▼▼▼本編▼▼▼
「ねえ、ボリス」
「ん?」
「これから出掛けない?
疲れていなかったらだけど……」
ようやくピアスを追いかけるのをやめたボリスに、タオルを渡しながら尋ねる。
今の季節は冬。
遊園地内では関係ないものの、汗をかいたままでいると風邪を引いてしまう季節だ。
「いいよ。
どこに出掛けるの?」
「雪祭りを見に行かない?」
少し前に、グレイからまた雪祭りを開くという案内状が届いた。
それを思い出したから、冬を選んだのだ。
(前回は楽しかったな)
楽しくはあったが、祭り自体を楽しめたかどうかは微妙。
今度こそ、雪祭り本来の目的で楽しみたい。
「雪祭りかあ……。
炬燵、またあるかな?」
ボリスの中では、「雪祭り=炬燵」という図式が成立しているらしい。
あれは本来、雪祭りとは関係ないもののはずだが……、猫としては非常に気に入ったようだ。
(まあ、たしかに良かったけどね。
炬燵、あったかくて)
温かいし、暖炉よりもほんわか寛げる暖房器具だった。
(炬燵で丸まっているボリスも可愛かったし)
私もあれは好きだが、今回は出来ればカマクラに篭りっきりではなく、外の様子を見て回りたい。
「炬燵もいいけど、今回は色々見て回りましょう?
せっかく、たくさん展示されているんだし」
「うん、いいよ。
前のときは、崩壊した雪像とか斬新すぎるものしかなかったしね」
「……あれは、あれで力作なのよ」
だが、力作が名作とは限らない。
「グレイ、頑張ったんだろうけど、どうも……。
頑張りに結果が伴うとは限らないというか……」
「はは。
まあ、あれはあれで楽しめたけどね。
今回はまともなのが見たいなあ」
「まともって……」
「前回のは、まともとは言えなかっただろ」
「……まあね」
「今回は、まともなのを期待してる」
「じゃあ、出掛けようか。
でも、その前に……」
にこりと笑って、ボリスは汗を拭いていたタオルを放り投げた。
……投げたタオルは、ピアスの顔面に直撃した。
柔らかいタオルなので、そんなにダメージもないだろうが、猫とネズミが揃うと何でもコミカルになる。
「あんたは着替えないとね」
「……それもそうね。
借り物じゃ、まだ寒いだろうし」
今の私は薄着だ。
ゴーランドが貸してくれたコートを羽織ってはいるが、外に出れば寒い。
このままでは風邪を引いてしまう。
しかし、ボリスが気になっていたのは、そこではないらしい。
「おっさんのコートなんか、早く脱いじゃってよ。
匂いがうつる前にさ」
どうやら、ボリスは、私がゴーランドのコートを羽織っていることの方が気になるらしい。
(先刻から妙に視線を感じると思っていたら、これが理由か)
「ちょっと着たくらいじゃ、匂いなんてうつらないわよ?」
「うつるよ。
あんたにはわかんないかもしんないけど、俺には分かるの」
猫には分かる程度に、匂いがうつるらしい。
小さく鼻を鳴らす様が可愛くて、笑ってしまう。
(拗ねてる)
些細なことで嫉妬されるのは困るが……、嬉しい。
それだけ好かれているのだと、思うことが出来るから。
気まぐれな猫のくせに、ボリスはいつも私に擦り寄ってくれる。
「分かったわ。
すぐに着替えてくるから、待っていて」
「手伝おうか?」
「いりません」
冗談半分の申し出にはすげなく答えて、自室に急ぐ。
早く出掛けたい。
少しでも長く、ボリスと一緒にいたい。
今でも、いつでも一緒だと言ってもいいくらい、ずっと一緒にいるのに……。
(好きだから、そう思うんだわ)
好きだから、ずっと一緒にいたいと思う。
どれだけ一緒にいても、もっともっと、と欲張りになる。
なんとなく気恥ずかしい。
ずっと恋愛を避けてきたのに、そんなことを思うようになった自分が。
同時に、怖くもなる。
好きな人。
特別な人。
……失ってしまったらどうしよう、と。
不安が、ふってわく。
先のことを考えれば考えるほど。
(……駄目駄目。
そんなの、今考えることじゃないわ)
このエイプリル・シーズンというのは、おかしな季節。
不安と安心、嘘と本当がまぜこぜになっているように感じる。
ここにあるのは全部が本当のことのはずなのに、ときどき、何が本当のことなのか分からなくなってしまう。
(全部、本当のことよ)
夏の遊園地。
ゴーランドがいて、ピアスが騒ぎ、ボリスが追いかける。
従業員も客も、いつも通り。
明るく楽しく、暑い季節。
頭を振って、暗く沈んでしまいそうな気分を切り替える。
夏に、こんな思考は似合わない。
これから、出掛けるのだ。
楽しいことを考えよう。
ここにいるだけでも充分に楽しい。
外へ出ても、楽しめるはず。
