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ジョーカーの国のアリス

『一人ぼっちが二人分 ■一人ぼっちが二人分(後)』

▼▼▼本編▼▼▼

 

 

 

 

 

「やあ。

おかえり、アリス。

君も、どこかに出掛けていたんだ?」

 

そう言いながら、エースが近づいてきた。

 

いつも通りの爽やかな笑顔を浮かべて。

 

「ただいま。

うん、まあ、ちょっとね……」

 

エースの問いに、私は言葉を濁した。

 

なんとなく、ジョーカーに会っていたとは言いにくい。

この間の……牢獄での出来事を思い出せば、尚更。

 

(仕事仲間って言っていたけど)

 

ホワイトさんは、そう言っていた。

自分の手駒なのだ、と。

 

(エースが手駒?)

ぴんとこない。

彼をそういった意味で動かせるのは、ユリウスだけだと思っていた。

 

(それに、手駒なんていう割には……)

 

仲はよくなさそうだった。

ユリウスとエースのような親しさは感じられなかった。

 

(立場に、中身が伴っていないのかしら)

 

手駒なんていうふうに言われても、それは名目だけのことなのかもしれない。

 

(ハートの騎士っていうのと同じで?)

 

かといって、ペーターやビバルディを相手にしている時とも違っていたように思う。

同じように武器を手に向き合っていても、もっと……。

 

(…………)

(……やめよう)

 

あの時のことは、思い出すだけで気分が悪くなる。

 

あんな思いをする必要などない。

今はすべてが揃った季節の中。

 

(……安定、してくれたらいいのに)

 

ここにはユリウスがいる。

欠けているものなどないのに、彼はそれでもどこか不安定なまま。

 

迷わず、安逸でいてくれたら……、ここまで不安にならずにすむのに。

 

たとえエースが怪我をしても、この世界では別れがとても身近なものなのだと感じても。

彼が安定してくれていれば、こんなには。

 

「アリス?」

「……っ」

 

耳元で名前を呼ばれた。

睦言を囁くように、甘い声で。

 

反射のように、背筋が粟立つ。

慌てて距離を取ろうとしたが、腕を捕まれて、離れるどころか抱き込まれてしまった。

 

「考え事?」

「え、ええ……。

……って、そうじゃなくて!何なの!?

離してよ!」

 

「ははははは」

「笑って誤魔化さないで!」

 

「スキンシップだよ。

好意の表れさ」

「もう……!

何を言っているの」

「はは」

 

スキンシップというには過ぎた触れ合いに抵抗するも、笑って流されてしまった。

 

「まあまあ、いいじゃないか、このくらい。

そんなことより、アリス。

俺と出掛けない?」

「え……」

 

相手の胸を押していた腕から、力が抜ける。

そんな私の反応に、エースは首を傾げた。

 

「ん?

俺と出掛けるの、嫌?」

「ううん、そうじゃなくて……。

……私も、一緒に出掛けようって、誘おうと思っていたから」

 

誘おうと思っていた相手から誘われたから、そのタイミングのよさに驚いたのだ。

 

「あ、そうなんだ?

君はどこに行くつもりだったの?」

「私は、夏の領土にある森の奥に行こうと思って……」

 

遊園地に住む友人が教えてくれた場所を思い出す。

 

その友人と見た、幻想的な光景も。

 

(問題は、夜じゃないと見られないってことよね……)

 

ちらりと空を見上げれば、見事な青空。

この世界は規則正しく時間が進むわけではないから、もうすぐ夜になる可能性も低くはない。

だが、同じだけ、まったく夜にならない可能性もある。

 

「ふうん。

夏の森、ね。

じゃあ、今回はそっちに行こうか」

「え、いいの?

あなた、行きたいところがあったんじゃないの?」

 

「俺のは、今度でいいよ。

ちょうど季節も夏に変わったみたいだし、君が行きたいところに行こう」

 

エースの言葉に、ぎくりとする。

 

季節を変えたのは、私だ。

ジョーカーに頼んで、外の季節を変えてもらった。

 

「俺の方は、次の機会にでも付き合ってくれよ」

 

エースはいつも通り、からりと笑ったまま。

それなのに、どうしてこんなに……薄ら寒く感じるのだろう。

 

「……何か怒っている?」

 

「怒る? どうして?

俺に怒られるようなことを、したの?」

「していない、と思う。

けど……」

 

エースを怒らせるようなことをした覚えは、ない。

 

ただこの男はちょっと複雑で、どこに怒りのツボがあるのか、いまだ把握できかねているところがある。

だから、断言は出来ない。

 

(……分からないことばっかり)

 

この世界は、元々分からないことだらけだった。

私にとっては信じられないような、おかしな世界。

 

エースは、まるでこの世界そのもののようだと感じる時がある。

 

迷い、迷わせる。

人を混乱させると同時に、それそのものが混乱の渦中にある。

 

長くいれば慣れは出てくるものの、それでもすべてが分かるわけではない。

それなりに馴染んだと思ったら、私の知らないおかしなところが新たに出てくる。

 

知ったつもりになった途端、引越しやエイプリル・シーズンが起こったように。

けして安定せず、安心させてくれない。

 

油断、出来ない。

 

(エースも、同じ)

 

(安定してなくて、次々色んな面が見えてきて……)

 

ハートの騎士。

時計屋の手駒。

 

