▼▼▼本編▼▼▼
「アリス!」
「ただいま、ペーター」
甘い笑顔はそのまま、ペーターはすぐさまこちらに駆け寄ってきた。
ウサギの後ろでは、エースがビバルディに捕まっている。
「アリス! アリス!
どこに行っていたんですか!?
あなたがいないと僕は寂しくて寂しくて……」
ペーターはいつも、まっすぐな好意を向けてくれる。
隠そうともしないそれには安心すると同時に困らされもする。
(もう少しだけ、控えめだといいんだけどなあ)
「ああ。
ジョーカーのところに、ちょっとね」
そう答えると、ペーターはあからさまに嫌そうな顔をした。
「ジョーカー、ですか……」
嫌そうな、というだけでなく、心配げな声。
(……気持ちは分からなくもないけど)
牢獄での出来事を思い出す。
迷い込んだ私を連れ戻しに来てくれたペーター。
彼が負った、酷い怪我。
(ジョーカーがやったっていうわけじゃないけど……)
この世界風に言うなら、彼の領域で起こったことだ。
警戒するのも当然。
(……でも、それだけじゃないか)
分かっている。
ペーターが、私があそこに行くのを嫌がっている、最大の理由。
彼が心配するようなことは、ただ一つ。
それは……、私だ。
自惚れではなく、彼は私以外気にかけない。
ペーターの気持ちは、すべて私に向かっている。
心配も、執着も。
何もかも。
(私がよく迷うから)
誰かに話したことはないが、おそらくペーターは知っているのだろう。
あそこに私が迷い込むのはサーカスの時だけではない。
日常でも、度々迷い込んでいる。
あの冷たい牢獄。
姉さんのいる場所に。
ペーターは私に向かっている。
私は、監獄に惹かれている。
一途な彼と比べ、不義でもおかしている気分だ。
「アリス?」
「ん?
何?」
心配そうな顔で覗き込んでくるペーター。
その姿が、優しい微笑みを浮かべる人と重なった。
罪など犯すはずもないほど、綺麗な。
(それなのに、どうして)
今は何故か、あの冷たい牢獄に閉じ込められている。
あの中で、変わらぬ微笑をたたえて。
(……ジョーカーが、閉じ込めている)
次に重なったのは、エイプリル・シーズンになって知り合った道化師の顔。
ピエロの格好をした姿と、看守の格好をした姿。
二つの姿が、ペーターに重なる。
(こんなに綺麗なのに、平気で人を撃つようなウサギ)
その二面性。
ジョーカーと被る、ペーター。
姉とも被る。
美しい姉に、二面性があるとでも?
「具合でも悪いんですか?
ぼうっとして……」
「……なんでもないわ」
被った。
けれど、それは一瞬のこと。
瞬きする間に、幻は消える。
(幻……)
どうして、幻が見えたのだろう?
何故、ペーターと姉が……、そしてジョーカーの姿が重なったのか。
(どうして?)
よく、分からない。
頭がぼんやりして、何も考えられなくなる。
エイプリル・シーズンになって、よくこの感覚に襲われるようになった。
何か大事なことがあるのに、思い出せない。
もどかしい感覚。
分かりそうで分からない、気持ち悪さ。
(……なんだか、似ているわね)
この感覚は、この世界にやってきた当初に感じていたものと似ている気がする。
まだこの世界のことを、夢だとしか思っていなかった頃。
「これは夢だよ」と囁くナイトメアの声を聞く度に感じていた。
夢なのか現実なのか。
嘘なのか本当なのか。
すべてが曖昧になって、分からなくなってしまう。
あの感覚に、とてもよく似ている。
(今でも、私は)
「…………」
「アリス、本当に大丈夫ですか?」
「あ、うん……」
目の前で、手が動く。
ペーターの声と手で、我に返った。
(???)
(なんだか、おかしいわね……)
自分でも変だと思う。
なんだか、色んなことを考えてしまう。
色んな、くだらない……考えたって、どうにもならないことを。
これは夢?