これが嘘に思えるなんて、どうかしている。
(一人でいるから、変なことを考えるのよ。
早く着替えて、ボリスのところに行こう)
一緒にいるだけで温かくなる、大切な猫のところへ。
***
「わあ、可愛い」
冬の領土で開催されている雪祭り。
前回の反省(?)を活かし、私達は中心部である塔周辺ではなく、街に来ていた。
街のいたるところに置かれた雪像は、どれもいい出来栄えだ。
「綺麗」
「これ、凝っているね」
「わあ、これ、可愛い」
「ううん、あっちのほうが……」
道行く人も、皆、即席の審査員。
どれも、足を止めるだけの価値がある。
中でも、私の目を引いたのは……。
「動物の森っていうだけあって、色々いるね」
「ええ、ほんとに……。
あ!あれ、猫じゃない?」
街の一角に設けられた『動物の森』。
動物の雪像が集められているだけなのだが……、これが可愛いのだ。
ライオンや熊など、動物園でお馴染みの動物から、猫やウサギなどの小動物までいる。
大小様々な雪像は、どれもこれも可愛らしい。
「へえ、結構うまく出来ているね。
耳や尻尾が実物そっくり」
丸まって寝ている猫の像。
ボリスが言う通り、ぴんとたった耳や尻尾の丸まり具合が本物みたいだ。
可愛くて思わず撫でたくなるが、そこは我慢する。
どんなに可愛くても、これは雪だ。
触れれば溶けて、消えてしまう。
美術館の作品と同じで、触れては保存を損ねてしまう可能性がある。
「……ボリス?」
「何?」
「何、って……」
(それはこっちの台詞だと思うんだけど……)
猫の雪像を眺めていたら、突然手を取られた。
そのまま繋ぐのかと思いきや、何故か強制的に頬を触らされている。
「???」
(何がしたいの?)
「これに触りたそうにしてたからさ」
「……雪像の代わりに触れって?」
「違う違う」
手に、温かいものが触れる。
頬ではなくて、もっと熱い……。
「雪像だろうが何だろうが、他の奴に触るくらいなら俺に触ってよ」
「……これ、触ってるっていうの?」
触っているというか、舐められている。
ぺろぺろと。
ざらざらしていて、温かい、舌の感触。
「触ってるだろ?
ほら」
重ねられた手に力が込められる。
指先が、ボリスの頬に食い込みそう。
頬に触れる指先。
手のひらに触れては離れていく舌。
ボリスに触って、触られて、舐められている。
(う、わ)
顔が熱い。
今は冬で、周りは雪だらけで、とても寒い。
なのに、顔と……ボリスに触れているところだけが、火がついたように熱かった。
(なんで、こんな……)
脈絡なく触られるなんて、割といつものこと。
日常化している。
なのに、照れる。
かあっと、体が熱くなる。
(人目があるからかしら……)
皆、雪像に夢中で、本物の猫など見ていない。
だが、見られていないからといって、恥ずかしいのに変わりはない。
「……もう、充分触ったと思うんだけど」
「そう?
俺はまだ触り足りないけどな」
「!」
腕を引かれ、抱き寄せられた。
すりすりと頬を肩に擦りつけてくる。
本物の猫なら、喉を鳴らしていそうだ。
(可愛い……)
「もっと触ってもいい?」
仕草は猫そのものなのに、囁く声は甘やか。
ほんの少し艶やかさを含んだ声。
「……駄目」
「なんで?」
「人がいるわ」
部屋に二人っきりというシチュエーションならまだしも、ここは外。
しかも雪祭りが開催されていることもあり、普段より人で溢れている。
寒さもあって、知り合い同士でくっついて歩いているが、それにしたっていきすぎだ。
ボリスのことは好きだが、元々私は人前で臆面なく恋人とベタベタできる方ではない。
常識や羞恥心は、それなりに持っているつもりだ。
「誰も見てないよ?」
「そうかもしれないけど……」
ちらりと視線を動かしてみるが、確かにこちらを見ている人は誰もいない。
誰もかれもが展示されている雪像や会話に夢中。
目の前の猫に集中しているのは、私だけ。
「……それでも、恥ずかしいのよ」
私の見えない位置から、誰かが見ているかもしれない。
今は誰も見ていないが、一瞬後には誰かが見ているかもしれない。
そう考えると、こうして抱きしめられているだけでも恥ずかしい。
「だから……」
最後まで言い切る前に、頬をぺろりと舐められた。
額や目元、唇も。
「わかった。
あんたがそう言うなら、我慢するよ」
我慢すると言いながら、ボリスは舐めるのを止めない。
確かに触れてはいないが(いや、舐めているのだから触れていることになるのか?)……、服で隠されていない場所を、あちこち舐める。
猫が飼い主の手や顔を舐めているような感じだ。