……処刑人。

 

たくさんの肩書きや呼称を持つ人。

いくつもの面を持つ、彼こそピエロのようだ。

 

仮面によって顔を覆っている。

 

不安定に見えるのは、観客であるところの私が彼を把握したがっているためなのかもしれない。

見てはいけない舞台裏を覗きこむ、自分の不安定さを彼に投影しているのかも……。

 

(……駄目駄目。

こんなの、今考えることじゃないわ)

 

穏やかな気持ちの中で、ふってわく不安。

 

エイプリル・シーズンになってから、こういうことが多くなった。

 

以前のような、あからさまなものではない。

危機感や不安を抱く状況ではないのに……、だからこそ怖くなる。

 

安心した端から不安になって、本当だと思った途端に嘘に思えてくる。

何が本当なのか、分からなくなってしまう。

 

「また、考え込んでいる」

「癖なのよ」

「悪癖だよ、考えすぎるのはよくない」

「ええ。

……そうよね」

 

(どうせ考えるのなら、楽しいことを考えましょう)

 

嘘だっていい。

本当のことなど、追い求めてどうなるものでもない。

 

華やかで明るい春に、こんな思考は似合わない。

 

もっと、楽しいことを。

 

「あなた、今帰ってきたばかりなんでしょう?

どうせまた旅っていうくらいに長い行程だったんだろうし……少し城で休んでいく?」

「そんな必要ないぜ。

今すぐ出掛けよう」

 

そう言って、エースは歩き出そうとした。

 

(元気だなあ……)

 

「待ちなさい、エースくん!」

「ペーター?」

 

ビバルディと話していた(口論していた?)ペーターが、私とエースの間に割り込んできた。

 

「アリスは僕と出掛けるんです!

君は一人で適当にその辺をふらふらしていなさい」

「ははは、何を言い出すんだ、ペーターさん。

彼女は、これから俺と出掛けるんだぜ?」

 

素早い動きで、エースが私の手を引く。

ペーターから隠すように、背に庇われた。

 

「いいえ、彼女は僕と出掛けるんです!

そうですよね?

アリス」

「え?

えええ?」

 

(そんな約束……、していないわよね?)

 

記憶を掘り返すが、白ウサギと出掛ける約束をした覚えはない。

 

「あの……」

 

「だいたい、そんな汚れた手で彼女に触らないでくださいよ!

アリスまで汚れしまうでしょうっ」

「ペーターさんが言うほど汚れてないって」

 

「えーと……」

 

「いいえ、雑菌だらけで、黴菌だらけのはずです。

だから彼女から離れてください。

雑菌がうつる前に!」

「本当に酷いなあ、ペーターさん。

俺、そこまで汚れてないのに……」

 

どうやら、二人の耳には私の声が届いていないらしい。

主に騒いでいるのはペーターだけのような気もするが、賑やかだ。

 

(……どうしよう)

 

収まりそうにない口論に、辟易しつつも打開策を考える。

 

すっかり出掛けるつもりでいたのだ。

気が削がれてしまう。

 

(ビバルディは……)

 

期待を込めて、騒ぐ二人の上司を見た。

ペーターとエースに花を散らされたことに憤慨しつつも、女王様はまだお茶会を続けていた。

 

優雅にティーカップを傾けるビバルディと、視線が合う。

彼女は春の花々に劣らぬ華やかな笑顔を浮かべて……。

 

頑張れ。

 

一言、声を伴わない声援をくれた。

 

(助けてくれる気はないんだ……)

助ける気がないどころか、こちらの状況を楽しんでいるような気がする。

 

苛立っていた分、自分を振り回した部下が振り回されるのを見るのが楽しいのだろう。

いい余興だというのがひしひしと伝わってきた。

 

(……えーと。

どうしよう)

 

ビバルディの助力が仰げないのなら、自力でなんとかするしかない。

同僚達やキングでは、この二人を止めることは無理だろう。

 

(うーん……)

 

「……ペーター」

 

「はい!

なんですか、アリス?」

「申し訳ないんだけど……」

 

二人の会話に割り込んで、ペーターの誘いを断る。

なんのことはない、平凡な選択だ。

 

「私、エースと出掛けるから……」

「……そう、ですか」

 

(う……)

 

平凡だが、確実で手っ取り早い。

そしてこちらの罪悪感も疼く選択だ。

 

しょんぼりと垂れたウサギ耳が、さらに罪悪感を刺激する。

 

「ご、ごめんね?」

 

「いえ、あなたがそう言うのでしたら……」

「ははは。

残念だったね、ペーターさん」

 

(あんたは黙っていなさいよっ)

 

横から余計な茶々を入れられて、睨む。

申し訳ないながらも、丸くおさまりそうだったというのに。

 

「……ええ、本当に残念ですよ。

彼女と出掛けるのが君だなんて……」

「羨ましい?」

「羨ましいですね。

羨ましすぎて……、殺したくなります」

 

「じ、じゃあ、エース!

私達は出掛けましょうか!」

 

ペーターの手が時計に伸びたのを見て、私は殊更大声でエースに話しかけた。

このままだと確実に銃撃戦コースだ。

 

「今すぐ出掛けましょう!

すぐに!今すぐ!」

「ん?