目の前にいる、私だけを思ってくれるウサギは夢の産物なのだろうか。
(……やめよう)
頭を振って、くだらない考えを追い出す。
考えても仕方がないことを考えるなんて、時間の無駄。
そんなことより、もっと有意義なことに時間は使うべきだ。
「そういえば、ペーター。
あなた、これから暇?」
たとえば、白ウサギとどこかに出掛けるとか。
「ええ、暇ですよ。
あなたの為なら、いくらでも暇になります!」
「それって、つまり、暇じゃないんじゃないの」
「いいえ!
暇です!とっても暇です!暇すぎます!」
(宰相が、そんな、力一杯暇でどうするのよ……)
「……本当に暇なんでしょうね?
仕事が残っていたりしない?」
「しません!
あなたは仕事をするウサギが好きなようなので、頑張って終わらせました!」
「私がどうだろうと関係なく、仕事はちゃんとしなさいよ……」
口ではそう言いながらも、顔が緩む。
(くすぐったい……)
分かりやすい好意と、あからさまな行動。
彼はいつも、こう。
「それなら、これから出掛けない?」
「!
はい、喜んで!」
「あなたとデートできるなんて、嬉しいです!
僕は幸せなウサギです!」
にこにこ笑うペーターは、言葉通りに幸せそう。
そんな彼を見ていると、こちらまで幸せな気分になってくる。
「今回は秋に出掛けようと思うの。
ちょっと遠い場所なんだけど……」
「近くだろうが遠くだろうが構いません。
いえ、遠いほうがいいです!
長くお出かけできますし、あなたとお出かけできるなら僕は……」
「何?
二人共、出掛けるの?」
「!」
ペーターと話していると、突然誰かに抱きしめられた。
視界に映る赤い服と、爽やかな声。
考えるまでもなく、エースだ。
「っ!?
い、いきなり抱きつかないでくれない?」
「いきなりじゃないならいいの?」
「駄目に決まっているでしょうっ」
「~~~~っ」
腕から抜け出そうともがくが、相手は騎士だ。
私程度の力では、どうにもできない。
「……その汚い手をどけてくれませんか?
エース君」
ちゃきっと、金属音。
「彼女が穢れる」
「だからこの程度でうつるような黴菌なんて、俺持ってないってば。
……もっとすごいことしたら、何かうつっちゃうかもしれないけどね?」
「なんなら、試してみようか。
どのくらいすごいことをしたら、黴菌がうつるのか、さ」
耳元で囁かれた言葉に、背筋がぞわぞわした。
色恋の絡むようなものではなく……、恐怖で。
(ちょ、挑発しないでよ……っ)
ペーターの視線の温度が、氷点下まで下がっている。
対するエースは、いつも通りの笑顔のまま。
「結構です。
そんなこと……、想像するだけでも汚らわしい」
先ほどの比ではなく、場の空気が冷たくなっていく。
あまりの冷たさに、春だというのに凍えそうだ。
同僚達が時折心配そうに視線をくれるが、助けてくれる気配はない。
(まあ、仕方ないけど)
彼女達にとって、ペーターとエースは上司だ。
上司同士の会話に部下が割り込むなど、出来るはずがない。
それ以前に、私だって助けてほしくない。
誇張なく、命がけになるからだ。
(ビバルディ、助けてー……)
この場には同僚達だけでなく、城の最高権力者がいる。
彼女ならば、この二人を諌められるはず。
「ん?」
不機嫌そうに紅茶を飲んでいた彼女は、私の視線に気づいてくれた。
「……エース。
その辺でやめておけ。
アリスが困っているだろう」
聡い女王様は、視線の意味も違わず汲み取ってくれた。
面倒臭そうに、エースを諌めてくれる。
「え?
アリス、困っていたの?」
「当たり前でしょう……。
いい加減、離してよ」
「ははは、ごめんな?