いやらしさを感じないのが、いっそ不思議。
だが、本人がどうあれ、ここは屋外で人目も多い。
そんなところで異性に顔やら首やらを舐められるのは、正直遠慮したいし、控えるべきだ。
「ちょっと、ねえ、ボ……」
「私の領土でセクハラするのはやめてくれないか、チェシャ猫」
咎めようとした言葉は、別の声に遮られた。
驚いて振り向けば、そこには男が一人立っていた。
「ナイトメア!」
「やあ、アリス。
雪祭りは、楽しんでくれているか?」
にこりと笑みを浮かべる彼は、相変わらず不健康そうだ。
顔色が悪い。
それに、ものすごく寒そう。
見ていて分かるくらい、小刻みに震えている。
「……寒そうね」
「寒そうじゃない。
寒いんだ」
(寒いなら、塔に引きこもっていればいいじゃない)
「そういうわけにはいかない。
私はここの領主だからね。
見回りをするという、大事な責務が……」
(……仕事をサボって、逃げ出してきたのね)
駄目駄目なのも相変わらずらしい。
仕様のない男だ。
「さ、サボってなどいないぞ!?
見回りをしていたから、こうして猫がセクハラしているのも見つけられたわけで……」
「セクハラなんかしてないよ。
ね、アリス」
「あれは十分セクハラに見えた。
ああいうのは、せめて人目につかないところでやるように」
ボリスに注意しつつ、ナイトメアはこちらに近づいてくる。
……具合があまりよろしくないらしい。
足取りがふらふら……というより、よろよろしている。
(この人の具合が悪いのはいつものことだけど、また一段と……)
「……あなた、塔に帰ったほうがいいんじゃない?」
「うん、俺もそう思う。
夢魔さん、帰りなよ……」
あまりによろよろしているので、心配になった。
ボリスは心配というより呆れているようだが……。
「だ、大丈夫だ。
寒くなんかない」
「先刻は寒いって言っていたじゃない」
「気のせいだ。
私は寒くなんかない。
だから、このまま見回りを続けても問題ない」
「塔に帰れば……、もっと具合の悪くようなことが待ち受けているんだ」
「ふうん?
仕事とか、薬とかね」
「……君も、心が読めるのか?」
「読まなくても分かるわ」
根性のあるサボりだ。
寒さで体調を崩すより、仕事に戻るほうが嫌らしい。
それならせめて、もっと防寒具をつけるなりすればいいのに。
「出掛ける時にばたばたしてな。
マフラーしか持ってこれなかったんだ」
「ふうん」
(慌てて逃げ出してきたのね)
「まあね」
「心を読まないで」
読心能力を持つナイトメアは、よくこうやって口に出していないことを読み取る。
何度も何度も何度も何度も言っているのに、止める気配は一向もない。
あまりいい気はしないが、最近は半ば諦めかけていて、抗議も形ばかりになっている。
「ああ、そうだ。
見回りついでに、雪祭りを案内しようか」
「何、夢魔さん。
デートの邪魔をするつもり?」
一度離れた体が、またくっつく。
「そんなつもりはないよ。
ただ、彼女に雪祭りを楽しんでほしいだけだ」
「夢魔さんに案内してもらわなくても、楽しめるよ。
だからお気遣いなく」
抱き寄せる腕は温かい。
触れているところから伝わってくる熱に、抱きしめられているのだと実感する。
(だから、人前だって言ってるのに!)
「離してよ」
「嫌」
腕を解こうとしてみるが、力でボリスにかなうわけもなく。
腕を引っ張ろうとしたり持ち上げようとしたが、びくともしない。
(うう、恥ずかしい……)
心臓がどきどきばくばくしている。
恥ずかしすぎて、体に絡みつく腕を妙に意識してしまい、それがさらに恥ずかしくなる。
「……わかった。
案内するのは諦めるよ。
だから、彼女を離してやれ」
「なんでさ?」
「アリスが恥ずかしがっているからだ」
「……え?恥ずかしいの?
アリス」
「もちろん、恥ずかしいわよ……」
覗き込んでくる目を、直視できない。
人前で触れ合っていることも恥ずかしいが、それ以上に触れている部分を過剰に意識してしまう自分が、恥ずかしくて。
しばらく考えた後、ボリスはちょっと不満そうにしながらも離してくれた。
離れる前に、頬に鼻をこすりつけられたのにはドキドキしたが……。
「わざわざ見せつけなくても、私は彼女に何もしないぞ?」
「夢魔さんが何かすると思ってるわけじゃないよ。
ただ見せつけたいだけ」
「……ふう。
おまえも大概困った猫だな。
苦労してるんじゃないか? アリス」
「はは……、まあね」
曖昧に笑っておく。
苦労していないと断言することは、出来ない。
「俺達のことは放っておいていいから。
夢魔さん、見回りの途中なんだろ?