ああ、そうだね。

じゃあ、出掛けようか」

 

こちらの意図が分かっているのかいないのか。

エースはにっこり笑って頷いた。

 

「でも、残念。

障害を乗り越えたほうが燃えるのに」

 

「……向かうのは夏なんだから、そんな暑苦しい展開は必要ないわ」

 

夏でなくとも、諍いなど必要ない。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……人が多いわね」

「そうだな。

はは、盛況だ」

「運が悪いわね。

縁日が開かれているなんて……」

 

あの後、二人の間で流血沙汰が起こることもなく、私達は無事に城を出発した。

 

ペーターは、私に関することにはムキになる反面、引いてくれる。

しかし、この騎士ときたら……。

 

最後の最後までエースがペーターに絡んでいたせいで、はらはらして、出かける前から疲れてしまった。

 

(その上、この人ごみだし……)

 

「縁日って、嬉しいものじゃないのか?

君、こういうの好きそうじゃないか」

「……ええ、好きよ。

元気のあるときならね」

 

今は、あまりの人の多さに、辟易している。

 

「お父さん、あれ買って!」

「ねえねえ、射的やろうよ。

どっちが多く景品取れるか、競争しよう」

「金魚、取れなかったぁ……」

 

夏の領土に来たのだが、目的地へ向かう途中で、ちょうど縁日が開かれていた。

 

ずらりと並んだ出店に、賑わう人々。

楽しそうな笑い声。

 

(歩きづらいなあ)

 

縁日を目的に来たのなら、人々に混じって、私達も楽しめただろう。

だが生憎、今回はこれが目的ではない。

 

目的は別にある。

 

そうすると、途端に何もかもが色あせて見えてしまう。

楽しさを助長するざわめく人々も、障害物としか感じられない。

 

(せっかく夜になったのに……)

 

ここに来るまでの間に、タイミングよく、時間帯が夜に変わっていた。

今のうちにあの場所に行きたいのに、思うように前に進めずイライラする。

 

(ああ、ビバルディの気持ち、今なら分かるかもしれない)

 

思うとおりにいかず、イライラ。

子供のように癇癪を起こしそう。

 

(一回横道に逸れた方が早いかしら?

出店の裏に出て、そっち側を歩けば……)

 

「……わっ!?」

 

考え事をしながら歩いていたせいか、人にぶつかってしまった。

 

倒れたりすることはなかったが、この人ごみだ。

持ち直す間に、私とエースの間に人が入り込んでくる。

 

「っと。

大丈夫?」

 

そんな人波の隙間から、エースの手が伸びてくる。

はぐれないよう、しっかりと手を握られた。

 

「大丈夫よ。

ごめんなさい」

 

謝りつつ、こちらも手を握り返す。

手袋越しに感じる温もりに、安心する。

 

(こんなところではぐれたら、おしまいだものね……)

 

エースが相手なら、特に。

こんな人ごみの中でなくとも、一度はぐれたら合流するのは難しい。

 

「これ、別の道を行った方が早いんじゃないか?」

「……そうね。

一回横に抜けましょうか」

「ああ、任せてくれ!」

 

「え……?」

 

(ええ!?)

 

返事をするやいなや、エースは私の腕を引っ張って、ぐいぐい歩き始めた。

 

「わわ!?」

出店の隙間を通り、そのままずんずん進んでいく。

 

「エース!?

どこに行こうとしているの!?」

「え? もちろん、森の奥だよ。

近道をしようと思って」

 

「そっちに行っても近道にはならないわよ!!?」

 

いつまで経ってもまっすぐ進み続けるエースに、たまらず声をかける。

 

目的地は、出店が並んでいた大通りをまっすぐ行った先にあったのだ。

一度横に抜けたのなら、方向転換しなければいけないはず。

 

だが、迷うのが特技であるエースには、そんなことを言っても通じない。

 

「そんなことないよ。

こっちに行けば、近いはず……」

「ないないないない。

そんなはずないからっ」

 

(ろくに考えずに進んでいるでしょう!?)

自信満々に違う道を行くエースを止めようと、足を突っ張る。

 

しかし、迷子は歩みを止めない。

 

「はははは、大丈夫だって。

俺を信じてくれ。

きっと、こっちが近道のはずだから!」

「きっと、とか言っている時点で信じられないわよ!?」

 

大体、私が案内するはずの場所だ。

エースが詳しいわけがない。

 

「……そんなに、俺が信用できない?」

「……!」

 

私の抵抗など風か何かのように受け流していたエースが、ぴたりと止まった。

 

「迷うって、思っている?」

そして、いきなり顔を近づけてくる。

 

「し、信用できないわよ……。

だって、あなた、いつも迷子になってばかりじゃない……」

 

急に近くなった距離に動揺しながら、言葉を紡いだ。

少しでも動けば、キスしてしまいそうな距離だ。

 

(今更なのに……)

 

キスなんて、もう数えられないくらいした。

それ以上のことだって、何度も。

 

それなのに、こんなにドキドキする。

 

「そうだね。

たしかに、俺はいつも迷ってばかりだけど……」

 

こんなに近い位置に顔があるのに、エースに何かするつもりはないらしい。

掴まれた腕にも、いつの間にか腰にまわされた手にも、そういったニュアンスは感じない。

 

珍しいことだ。

……そう思ってしまう私は、爛れているのだろうか。

 

「たまには、迷わないこともあるんだぜ?」

 

(……知っているわ)

 

そんなの、知っている。

 

迷ってばかりの騎士が、迷わず来てくれた。

あの時。

 

(でも……)

 

「今回迷わないって保証はないでしょう……っ」

 

というより、迷う保証だらけだ。

 

どう考えても、目的地とは別の方向に向かっているのだから。

 

「ははは、そうだな。

でも、それはそれでいいだろ?」

「よくないわよ!」

 

「え~?

