れてきた指は、とても冷たかった。

ぞっとしてしまうほど。

 

あまりの冷たさに、触れられた瞬間、体が跳ねた。

 

「?

アリス?」

「…………なんでも、ない」

 

気遣わしげに名を呼ばれ、首を振る。

 

(大丈夫)

 

(すぐに、温かくなるわ)

 

触れ合って、熱を移せば。

 

「…………」

「は……」

 

止まっていた手の動きが、再開した。

 

初めは気遣うように優しく。

次第に大胆に、動き出す。

 

「っ。

あ……」

 

体の奥のほうから、もどかしいような熱が広がっていく。

 

「寒くないか?」

「大、丈夫……」

 

肌が外気に触れる。

通常の感覚なら、寒く感じるだろう。

 

でも今の私には、そんなことを感じる余裕はほとんどなかった。

 

ただ、熱い。

体が、どうしようもなく。

 

(ナイトメアは?)

 

「……私も、寒くないよ」

 

笑ってそう言いながら、ナイトメアは深い場所を探ってきた。

 

「あ……」

 

体が震えた。

ほんの少しの痛みと、熱。

 

「……っ」

「アリス……」

 

吐く息にさえ、熱がこもる。

冷たさは、もうどこにもない。

 

(ナイトメア……)

 

「どうした?」

 

指が優しく前髪を払う。

お互い、玉のような汗をかいていた。

 

(まるで夏にいるみたい)

 

「夏か……。

確かに夏は暑いが……」

「っ」

 

「これは暑いのとは、違うだろう?」

「じゃあ、何……っ?」

 

与えられる刺激に、声が掠れた。

熱いのに、震えが止まらない。

 

「熱いんだよ。

たぶんね」

「……ふ。

かっこ、つけ……」

 

息も切れ切れ笑う私の頬に、ナイトメアの手が添えられた。

 

(熱い)

 

その手は熱かった。

他の触れ合っている部分も。

 

先ほど感じたぞっとするような冷たさは、どこにもない。

 

(よかった)

 

安心する。

ナイトメアから冷たさが消えたことに。

 

熱を、分かち合えたことに。

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……そろそろ戻ったほうがいいんじゃない?」

「もう少しくらい、いいだろう?」

「駄目よ」

 

この世界は元々どのくらい時間が経ったか把握しづらいが、夢の空間はそれがより顕著だ。

何もない空間にいると、時間の感覚が狂う。

 

(仕事もあるんだし、早く帰らないと……)

 

「そんなに仕事が大事なのか?

私よりも?」

「何馬鹿なこと言っているのよ」

 

それは普通、女性が男性に言う台詞だ。

しかも、なんだか使い方が違う気がする。

 

「馬鹿なことじゃない!

せっかくデートをしていたのに、さっさと帰ってしまうし、今も早く帰りたがっているし……」

 

「そんなふうにされたら、私と一緒にいるより、仕事をする方が大事なのかと思ってしまうだろう」

「…………」

 

分かりやすく拗ねているナイトメアに、私は声に出さず答えを伝えた。

 

(そんなこと、あるはずないでしょう)

 

(仕事よりあなたのほうが大事よ)

 

普段なら絶対言わないこと。

今だって、恥ずかしいので口には出せない。

 

でも、思うだけならできる。

そしてナイトメアは、それだけでこちらの考えを汲み取ってくれる。

 

こういう時は、忌々しい読心能力も便利だなと思う。

あくまで、こういう時だけだが。

 

「……私のほうが大事なら、もっと一緒にいてくれ」

「いるわよ。

仕事中だって、あなたの傍にいるでしょう?」

 

今までも、彼の仕事を手伝ってきた。

これからだって、変わらない。

 

(一緒にいるわ)

 

「……ずっとか?」

「え?」

「ずっと、一緒にいてくれるのか?」

 

こちらの様子を窺うような……探るような目で、問いかけられた。

 

「……ええ。

ずっと、一緒にいるわ」

 

仕事中でも仕事をしていない時でも、傍にいる。

傍にいさせてほしい。

 

二人でいれば、きっと寒くなくなるから。

 

「?

二人でいなくても、塔の中なら、外ほど寒くないだろう?」

「……そうね」

 

私の意図するところとはかけ離れたナイトメアの答えに、私は特に反論することなく頷いた。

 

(あなたは、寒いなんて思っていないのよね)

 

知っている。

あの空間に苛立ちや寒さを感じるのは、私だけなのだ。

 

他者から向けられる感情をどうでもいいと切り捨ててしまえるナイトメアは、自分がとても寒い場所に立っていると思っていないのだろう。

 

(でも、私は寒い)

 

そんなナイトメアを見ている私が、ひどく寒く感じるのだ。

寒くて、嫌だと感じる。

 

「???」

 

「君は、そんなに寒がりだったか?」

「そうよ。

知らなかったの?」

「ああ、知らなかった。

今まで気づかなくて、すまない。

塔に帰ったら、何か対策を……」

「対策なんて、いらないわ」

 

ナイトメアの手に、指を絡める。

 

冷たい手だ。

先刻まではあんなに熱かったのに。

 

「何もしてくれなくていいから、一緒にいてちょうだい」

「しかし……」

「それが、一番温かくなるから」

 

寄り添わせてほしい。

寒いと感じるはずないと思えるように。

 

ナイトメアも私も温かく感じていると、私が安心できるように。

 

「……君が、それでいいと言うのなら」

「それでいいんじゃないわ。

それが、いいのよ」

 

夢の空間が薄れていく。

視界が白に染まり、冬の冷たさに身が竦んだ。

 

(大丈夫)

 

どんなに寒い場所でも、二人で寄り添い合えば。

 

(寒くない)

 

 

 

 

 

▲▲▲FIN.▲▲