仕事に戻ったら?」
「む、そうだな。
では……ぐはっ」
ヒュッ、ドンッ、ボスンッ。
では、の後に続く言葉が何だったのか、分からない。
言葉を紡ぐ前に、ナイトメアが倒れてしまったから。
否、倒れたのではない。
埋まってしまったのだ。
……巨大な雪玉の下に。
(え)
(ええ?)
(えええええええええ!?)
突然の事態に、思考が停止する。
一体、この雪玉は、どこから現れたのか。
「あれ、アリス。
こんなところで会うなんて、奇遇だなあ」
「……エース?」
固まっていた私達に声をかけてきたのは、ハートの城にいる友人だった。
「やあやあ。
猫君も。久しぶり~」
うっとうしいほど爽やかな笑顔を浮かべた騎士は、手についた雪を払っていた。
(……まさか)
「騎士さん、こんなところで何をしてるのさ?」
ボリスも私と同じことを考えたらしい。
確かめる為に尋ねてみるが、相手はあのエースだ。
「ああ、そうだ。
俺、また道に迷ったみたいなんだ」
わざとなのか天然なのか、質問の意図からずれた答えを返してくる。
「いや、そういうことじゃなくて……。
っていうか、あんた、また迷ってんの?」
「うん、そうだよ。
俺はいつでも迷っているからね。
迷っていないときのほうが珍しいぜ!」
「……自慢げに言うことじゃないと思うわ」
エースの迷子癖は相変わらずらしい。
季節なんか関係ない。
「ちょっと疲れたから、休憩がてら遊んでいたところだったんだ。
君達も一緒に遊ぶ?」
「遊んでいたって……、一人で?」
「そうだよ。
本当は大勢でやるものらしいけど、生憎ここには俺一人しかいないしね」
「何をして遊んでいたの?」
「雪合戦だよ。
知ってる?」
「雪合戦……?」
「そう。
子供がやってるのを見かけたんだけど、凄く楽しそうでさ。
そんなに楽しいなら、俺もやってみようと思って」
確かに、本来は大勢でやる遊びだ。
というより、どうやったって一人で出来る遊びではないはず。
「いや、でも……、一人でどうやって?」
「雪玉を作って、その辺に投げて遊んでいたんだ」
「雪玉を作って……」
「その辺に投げる……」
示し合わせたわけでもないのに、私とボリスの視線は同じ場所に向けられた。
突然現れた、巨大な雪玉に。
(やっぱり……)
「あの雪玉、エースが作ったの?」
「うん。
俺が作って、投げたやつだ」
「なんだって、あんな大きな雪玉作ったのさ……」
「なんとなく。
その方が当たった時のダメージが大きいかなと思って」
確かにダメージは大きいだろう。
一発で相手を倒せる代物だ。
それどころか、下手すれば、怪我するだけではすまないかもしれない。
「……どれだけ大きな雪玉を作ってもいいけど、投げるのはやめたほうがいいと思うわ」
「え?
どうして?」
「せっかくの展示品が壊れちゃうでしょう?」
普通サイズの雪玉ならともかく、この大きさの雪玉が当たれば、せっかくの作品が壊れてしまう。
それは忍びない。
「特に人に投げちゃ駄目よ。
危ないから」
「あはは、君って変なことを言うなあ。
投げる為に作った雪玉を投げちゃいけなんて、矛盾してるぜ」
(矛盾しまくっているのは、あなたの思考回路だと思うけど)
「……普通サイズの雪玉なら投げていいのよ。
ただ、あの大きいのはやめておいたほうが……」
「大きい方がダメージも大きいよ?」
「…・・・うん、それは分かるんだけど。
あなたの作った雪玉の場合、ちょっと大きすぎるっていうか……」
「でも、雪玉作りはユリウスも得意だから、真似してみようかと思って……」
「ユリウスは人に投げたりしないでしょ?」
「そうでもないぜ?」
「……まあ、確かに」
ナイトメアに向かって、巨大な雪だるま……、いや雪玉を投げていたことは記憶に新しい。
「でも、危ないから駄目よ。
特に、あなたは力持ちだし、巨大雪玉で剛速球なんて投げたら……」
物分りの悪いエースに、説得を続ける。
ここで引けば、本気で雪玉による死傷者が出かねない。
この男なら、やる。
「うーん……、わかったよ。
君がそう言うなら、なるべく投げないようにする。
特に人にはね。なるべく、なるべく」
こんこんと説得を続けた結果、なんとか言質を取った。
今すぐ破られても不思議ではない、曖昧な言質だが。
(……また、人に投げそうね)
なるべく早く、エースがこの遊びに飽きてくれることを祈る。
雪玉による死傷者が出る前に。
(死傷者?)