いいと思うけどな。

君と旅が出来るんだからさ」

「私は旅なんてしたくないの!」

 

「……ふう。

仕方ないなあ」

 

「…………」

(先導するの、諦めてくれた?)

 

仕方ないといった様子のエースに、離してくれることを期待する。

だが、期待は所詮期待でしかなく。

 

騎士の辞書に、「諦める」などという言葉は載っていないのだろう。

 

「よ……っと」

「!?」

 

「!!!?!?!!?」

 

次の瞬間、私はエースに抱き上げられていた。

いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。

 

「え?」

 

「えええ???」

 

(いきなり何……!?)

 

「さて、じゃあ行こうか!」

「いやいやいやいやっ。

行こうか、じゃないわよ!

何なの、これ!?」

 

そのまま歩き出そうとするエースに、抗議する。

この体勢が恥ずかしいというのもあるが、それ以上に……訳が分からない。

 

「何って……。

……俗に言う、お姫様抱っこ?」

「そういうことじゃなくて!

なんで私を抱き上げるの!?」

 

「だって、君が素直に俺について来てくれないからさあ。

それなら、抱き上げて運ぶしかないだろ?」

「こっちに進むのをやめればいいだけでしょう」

「俺はこっちに進みたい」

「私は進みたくないの!」

 

そんな会話を交わしながらも、エースは歩き続けている。

道なき道……俗に獣道と呼ばれる道を。

 

「ちょっと、下ろして……っ。

本当に、道、間違えているから!

こっちじゃないから!」

「大丈夫、大丈夫。

君は安心して、ゆっくり寛いでいてくれ」

「この状況で、どうやって寛げっていうの……!?」

 

「そのうち、着くからさ」

「着かないわよ!

少なくとも、目的地には着かない!」

 

「だけど、どこかには着くさ」

「どこによ!?」

「どこか、だよ」

 

暴れたくても、腕と足をがっしりホールドされているので、それも出来ない。

 

自ら道案内を頼んできたことさえあるのに、今回のエースは頑なだった。

そして、いつも通りに強引。

 

「エースってば……!」

「はいはい。

……そんなに興奮しないで、落ち着いてよ」

 

にこやかに笑いながら、エースはそう言って顔を寄せてきた。

 

「……ん」

「…………」

 

「……っ」

「……~~~~~っ」

「~~~~~~~~~~っ」

 

「……落ち着いた?」

「~~~~~~っ!」

 

(落ち着くわけがないでしょう……っ!)

 

落ち着けというなら、軽いキスに留めておいてほしい。

熱を煽るような激しさは、相応しくないと思う。

 

「さてさて。

それじゃあ、今度こそ、目的地に向かって出発しようか!」

そう言って、まっすぐ進んでいく、エース。

 

(……もう、勝手にして)

 

今のキスで、呼吸だけでなく気力まで根こそぎ奪われてしまった。

元々、疲れていたのだ。

 

どうせジョーカーに頼まない限り季節は変わらない。

幸い次の仕事の予定は、だいぶ先だし……、少しくらい寄り道しても構わないだろう。

 

(少しですめばいいけど……)

 

少し程度ですんだことは、記憶するところによると一度もない。

 

「もうすぐ、着くよ!」

「……もうすぐ、ね」

 

ぐったりとしている私を抱えたまま、エースは森の奥へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「ねえ、いい加減下ろしてよ」

 

「ん?

なんで?」

「この体勢が恥ずかしいからよ……」

 

やっぱりというか、エースは迷った。

出だしから迷っているようなものなのだから、たどり着くはずもない。

 

当然のことといえば、しごく当然のこと。

あれから一度時間帯が変わったが、まだ目的地に辿り着かない。

 

(それどころか、ぐるぐる回って……、結局最初の場所に戻ってきているし)

 

遠くから聞こえてくる縁日のざわめき。

木々の様子。

 

間違いない。

ここは、最初の……エースに無理やりキスで黙らされた場所だ。

 

(まあ、ここからなら目的地に行きやすいから、迷子の結果としてはまずまずだけど……)

 

現在地がどこか分からなくなるよりは、最初の地点に戻ってきた方がずっと楽。

諦めない騎士と違って、私は諦めの境地に至っている。

 

そんなことより、今はこの体勢のほうが問題だ。

 

「恥ずかしいから、おろして……」

「そんなの気にしなくていいじゃないか。

どうせ誰も見ていないんだし……」

「誰も見ていなくても恥ずかしいの!」

 

森に踏み込んでからずっと、エースは私を抱きかかえたまま。

 

人目がないとはいえ、この体勢は恥ずかしい。

 

目がなくとも、ざわめきと気配は感じるのだ。

羞恥心がわきあがる。

 

「え~……」

「え~、じゃないわよ!