女の子を困らせるなんて、騎士失格だぜ」
エースは笑いながら、絡めていた腕を離してくれた。
すかさず、今度はペーターに抱き寄せられる。
「他の奴はどうでもいいですが、彼女を困らせるなんて万死に値します。
今すぐ、死んでください」
「あんたも何を言い出すのよ……」
銃を構えるペーターの手を押さえた。
いくら慣れたとはいえ、こんな至近距離で発砲沙汰は勘弁してほしい。
「そんなこと、どうでもいいから、早く出掛けましょう?」
これは、本音。
早く、ペーターと出掛けたい。
二人だけで、色んなものを見て回りたい。
いつかペーターが言ったように、エイプリル・シーズンを楽しみたい。
色んな季節の思い出を作りたい。
ペーターとの。
「……ええ、そうですね。
すみません、アリス。
エース君なんかにまともに応じようとした僕が愚かでした」
「いいのよ。
それじゃあ、エースなんか放っておいて、出掛けましょう」
「なんかって……、二人共、酷いな。
あははははは」
爽やかに笑う騎士の言葉は無視して話を進める。
「ジョーカーに季節を秋にしてもらったの。
秋には、まだあんまり出掛けていないでしょう?
だから……」
「秋?
秋なら、いいデートスポットがあるぜ」
しかし、無視しても割り込んでくるのがエースだ。
爽やかに、当たり前のように、会話に混ざってくる。
「紅葉が綺麗な場所でさあ。
登るのがちょっと大変かもしれないけど、景色は抜群にいいんだ」
「そうなの……」
「ああ! 見下ろす先が一面真っ赤で、とにかく綺麗なんだ。
本当にいい場所だから、行ってみなよ」
(紅葉か……)
前にペーターに連れて行ってもらったお店の庭でも、紅葉は見た。
とても綺麗だったが……、あれは整えられた、人工的な綺麗さだ。
エースが薦めてくる場所は、おそらくそれとは逆。
人の手の入っていない美しさが見られる場所なのだろう。
(……悪くないかも)
「そんなにおすすめなら、そこに行ってみようかしら。
いい? ペーター」
「あなたがいいなら、僕は文句なんかありません!
……たとえ、エース君なんかの教えてくれた場所でも」
「なんか、なんか、って……。
酷いぜ、教えてあげたのに」
「じゃあ、行きましょうか」
場所を教えてくれたエースに礼を行って、歩き出す。
「あ。
そこって穴場だから、あんまり人が来ないんだ。
だから、何をしても問題ないと思うぜ?
邪魔が入らない」
最後に背中に掛けられた言葉は、意図的に聞かなかったことにした。
(教えるのは場所だけでいいわよ。
この×××騎士!)
+++
秋の領土をペーターと歩く。
「えーと、この道をまっすぐ行けばいいのかしら……?」
「そうですね。
たぶん、そうだと思います」
エースの説明を思い出しながら、足を進める。
この通りを抜けたところにある石畳の階段を登れば、目的の場所に辿り着く……はず。
(……エースだからなあ)
特技は迷子になることだといっても過言ではない男だ。
本人は正しい道を教えてくれたつもりでも、間違っている可能性は高い。
「一応、この辺のお店の人に聞いて、確認する?」
「顔なしと話すなんて、それだけで雑菌がうつりそうですが……。
仕方ありませんね。
せっかくのあなたとのデートで、道が分からなくなるよりは……」
「話すだけで、雑菌なんかうつらないわよ……」
「道を聞くついでに、お茶でも飲んで休憩しない?
ちょっと疲れたし……」
城からここまで、結構な距離があった。
しかも、人が多く歩きづらかったせいで、少し疲れてしまった。
「!
すみません、アリス!
あなたが疲れていたことに、僕、気付かなくて……。
ああ、僕はなんて気の利かないウサギなんでしょう!」
「謝らなくていいから、お店に入りましょう」
「ですが……っ」
「いいから、ほら」
いきなり慌てだしたウサギの手を取って、目についた店に向かう。
「アリス、お腹は空いていませんか?
急ぐわけでもありませんし……。
お茶だけでなく、何か食べてもいいですよ?」
「そうねえ……。
お言葉に甘えて、ケーキも頼もうかしら」
ドアのすぐ横に立てかけてある、「秋のケーキフェア」という看板を見ながら、そう答える。
店内は、そう広くはなかった。
座席は奥まった部分にあり、ドアからすぐのところには、ショーケースとレジがある。
(え……?)