「……あ!
ナイトメア!」
「あ、そういえば」
「?
夢魔さんがどうかしたの?」
「あなたが投げた雪玉の下敷きになっているのよ!」
巨大な雪玉に驚きすぎて、そしてエースに説教することに集中していて、すっかり忘れていた。
既に死傷者候補が出ていたのだ。
慌てて、雪玉をどかす。
「うううう、うげふ……」
「ナイトメア、大丈夫?」
「げふげふ、ぜ、全然大丈夫じゃない……。
寒いし痛い……、うううう」
「ははは、夢魔さん、もっと体を鍛えなきゃ。
こんな雪玉に当たったくらいで大丈夫じゃなくなるなんて」
「当たったというより、押し潰されたといった方が正しいと思うがな。
しかも潰されたまま放置されるし……、うううう、あんまりだ……」
「ご、ごめんなさい。
放置したのは、わざとじゃないのよ?」
「わざとじゃなくても酷すぎるぞ……。
そんなに存在感が薄いというのか、私は……」
ぐったりしているナイトメアを見ていると、罪悪感がわいてくる。
主な原因はエースの雪玉のせいとはいえ、忘れて放置していたのもまずかった。
「ボリス……」
「……仕方ないなあ」
私の言いたいことを理解してくれたらしい猫は、溜息を一つ吐いて、ナイトメアの腕を引っ張った。
「一人で歩くの無理だろうから、塔まで送っていくよ。
デートを中断して送ってあげるんだから、感謝してよね?」
「うううう……。
すまない」
「ああ、でも、塔に帰るのは嫌だ……」
「……放置したままにしてほしいの?」
***
「それじゃあ、よろしくね」
「ああ。
ここまで運んでくれてありがとう。
ナイトメア様が迷惑をかけて……、すまない」
「いいえ。
……かけられている迷惑の度合いからすると、あなたに勝る人はいないと思うし、私なんか全然」
申し訳なさそうに謝るグレイに、気にしないでと伝える。
塔に送り届けるくらい、どうってことはない。
(どちらかというと、今回はナイトメアよりもエースの方が迷惑だったし……)
城に向かっているという騎士は、何故か途中まで私達に同行していた。
かといってナイトメアを運んでくれるわけではなく、あの爽やかな調子でボリスに絡みまくっていた。
途中で何度か刃傷沙汰(発砲沙汰?)にもなりかけた。
おかげで塔までくるのに、余計に時間がかかってしまったというわけだ。
(疲れた……)
なんだか体力とか気力とかを、エースに吸い取られたような気がする。
「しかし……」
「本当にいいから。
それより、早くナイトメアを休ませてあげてちょうだい」
尚も申し訳なさそうなグレイを制し、いつにも増して死にそうな男を指さす。
「ううう、がたがたがた……」
「そうそう。
早くしないと、夢魔さん、本当に死んじゃうよ?」
「それは困るな。
仕事が滞る」
(そこなんだ……)
「……アリス、手を出してくれ」
少し考えこんだ後、グレイは唐突にそう言った。
「何?」
「ナイトメア様を運んでくれた礼……、と言えるかどうか分からないが」
素直に差し出した手の上に置かれたのは手袋だった。
普通の手袋よりも編み糸が太く、暖かそうだ。
「雪像は、見るのもいいが作るのも楽しいんだ。
気が向いたら、作ってみるといい」
ただし素手でやると凍傷になるので必ず手袋をつけるように、と母親みたいなことを言われた。
(雪像か……)
街で見たような、精巧なものは作れないかもしれないけれど、作るのも楽しそうだ。
「……一緒に作ってくれる?」
「もちろん」
ボリスと一緒に作るのなら、もっと楽しそう。
二人で何かを作るというのは、したことがない。
(遊園地のフロートは……。
どちらかというと、ボリスとピアスの共同作業って感じだしね)
見た目からして、そんな雰囲気。
猫とネズミの競演だ。
私は、ちょこっと手伝ってるだけ。
あれはあれで楽しい……のだと前向きに考えているが、取り残されている感も拭えない。
(でも、その前に)
せっかくの楽しみを堪能する為に、先に釘を刺しておかなければいけないことが一つだけ。
フロートで懲りている。
「……先に言っておくけど、魚以外のものを作るからね」
「え、なんで?