いいから下・ろ・し・て!」

 

いくらか気力が戻ってきたので、自分で歩くから下ろしてくれと頼んでいるが聞き入れられない。

 

何が不満なのか、エースは私を下ろそうとしない。

人を抱きかかえて歩くなんて、エースにとっても疲れるだけでいいことなどないと思うのだが……。

 

「なんで、そんなに下りたがるんだ?」

「だから、恥ずかしいんだって言っているでしょう!

何回言えば分かるの!?」

 

「恥ずかしい、ねえ……」

 

意味を咀嚼するように呟きながら、エースは首を捻る。

 

「つまり、君が恥ずかしいって思わなければ、このまま抱えていてもいいってこと?」

「有り得ないわ!

恥ずかしいって思わなくなることが、まずないわよ!」

 

「いや、そんなことないと思うぜ?」

にこっとエースは笑う。

 

何故か、ぞくっと背筋が寒くなった。

 

「たとえば……」

「っ!?」

 

首筋に生暖かい息がかかる。

 

「!!!?」

「エース……っ!?」

 

次いで、息ではなく生ぬるいものが首に触れた。

覚えのある感触に、頬が熱くなる。

 

「な、何をするの!?」

「いや、こういうことをすれば、お姫様抱っこくらいで恥ずかしいって思わなくなるかなと思って」

 

「……あなたが一番恥ずかしいわよ」

そんなことを言い出すなんて。

 

確かに今の体勢を恥ずかしいと思う余裕はなくなるだろうが……、別の意味で今以上に恥ずかしくなる。

 

「……っ!!」

 

「……っ、やめてよ……っ」

「え、なんで?」

「なんで、じゃない!」

 

「おろせって言ったり、やめろって言ったり……。

注文が多いなあ」

「どうせ、何を言っても、いうことをきかないじゃない」

 

「……よく分かっているじゃないか」

首を這う生ぬるさは、動きを止めない。

 

「……っ!?」

 

「……エースっ」

止まらない。

それどころか、エースの行動はエスカレートしていく。

やめてと頼んでいるのに。

 

彼は、ペーターのように私のいうことを聞いたりしない。

肝心のときにも、そうでないときにも、何一つ……。

 

「んー?」

「だから、やめてって……っ」

 

可愛らしい音を立てて、首筋を吸われた。

ちくりとした痛みとそれ以外の何かに、毛が逆立つような感覚を味わう。

 

「……騎士さん。

その辺でやめてあげたら?」

 

「そ、そうよ!

やめなさい!」

「ほら。

アリスも嫌がってるみたいだしさ」

 

「え、嫌なの?

アリス」

「い、嫌っていうか……。

だから、恥ずかしいのよ!」

 

「まあ、そんな体勢でそんなことされたら、恥ずかしいよね~」

「そうよ!

ものすごく恥ずかしいわ!」

 

「そういうことやるのを止める気はないけど、ここではちょっとやめてほしいな」

「ええ、ええ!

ここではやめてほしいわ!」

 

「さすがに目の前でおっぱじめられるのは、俺も勘弁してほしいし」

「そうよ、目の前で……。

……え?」

 

(!?)

 

いつのまにか会話に混ざっていた声。

 

「!」

聞き覚えのあるそれに、ぎょっとして振り向く。

 

「ボリス!?」

 

「や、アリス」

 

振り向いた先、葉の生い茂る木の枝に、見慣れたピンク色の猫が寝そべっていた。

 

「い、いつからそこに!?」

「いつからって……。

あんた達が来る前からだよ。

ここで寝てたんだ、気持ちよく……いい夢をみていたのに」

 

くあっと欠伸をしながら、猫はそう言った。

 

(私達が来る前から……ってことは……)

 

「あの……」

「びっくりしたよ。

なんか騒がしいと思って下見たら、いきなりキスしてるんだもん」

 

(やっぱり……!)

 

エースに抱きかかえられたまま、頭を抱えた。

見知らぬ人にキスしているところを見られるのは恥ずかしいが、知人はその比ではない。

 

「しかも、どこかに行ったと思ったら戻ってきて、今度はあんなことやり始めるしさ」

「!!!」

 

今の話だけではなく、本当に最初から。

迷子になる前のやりとりまで見られていたのか。

 

(は、恥ずかしい。

ものすごく恥ずかしい……っ)

 

顔からさっと血の気が引き、次の瞬間には引いた以上の量が戻ってきた。

触れたら火傷するんじゃないかと思うほど、頬が熱い。

 

「はははは。

覗きなんて悪趣味だなあ、猫くん」

「好きで覗いたんじゃないよ。

後からやってきて、勝手に始めたあんた達が悪い」

 

ボリスの言うことは、もっともだ。

 

しかも、彼がいたのは木の上。

見なかったふりをして、その場を立ち去ることさえ出来ない。

 

この場合、明らかに、悪いのは私達。

 

「で、騎士さん。

下ろしてあげないの?」

「え?

下ろす必要ないだろ?」

 

「……アリス、すっごい顔になってるけど?」

「ん?