玩具みたいな可愛らしいケーキが並んだショーケース。
普通なら、その前に並んでいるのは、圧倒的に女性の方が多い。
だが、何故かこの店は違った。
入ってくる客からケースを隠すように、男性がずらりと並んでいて……。
(何、この集団……)
可愛らしい、カラフルな喫茶店。
そこに不似合いなスーツ姿の集団。
正直、不気味に映る光景だ。
(い、いや、甘味好きな男の人だっているし……。
それを悪いなんて思わないけど……)
だが、異様だ。
「うーん……。
やはり、ここはモンブランを買うべきか。
いや、一押しだというミルクレープも捨てがたいな……」
(んん?)
(この声は……)
「どれでも、お好きなだけ買っていいですから……。
早く買って帰りましょう、ナイトメア様」
「ただでさえ、帽子屋との交渉が長引きましたし……。
早く帰らないと……」
「そう急かすな。
すぐ決めるから」
「先刻ほどからそうおっしゃっていますが、まだ決まっていないじゃないですか」
「そうですよ。
早く決めてください。
食べたいものは全部買っていいですから……」
「それは駄目だ。
食べきれない量を買うなんて、もったいないじゃないか。
それに、こうして悩むのが楽しいんだろう?」
「好きなものを選ぶのが楽しいのは分かりますが、悩みすぎですよ」
「そんなことはない。
私は……ん?」
声が途絶えたかと思うと、スーツ姿の集団が二手に割れた。
「ああ、やっぱり君か」
「久しぶりだな、アリス」
「ナイトメアにグレイ……」
と、彼らの部下達。
クローバーの塔に住む友人達だ。
「どうして、あなた達が秋の領土にいるの?」
「仕事で帽子屋達のところに……」
「今はその帰りなんだ。
久々に外に出たことだし、ケーキでも買って帰ろうと思ってね」
「そう……」
久々の外出=ケーキを買って帰る。
誰がごねたのかは明白だが、突っ込むのはやめておいた。
それよりも気になるのは、もっと別のこと。
(ナイトメアが仕事で外出するなんて、珍しいわね)
引きこもりの上に病弱なこともあって、ナイトメアはほとんど塔から出ない。
夢と塔の中以外で会うのは、久しぶりだ。
「私だって、仕事があれば外に出るさ。
今は体調も悪くないしな」
(また……。
人の心を読まないでよ)
人の心が読める夢魔は、いつも勝手にこちらの考えを読み取る。
それが便利だと感じる時がないとは言わないが……、おおむね不愉快なだけだ。
「ここ数時間帯くらい、全然血を吐いていないんだ。
すごいだろう?」
「ええ、ええ、すごいです。
とてもすごいことです」
「あなたの体調がいいなんて、すごい上に珍しいことです。
……ですから、早く帰って仕事をしていただきたいんですが」
(心を読めるなら、相手が苛立っていることにも気付きなさいよね)
彼は、早くナイトメアを塔に連れ帰りたいらしい。
普段の不健康っぷりと仕事の捗らなさを知っている身としては、グレイの気持ちはよく分かる。
(ただでさえ仕事嫌いでサボりまくっている上に、すぐに体調を崩して寝込むんだもの。
おかげで仕事は溜まる一方……)
以前お邪魔した執務室を思い出す。
立派な机の上に、山と積まれていた書類を。
「だから、もう少し待て。
すぐに選ぶから……」
「そうおっしゃられてから、もう2時間帯も経っていますよ」
「に、2時間帯……?」
(子供か……)
たかがケーキを選ぶのに、そんなに時間をかけるなんて、子供そのものだ。
「む。
私は子供ではないぞ!」
「子供じゃないなら、さっさと決めて帰って仕事しなさいよ。
部下の人達に迷惑をかけないで」
「迷惑なんか、かけてないぞ!」
「思いっきりかけているじゃない……」
「……あなたが子供だろうと子供でなかろうと、どうでもいいです」
私とナイトメアの不毛な会話に割り込んできたのは、ペーターだった。
ひんやりとした声と眼差しが、夢魔へと向けられる。
「そんなことより、そこをどいてくれませんか。
邪魔です」
「ん? なんだ、白ウサギ。
おまえもケーキを買うのか?」
「ええ、そうですよ。
食べるのは僕ではなく、彼女ですが」
この店は、どうやら先に会計を済ませるスタイルらしい。
注文をした品物はテーブルに運ばれてくるのではなく、レジのところで受け取るという形式だ。
(確かに……邪魔ね)