いいだろ、魚」
「いいか悪いかは、この際置いておくとして……。
とにかく、魚は駄目」
「え~……」
ボリスは不満そうだが、こればかりは譲れない。
魚の雪像なんて、デートの最中に作るものではない。
いや、それがなくとも、もう飽き飽き。
(もっと、こう……)
「どうせなら、デートっぽいものを作りましょう。
魚じゃなくて」
そう言うと、ボリスは一瞬だけきょとんとした顔をして、嬉しそうに笑った。
「そうだね。
デートだもんな!」
(う)
……自分で言っておいてなんだが、猛烈に恥ずかしい。
素直になることが恥ずかしい私と、斜に構えたところもあるくせにやたらと素直な猫。
(ああ、恥ずかしい)
恥ずかしいが、魚の雪像を作るよりはマシだ。
そう割り切ることにした。
「雪像を作るなら、あちらに行くといい。
広い広場がある」
「ありがとう、グレイ」
何も聞こえなかったように振舞ってくれるグレイに礼を言い、教えられた方へ向かう。
彼は大人で、私達はきっとおままごとのような子供のカップルに映っているのだろう。
***
「魚じゃないなら、何を作る?」
「そうね……猫とか?」
「……それって、デートっぽい?」
「私達の場合は、デートっぽいんじゃない?
猫は、あなただし」
他愛ない話をしながら、並んで歩く。
いつの間にか繋がれた手が暖かい。
一緒に歩く。
手を繋ぐ。
たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。
(……いいのかしら)
ふと、不安になる。
どうしてだろう。
ここ最近、こんな風に突然不安になることが多くなった。
楽しい時に、幸せだと感じる時に、ふっとわく不安。
嘘のように思えてしまう。
光に影が忍び寄るように。
いきなり暗い考えが浮かんできて、そのまま沈んでしまう。
(こんなに幸せで……、いいのかしら)
好きな人が出来て、大切な場所が出来て……この世界にいることを選んだ。
元の世界を捨てて。
それで、本当に良かったのだろうか。
私だけがこんなふうに幸せで、いいのだろうか。
本当に?
嘘じゃなく?
(姉さんは、あんなところにいるのに)
あの暗い場所にいる姉は、幻だと分かっている。
偽物で、嘘であっても、本物のようなあの人が囚われている。
(早く、出してあげなくちゃ)
そうすれば、この罪悪感も薄れるのだろうか。
それとも……。
「アリス」
「え?」
名前を呼ばれたのと同時に、右肩が重くなる。
横を見れば、私の肩に頭を預ける猫が一匹。
「せっかくのデート中に、俺以外のことを考えないでよ」
繋がっている方の腕に、するりと尻尾が絡まる。
甘えるように、慰めるように。
「……そうね、ごめんなさい」
猫は飼い主の感情の浮き沈みに敏感だ。
ふいといなくなることもあるくせに、悲しい時や苦しいときは、そっと寄り添って慰めてくれる。
聡くて、優しい生き物。
「雪像だけじゃなくて、カマクラも作ろうぜ」
「いいわね。
でも、あれってどうやって作るのかしら?」
「トカゲさんに聞いてくればよかったね」
「いや、あれは作りたくて作ったんじゃないらしいから……」
暗く沈むような気持ちに蓋をして、笑う。
ボリスが横にいてくれれば、私は笑える。
***
「ようやく、概観完成……?」
「だね……」
「……ちょっと、歪じゃない?」
「……気にしなくていいと思うよ。
それにほら、トカゲさんの雪像よりはまだマシっていうか……」
(それは確かに……)
この広場に来るまでに見かけた雪像は、どれも非常に残念な出来だった。
辛うじて、もしかしたら、あるいは、という程度の進歩は見られたが。
まあ、グレイのことは置いておくとして。
「カマクラって、作るの大変なのね」
「まさかここまでとは思わなかったよね……」
勧められた広場についた私達は、さっそくカマクラ作り始めた。
雪像も後で作るが、先に大きいものから作ろうと意見が一致した為だ。
単純な形状で簡単そうに見えて、カマクラは結構難しかった。
まず、大量の雪がいる。
あまりに大量の雪が必要だった為、手で作業することを諦め、わざわざ塔までスコップを借りに行ったくらいだ。
重労働の後、ちょっぴり歪だが、ひとまず概観は完成した。
後は中身の雪を掘り出すだけ。
これがまた大変な作業。
入り口部分はともかく、中身は掘り進めつつ、カマクラが崩れないように中の壁を叩いて堅くしなければならない。
根気と力がいる作業だ。
「ふふ」
「?
何?