……あ、ほんとだ」

 

(すっごい顔って、どんな顔よ……)

 

とりあえず、頑固な騎士の心を動かすくらいにはすごい顔らしい。

エースは私を下ろしてくれた。

 

「……あ。

そうだ、猫くん。

川のある森に行くには、どっちに行けばいい?」

「は? 川のある森?」

 

恥ずかしさのあまり顔を上げられない私の横で、エースは平然とボリスに道を尋ねている。

 

「それなら、この道をまっすぐ行けば着くけど?」

「お、そうなんだ。

ありがとう、猫くん!」

 

「別にいいけど……。

あそこに何しに行くのさ?」

「あ、そういえば、俺も何しに行くのか知らないな」

「おいおい……」

 

「なあ、アリス。

何しに行くんだ?」

 

「…………」

肩を揺すられ、私はのろのろと顔を上げた。

 

(どうして、こんなに平然としていられるのかしら……)

 

エースもボリスも、あまりにいつも通りすぎる。

恥ずかしがっている私のほうがおかしいような気になってきた。

 

「蛍を見に行くのよ。

あの森の奥に、蛍が出るの」

 

「へえ、そうなんだ?

知らなかったよ?」

目を丸くしてそう言ったのは、眠そうにしていたチェシャ猫だった。

 

「あんた、よく知ってたね?

夏の領土のことなのに」

「私も、人に教えてもらったのよ」

 

そういえば、彼はあの場所のことを、ジョーカーに教えてもらったと言っていたなと、この時になってようやく思い出す。

 

(ジョーカーはどうやって見つけたのかしら?)

 

記憶にある限り、彼らはあの森から出てこない。

サーカスの森と……監獄以外の場所では、見かけないのに。

 

「っ!?」

 

ジョーカーのことを考えていたら、いきなり肩を抱かれた。

誰に、なんて、考えるまでもない。

 

「エース……?」

「道も分かったことだし、行こうか、アリス」

「あ、うん……」

 

「猫くんも、ありがとう。

道を教えてくれて」

「どういたしまして。

次から、いちゃつく時は周りを確認しなよ」

 

(いちゃ……っ!?)

 

「ははは、気をつけるよ!」

 

ボリスの言葉に、おさまりかけた熱さが再度ぶりかえしてくる。

そんな私に気づかず、エースは朗らかに挨拶して、ボリスに教えられた方向へと歩き出した。

 

肩を抱かれたままだったため、私も無理やり歩かされる。

 

「ボリス、あの……」

「ん?」

「……道を教えてくれて、ありがとう!」

 

お礼だけは言わなければと、顔だけ後ろを向いて声を張り上げる。

 

「うん。

どういたしまして」

 

猫は寝そべったまま、ひらりと尻尾を振った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「ここ?」

 

「ええ、ここよ」

 

あれからしばらく歩いて、私達は目的地に辿り着いた。

 

「後は、夜になるのを待てばいいわ」

「夜かあ……。

早くなるといいけどな」

「そうね」

 

話しながら、空を仰ぐ。

夕日で赤く染まった空が変化する気配は、今のところない。

 

ここでは、何もかもが唐突だ。

突然、変わる。

 

「……あの、エース」

「ん?」

「気のせいならいいんだけど……」

「???」

 

首を傾げるエースを、ちらりと見る。

こうしていれば、いつもと変わらず見えるが……。

 

「あなた、もしかして……、機嫌が悪い?」

 

正確にいえば、機嫌が悪いというのとは違う気がする。

ただ、なんというか……いつもと違う。

 

(安定していない)

 

いつも不安定な男だ。

だが、いつもとは違った形でぶれている。

 

「……どうして、そう思うんだ?」

 

(っていうことは、当たりね。

やっぱり、不安定)

 

「特に理由があるわけじゃないんだけど、なんとなく、そうかなって」

 

うまく説明できない。

明確な理由があってのことではない。

ただ、なんとなく……、そう感じただけ。

 

「……うーん、そうだな」

「え……っ」

 

肩を抱いていた手に、力がこもる。

突如かけられた負荷に、体のバランスを崩す。

 

(え、わ……!?)

 

いきなりのことに慌てている間に、腰に手が添えられた。

ふわりと、優しく地面に横たえられる。

 

「エース……?」

「機嫌が悪いっていうわけじゃ、ないんだけど……」

 

「!!?」

「ん……っ」

 

(い、いきなり何……!?)

 

「う……」

ボリスに見られていたキスよりも、もっと唐突に……深く始まるキス。

 

「…………っ」

 

「気に入らない……のかな?

いや、どうだろう……」

 

「は……っ」

「……ぁ」

 

「出来れば……、あんまり近づいてほしくないんだよね。

ジョーカーさんには、さ」

「……ぅ」

 

提案するような、窺うような言葉。

しかし、行動はそんな控えめなものではなかった。

 

「ジョーカーさんっていうか、あそこに近づいてほしくないんだよね……」

 

深く舌を割り込ませ、こちらの言葉を奪いながら、エース自身は器用にキスの合間に言葉を紡ぐ。

 

「……迷うにしても、俺のいるほうへ迷い込んでくれればいいのに。

そうすれば……」

 

「…………エースっ」

 

話しながら、エースはするりと服の下に手を潜り込ませてきた。

 

「あなた、何するつもり!?」

「ん?

そりゃあ、もちろん……」

 

嫌な予感。

尋ねるなんて、愚かなこと。

最後まで言わせたらおしまいだ。

 

「言わなくていい!