注文をする為には、メニューを見なければならない。
ケーキを頼むつもりの私にとって、ショーケースの前にずらりと並ぶ集団は……、異様である以上に障害物だ。
「ふうん……。
なるほど、デート中なのか」
「!」
ナイトメアの言葉に、どきりとする。
(また、勝手に……っ)
人の心を読んでいるらしい。
ただし今回は、私ではなくペーターの心を。
「ええ、そうですよ。
僕らはこれからデートなんです。
羨ましいですか?」
しかし読まれた方は平然としている。
それどころか、なんだか自慢げだ。
「いや、別に羨ましくは……。
というより、白ウサギ、おまえは……」
「なんです?」
「……滞在地どおりの頭をしているんだな。
花が咲いているというか……」
苦笑しつながら呟かれた言葉に、読まれた当人というわけでもないのに、私のほうが赤くなる。
(花が咲いているって……、何を考えているの、ペーター……)
なんとなく想像がついてしまう辺りが嫌だ。
「…………おい。
もっと隠せ。
そんなことを、開けっぴろげにするんじゃない……っ」
(そんなことって、どんなこと……)
「だから止めろと……ぐっ。
お、おまえ……汚いのは嫌いだとか言いながら、そんなことを……っ」
(だから、そんなことって……)
何やら、ペーターが頭の中でよからぬことを考えているらしい。
ナイトメアの顔色が、青くなったり赤くなったりと大忙しだ。
「な、ナイトメア様?
大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない、全然大丈夫じゃない……っ」
「白ウサギ、いい加減にやめろ!
せめて私に聞こえないよう、思考を閉ざせ!」
「何のことですか?
僕には全く分かりません。
……一体、何をどうしろと?」
「こんな明るい時間帯から、何を考えているんだ、何を……っ」
「もちろん、この後のことを考えているだけですよ。
それ以外に、何を考えていると?」
「た、確かにこの後のことなんだろうが……ぐっ。
げはっ」
「ナイトメア様!?」
とうとう、ナイトメアは血を出した。
……いつもの吐血ではなく、鼻から。
「……あなた、本当に何を考えていたの?」
三文小説のようなリアクションに、半眼でペーターを睨み付ける。
鼻血を出すような、やらしいことを考えていたのかと。
「変なことは考えていませんよ。
この後のことを考えていただけで……。
あちらが勝手に深読みしただけです」
白ウサギは、にこっと笑ってそう答えた。
「ナイトメア様、しっかりしてください!」
「うぐ……。
ウサギの熱にあてられて、気分が悪い……」
「せっかく、久々に、珍しく体調が良かったというのに……。
やはりあの時、ケーキ屋になど寄らずに無理やり連れ帰っていれば……」
「け、ケーキは買って帰るからなっ。
そうでなければ、仕事をしないぞ……ぐふっ」
「はいはいはいはい、分かりましたから。
ケーキは買いますから、ちゃんと鼻を押さえていてください!」
流血沙汰(?)になっているクローバーの塔の主従を横目に、私はケーキを選ぶ。
グレイに対して同情する気持ちはあるが、それ以上にナイトメアへの「自業自得だ」という思いの方が強い。
勝手に人の心を読むから、そんなことになるのだ。
(これで少しは懲りればいいわ)
「モンブランと紅茶をお願いします」
「かしこまりました」
そんなことを考えながら、私は店員さんにケーキを注文した。
+++
「お茶もケーキもおいしかったわね」
「それならよかったです」
お店でしばらく休憩した後、私達は目的地へと向かっていた。
(案の定というか、やっぱりエースに教えてもらった道は間違っていたんだけど……)
おかげでだいぶ遠回りをしてしまった。
(まあ、そのおかげでここを通っているんだから、悪くはないんだけどね)
私達が今通っているのは、秋の領土の中でもハロウィンパーティーをやっている区画らしい。
街路樹や店に、ハロウィンならではのものが飾られている。
「あのかぼちゃ、変な顔ね」
「本当ですね。
まるでエース君みたいな顔をしています」
「いや、エースには似ていないと思うけど……」
飾りだけでなく、ハロウィングッズを取り扱った店を出ている。
そういう店を見かけると、つい覗き見してしまう。
「この蝙蝠のぬいぐるみ、可愛いわね」
「そうですか?