どうかした?」
「楽しいなって思って」
冬だというのに、私もボリスも汗をかいている。
思うように掘り進められなくて、雪に埋もれそうになった。
遊びというには大変な作業だけれど。
「俺と一緒だから?」
「……うん」
「そうよ。
ボリスと一緒だから、楽しいわ」
素直に頷くと、ボリスはにこーっと笑った。
顔が近づき、鼻の頭を舐められる。
「ちょっと、ボリス……!?
あなた、本当に人目を気にしなさすぎ……っ」
「ここに、人目なんかないよ」
肩を抱かれ、距離が縮まる。
拘束は緩く、少し力を込めれば振り払えそう。
だが、逃げる気にはならなかった。
(あったかい……)
雪で冷えていた体に、ボリスの熱が移ってくる。
同じように作業していたはずなのに、彼は随分と温かかった。
「わっ」
いきなり耳に息を吹きかけられ、驚いて声を上げる。
「な……」
視線を上げれば、悪戯に成功した子供みたいに笑う顔。
「あんまり可愛いこと言わないでよね。
作業に集中できなくなるからさ」
「そ、それは困るわね……」
「だから、そういうのは後で言ってよ。
カマクラが完成した後に。ね」
「……い、言わないわよ。
そうそう……、可愛いことなんか」
私は、いつも、可愛げがない。
「そう?
あんたは、いつも可愛いよ?」
もう一度鼻先に唇が触れて、離れていった。
「~~~~~~~っ」
その後、二人で黙々とカマクラを作り、途中で何度か二人ともが雪に埋もれそうになりながらも、なんとか完成。
「……ちょっと小さくなっちゃったわね」
「いいんじゃない?
どうせ俺とあんたしか入らないんだし」
カマクラは前回のものよりも大分小さい。
むしろ、前回のような大きなものを作れたグレイがすごい。
「入ってみましょう」
ボリスの肩に寄りかかるようにして、狭いスペースに座り込む。
炬燵はないが、それでも外よりは寒くない。
「やっぱり中の方があったかいのね」
(なんで中にいる方が暖かいのかしら?
雪の塊の中だなんて、どう考えても寒そうなのに……)
低い天井を見上げて考えていると、胸元に何かが擦り付けられた。
視線を向ければ、ボリスが頭を擦り付けていた。
「く、くすぐったいわよ」
「ふふ」
触れているところが温かい。
時々髪が首をかすめて、暴れだしそうになる。
「ここでは、俺とあんたの二人きりだよね?」
「?
そうね」
「人目もないよね?」
「ないわね」
「じゃあ、あんたに触ってもいい?」
答えるより先に、頬に手が添えられる。
輪郭をなぞるように滑り、顎を撫でて、唇へ。
「……いいって言う前に、もう触っているじゃない」
「一回おあずけされていたから、待ちきれなくて」
悪びれなく笑いながら、抱きしめられる。
手とは違う熱を持つものが、顔中に触れていく。
優しい、温度。
(気持ちいい)
ただ触れられているだけなのに、気持ちいい。
触れられたところから、柔らかな熱と幸福感が広がっていく。
「……え、ちょ、ボリス」
「うん?
何?」
気持ちよさにうっとり目を閉じていたら、べたべたと触れるだけだった手が侵入までしてきたので慌てて止める。
が、手の持ち主は「なんで止めるの?」と言わんばかりの不思議そうな顔。
「触っていいだろ?」
「触るのはいいけど、それは……。
ほら、ここ、寒いし」
「寒くないだろ?」
「雪だらけの中よ?
寒いに決まっているわ」
「温めてあげる」
「……っ」
正直なところ、体を包む温度のおかげで、寒くはなかった。
ご丁寧なことに、下にはいつの間にかボリスの着ていた上着が敷かれている。
「でも、ボリスは寒いでしょう?」
ファーがあるとはいえ、上着を脱いだボリスは見るからに寒そうだ。
猫は寒さに弱いはずだし……。
「寒くないよ?
充分暖かい」
ぎゅっと抱きしめる力が強くなる。
(……私は暖房器具か)
「でもほら、ここ、カマクラの中とはいえ一応屋外だし、外でべたべたするのは……」
「……むう!?」
抵抗を試みてはみたが、途中で口を塞がた。
舌が痺れるほど、長いキス。
「引っ付きたい。
……駄目?」
(ずるい)
肩で息をする私を見つめて、可愛らしく首を傾げる。
こういう時、ボリスってやっぱり猫なんだなと強く思う。
どうやれば望むものを得られるか分かっていて、甘えてくる狡猾さ。
そして、とんでもないことを平気でやらかす、突飛さ。
(雪の中なのよ、ここ)
「ねえねえ。
駄目?」
「…………」
(……誰も来ませんように)
「風邪引いても知らないから」
遠回しの返事に、猫が笑う。
「そんな酷いこと言わないで。
もし、俺が風邪をひいたら看病してよ」
「嫌よ。
うつされそうだもの」
「あんたが風邪をひいたら、俺が付きっ切りで看病してあげるからさ。
ね?」
「……看病する前に、風邪を引かせないでちょうだい」
じゃれ合いのような会話を交わしながら、服を乱される。
外気に触れた肌が粟立つ。
「……ん」
空気に冷やされたのを温めるように、手が触れる。
「……アリス」
冷たさを確かめるように、指が肌を滑っていく。
「は……」
体に震えが走った。
寒くて、温かくて、こそばゆい。
「っ。
あ……」
また雪が降り出しそうな、冷たい空気。
それなのに、熱は上がっていく。
「ふふ。
可愛いの」
触れて、探って、また触れる。
私は翻弄されるだけ。
寒かったはずなのに、信じられないくらい体が熱を帯びていく。
頭がぼうっとなって、何も考えられなくなる。
(雪の中で、猫と戯れているなんて)
嘘のようだ。
(嘘?