言わなくていいから、やめて!」

「え、なんで?」

 

(なんで、じゃないわよ……っ)

 

私達は蛍を見に来たのだ。

こんなことをしにきたのでは、ない。

 

外でこういうことをすることにも抵抗があるし、いつもと違うことが引っかかった。

 

エースの行動が唐突なのは、今に始まったことではない。

こちらの予想の斜め上を、常に行くような男だ。

 

けれど、今回のこれはいつもと違う気がした。

 

エースと付き合うには、本能というか……嗅覚のようなものを必要とする。

いつもと違う、危険なにおい。

それを嗅ぎわけないと、後でとんでもなく厄介なことになる。

 

(……厄介な男)

彼は、私がこの世界に来る前から避け続けていた厄介ごと、そのものだ。

 

人を愚かにして、身を滅ぼすようなめにあわせる。

その象徴のような人。

 

恋そのもの。

 

炎のように激しくて、同時に冷や水をかけるような冷たさを持つ。

熱中させて、突き落とす。

 

「いいだろ?

俺達、恋人同士なんだし」

 

「よくない、よくない!」

「いいから、いいから」

「あ……っ」

 

(だから、よくないって言っているでしょう……っ!)

 

抗議は声にならなかった。

せめてもの抵抗に、エースに背を向けて、体を縮こませてみたが……。

 

「ん……っ」

「っ」

「……~~~っ」

 

……全然抵抗にならなかった。

 

「……っ」

 

手袋をはずした手が、私に触れる。

普段とは違う感触と熱に、肌が粟立つ。

 

「……なあ、アリス。

あそこに、あんまり近づいてほしくないんだ」

「あそ、こって……、どこ……っ」

「サーカスの森だよ。

それから……、あの、監獄」

「……んっ」

 

「それはそれで、安心もするんだけどね。

君が変わってないから、何度も繰り返す……」

 

エースの手が、首を撫でる。

 

気道の位置を確かめるように、ゆっくりと。

 

「…………っ」

 

恋人といっていい相手の愛撫をこんなふうに思う、私がおかしいのだろうか。

 

体は熱くなっているのに。

エースの体温も、同じように上がっているはずなのに。

 

それなのに、首元が冷たくなった。

彼の指が触れているところが、急激に冷えていく。

 

まるで、そこに剣でも突きつけられているかのよう。

 

(エース……?)

 

エースは笑っている。

 

裏表を感じないのも、いつものこと。

それなのに、その笑みは寒々しく感じられて。

 

「……望んでいても、嫌なんだよね。

やっぱり、君を他の奴に汚されている気がするっていうか……」

 

「な、んなの、それ……。

知らない、わよ……っ」

 

私はそんな清らかな精神は持ち合わせていないし、汚したというのならジョーカーなんかよりエースだ。

 

「そんなの、エースのほうがよっぽど……」

「冷たいこと、言わないでくれよ」

「冷たく、なんか……、ないわよ……っ」

 

声が、掠れる。

体を侵していく熱のせいで。

 

(冷たくなんか、ない)

 

ジョーカーが何をしようと、エースほどには私に影響を与えられない。

誰より、彼こそが私を傷つけられるし、熱くも出来る。

 

(ちっとも、冷たくなんかない)

 

これは、恋だ。

愚かしくも、感覚すら狂わせる。

 

「いいや、冷たい」

 

エースの声は、常の時と変わらず。

彼のほうが、よほど冷たい。

 

「……っ」

「は…………」

 

そのくせ、仕草は乱暴で性急だ。

しかも、暴いていく手と逆の手は、いまだ気道を撫で続けている。

 

時折、悪戯のように軽く押さえたりして……。

 

(殺されそう)

 

「ジョーカーさんに近づかないで。

あそこに近づかないでくれ」

「っう……」

「でも……、そのまま、変わらずいてくれよ」

 

「……矛盾じゃないの、それって」

 

監獄に近づくことは、変わっていないということ。

だから安心する、と。

 

つい先刻、エース自身がそう言ったばかりだ。

 

それなのに、監獄に行くなという。

変わっていないから行く場所に、行くなと。

それはつまり、変われということではないのだろうか?

 

「……そうだね、矛盾している」

「…………」

 

ここには、ユリウスがいるのに。

 

(……クローバーの国に、いた時みたい)

 

まるで緑の国にいた時のようだ。

 

(あ……)

 

空の色が、変わる。

赤から黒へ。

 

「蛍……」

 

時間帯が変わって少しすると、夜の森の中で、ちらちらと光が動き始めた。

 

(綺麗……)

 

このために、ここに来たのだ。

エースと一緒に、これを見たくて。

 

(……今は、とても見られる状況じゃないけど)

 

「矛盾してようが……、誰に何をされようが、どうせ私は変われないわよ」

 

そう言うと、エースはまた笑った。

 

「そうだね。

それでこそ、君だ」

 

嬉しそうに……、安心したように笑う。

 

「…………」

(季節を移れて、よかった)

 

緑の国から、黒の国へ。

 

(そう。

私は、こういう顔をさせてあげたかったの)

 

生理的な涙で歪む視界の中で。

小さな光がいくつも、宙を舞っていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「へえ、こうして見ると結構綺麗なものだね」

「そうでしょう?」

 

 

改めて、本来の目的を遂行する。

エースに後ろから抱きしめられるような格好で、蛍を眺めた。

 

「でもさ……、虫だぜ?」

「……そういうふうに言わないで」

「え?

でも、虫だろ?