それとも、本当のこと?)
何もかも忘れて、このまま。
「あ」
震える。
思わずボリスの腕を掴むと、手の甲を尻尾が撫でていく。
「……っ」
体が強張る。
「アリス」
「は……」
与えられる刺激に、体が動く。
その拍子に、露になった肌に雪が触れた。
「つっ!?」
(……冷たい)
当たり前だが、雪は冷たい。
体温が上昇している分だけ、余計そう感じられた。
冷たすぎて……、逆に火傷をしたような反応になる。
雪の中に閉じ込められている。
(牢獄の石畳みたい)
肌に触れる冷たさに、何度か迷い込んだ牢獄を思い出す。
冷たく暗い場所。
そこに閉じ込められている人。
離れていても、大事な人。
……私が、元の世界と一緒に捨てた人。
(姉さん)
思い出す。
石畳と鉄格子。
冷たく、硬質でよそよそしい。
そこに囚われ、変わらず微笑んでいる人。
(姉さん)
体の芯から、冷たいものが急速に広がっていく。
氷の手で心臓を掴まれたみたいに。
囚われた幻。
捨てた場所。
(捨てたくせに、会いたい)
会いたい。
会って、許してほしい。
他のものを選んだことを。
幸せでいることを、姉に許して欲しい。
そうでないと、いつまでも……。
「アリス」
額に、頬に、唇に、首筋に。
唇が触れる。
優しい熱が、私を暗い思考から引っ張り上げる。
(ここは、違う)
監獄ではない。
冷たくとも、暗い場所ではない。
「こういう時に、他のことを考えないでよ。
寂しくなるだろ」
「……うん、ごめん」
ボリスの首に腕をまわす。
冷えた体が、温まっていく。
「ごめんね、ボリス」
(ごめんなさい)
好きな人。
大切にしたい人。
悲しい時は慰めてくれて、寒い時は温めてくれる人。
それなのに、私はボリスを不安にさせてばかりだ。
迷子になっては心配をかけて、迎えに来てもらわなければ帰ることもできず。
心配や迷惑ばかりかけて、貰ってばかりで、なのに何も返すことが出来なくて。
それなのに、ボリスはちゃんと返してもらっていると笑ってくれる。
傍にいて、抱きしめて、好きだと言ってくれる。
(今は)
今は、そう。
じゃあ、これからは?
変わらない保証なんて、どこにもない。
それが、たまらなく不安になる。
(不安ばっかり)
これから先の不安。
こんなふうでいていいのかという不安。
不安ばかり抱えて、自分のことだけで一杯一杯で、ボリスには何もしてあげられない。
(情けない)
本当は、もっと色んなことをしてあげたい。
貰っているたくさんのものを、同じだけ返したい。
ボリスが私にそうしてくれるように、ボリスを幸せにしてあげたい。
(それなのに、私は……)
「アリス」
「 」
甘く囁かれた言葉。
視線が合うと、ボリスは笑った。
(……ああ)
強く強く抱きしめ、目を閉じる。
同じだけの強さで抱き返してくれることに、こんなにも安心する。
不安になって、たった一言でそれが軽くなって、でもそんな状況にさらに不安になって。
堂々巡り。
(前進なんか、ちっともしてない)
執着は、している。
好きという気持ちと、離れたくないという執着。
それはけして後ろ向きなものでも、悪いものでもないけれど、前進には繋がらない。
前には進まず、巡ってばかり。
(それでも、構わない)
前進する必要性なんか感じない。
ただ、一緒にいられたらいい。
変わらずに、ずっと。
それが自然で、当たり前のことになるくらい。
不安など、感じる隙間さえなくなるほど。
そうすれば、きっと。
(季節を変えれずにいられる?)
怯えすぎて、自分で変えた季節であっても。
▲▲▲FIN.▲▲