君って、虫がそんなに得意じゃなかったよな?

蛍って、近くで見ると、意外とグロ……」

 

「言わないで」

 

きっと睨むと、「はは」と笑われた。

 

蛍を見つめるエースは、いつもと変わらない。

ユリウスがいる時の彼と同じ、安定した様子で。

 

(……私といると、不安定になるのかしら)

 

そう思うこともあるが、彼は元々安定していない。

私達は共鳴してしまうのかもしれない。

 

完全には落ち着けない。

自分と重ねてみれば、嫌というほど分かる。

 

彼もまた、変われない。

私が変われないのと、同じように。

 

だから、他の人と違って、迷う私を責められないのだ。

 

「それにしても、数が多いな~」

「私も最初に見た時は、びっくりしたわ」

 

抱きしめる腕に、手を這わせる。

 

「……ねえ、エース」

「ん?」

 

腕を伝って、手のひらへ。

 

「この後、サーカスの森に行ってくるわ」

「…………」

「それで、季節を冬に変えてもらう。

……そうしたら、二人でユリウスのところへ行かない?」

 

エースの指に自分の指を絡める。

手袋越しではない、温かさ。

 

「ユリウスのところで、ごろごろしましょう」

「……ああ、いいぜ」

 

エースの表情は見えない。

けれど、見なくても分かる。

 

「迷惑そうな顔が目に浮かぶよ」

 

(私も、目に浮かぶわ)

 

きっと、彼は笑っている。

いつもと同じように、からりと。

 

「……ここにもまた来ましょう。

次は、ユリウスも連れて」

「ユリウスを?

あいつをここまで連れ出すのは、ちょっと難しいかもしれないぜ?」

 

「そこは頑張りましょう。

難易度が高いほうが挑み甲斐があるわ」

「はは、そうだな。

苦難の道ほど、旅する甲斐もある」

「……いや、そういう甲斐はなくていいから」

 

「でも、楽しみね」

「…………」

「……エース」

 

「いやさあ……、はは。

……今出かけているのに、次に出掛ける相談かと思って。

今だって、充分楽しいはずなのに」

「…………。

……そうね。ふふ、馬鹿みたい」

 

暗い森の中を飛び回る蛍を眺める。

 

幻想的だ。

綺麗で、ちょっとわくわくするような。

 

目の前の光景を無視して、次の相談。

 

(そうね。

滑稽だわ)

 

まるで、今が満たされていないようではないか。

そんなことはないのに。

 

「…………」

「……あのね」

「うん?」

「私、あなたにとって必要のない存在なんじゃないかって思ったことがあるの」

 

「え」

エースは、ぽかんとした顔をした。

思いもよらないという顔。

 

私のほうが笑いそうになる。

 

(そう考えるのが、当然でしょう?)

思いつかないほうが間抜けている。

 

「私だけでなく、他の誰も……。

ユリウスじゃないと助けにならないんじゃないかって思ったのよ」

「……むしろ、ユリウスが何かの助けになるとは思えないけどな。

腕っぷし、そう強くないし……。弱くもないけど」

「そういうことじゃなくて」

 

(大体、それなら、私なんかもっとよ)

 

説明しなくとも、分かるはずだ。

 

「私は、ユリウスとは違うから」

「そんなの、当然だよ。

それに……、君はユリウスとだけじゃなくて、他の誰とも違う」

「うん。

それ、今なら分かるわ」

 

ユリウスにはなれない。

だが、他の誰とも違う。

 

私は、彼にとって……、同類だ。

 

「私は、あなたにとって、特別よね」

 

(同じ部分がある)

 

代わりにはなれない。

二人でいても、重なりすぎて一人きりみたい。

それどころか、互いを見れば鏡のように自分を思い出す。

 

変わらない自分が目の前にいる。

 

寂しいまま。

だが、なんの抵抗もなく、寄り添える。

 

「……そうだよ」

 

ぽつりと、エースが呟いた。

 

蛍の光と共に、闇に消えてしまいそうなおぼつかない声だ。

いつも通りの声のはずなのに、それでいてひどく脆い。

 

「君は特別だ。

……もっと、平凡だったらいいのに」

 

「……でも、それじゃあ、傍にいられないわ」

「それは困る」

「でしょう?

だから、これでいいのよ」

 

私では、駄目だ。

一緒にいられるが、変えられない。

彼が私を変えず、私もひそかにそれに依存している。

 

……ずっと、ユリウスが傍にいてくれればいいのに。

 

(冬に変えた後、季節を変えなければ……)

 

ユリウスの傍にいられるだろうか。

彼がいなくなったり、しなくなるだろうか。

 

(……ないわね)

 

季節を変えても、変えなくても。

きっと終わりはやってくる。

 

どんな形であれ、嵐はくるのだ。

エイプリル・シーズンもいつかは終わってしまう。

 

(終わったら?)

 

嘘の許される季節が終わったら、どうなるのだろう。

 

今は二人。

不安だって和らぐはずなのに、一人きりのときのように孤独だ。

 

「俺……、君が好きだよ。

アリス」

「私も」

 

「あなたが好きよ。

エース」

 

暗い場所で一人。

一人ぼっちが二人いる。

 

誰とも感じ合えないはずの、特別な寂しさが二人分。

 

 

 

 

 

▲▲▲FIN.▲▲