そんなものより、あなたのほうがずっと可愛いですよ」
「……それ、比べる対象がおかしくない?」
棚に並べられたぬいぐるみを手に取る。
デフォルメされた蝙蝠のぬいぐるみは、可愛いだけでなく手触りもよかった。
(ふわふわ……)
ぬいぐるみの、黒い生地を撫でる。
ふわふわのもこもこだ。
(……ウサギ姿のペーターみたい)
色は正反対だが、手触りは似ている。
ウサギ姿になったペーターもふわふわで……、ぬいぐるみみたいなのだ。
「…………」
「アリス?
それ、そんなに気に入ったんですか?」
「!」
「え、あ、ううん。
そういうわけじゃないんだけど……」
「そうですか?
ずっと抱きしめて離さないので、気に入ったのかと思ったんですが……」
「気に入ったのなら、遠慮なく言ってくださいね?
プレゼントしますから」
「……うん、ありがとう」
曖昧な笑みをペーターに返す。
確かに蝙蝠のぬいぐるみは可愛いが、それを抱きしめながら考えていたのは別のことなのだ。
「アリス?」
じーっと見つめると、ペーターは首を傾げた。
(綺麗な顔……)
不思議そうな顔さえ、綺麗だ。
(また、人目を集めてる)
一緒にチョコレートを買いに行った時と同じだ。
ペーターはまた人の視線を……女性の視線を集めている。
それが腹立たしくて、悔しい。
私以外の誰かが、彼を見ているということが。
(……ペーターがぬいぐるみだったら良かったのに)
あの時と、同じようなことを思った。
ペーターがぬいぐるみのように買えたら良かったのに、と。
そうすれば、私だけのものに出来る。
他の誰にも見せず、隠してしまえる。
けれど、実際にはペーターはぬいぐるみではなく、そんなことは出来るはずもない。
(……私だけのものにって意味では、今も結構そんな感じか)
私にだけに誠実なウサギは、私以外を見ようとしない。
自分は私だけのものなのだと、囁いてくれる。
他愛ないことで不安になる私を責めるでもなく、大丈夫だと慰めて甘やかして。
それなのに、私の不安は消えることがない。
同じことでぐるぐる悩んで、次々色んなことで不安になって。
自分でも駄目だと思っているのに、直せない。
どうにも出来ない。
しかも、不安になるだけでなく。
(……姉さん)
ペーターのように、彼だけを見ることが出来ない。
他のものは何もいらないと、言い切ることが。
元の世界に心を残してしまう。
姉のことを忘れられない。
ペーターが悲しむと分かっていて、牢獄に行かずにはいられない。
(ペーターみたいに、全然できない)
彼のように誠実になれない。
同じだけのものを、返せない。
(私は……)
「あ、お姉さんだ!」
「お姉さ~ん!」
「!!?」
シリアスな気分は、長くはもたなかった。
突然の乱入者によって、気分がぶち壊された。
「い、痛~……っ」
腰に、思いっきりぶつかってきたもの。
「こんばんは、お姉さん!」
「お姉さん、こんばんは」
「ディー、ダム……」
見慣れた子供達だった。
「こんばんは、二人共。
……すごい格好ね?」
双子はハロウィンらしく、仮装をしていた。
結構リアルな、おばけの仮装だ。
(わざわざ血のりまでつけなくてもいいと思うんだけど……。
……血のり、よね?
本物じゃないわよね?)
この二人の場合、絶対に違うと言い切れないところがある。
「ハロウィンだからね。
仮装しているんだ!」
「似合ってる?
かっこいい?」
「似合っているわよ」
かっこいいかどうかについては、ノーコメントだ。
そもそも、おばけの仮装でかっこよさを追求するほうがおかしい。
「ふふ、ありがとう、お姉さん」
「お姉さんも、相変わらず可愛いよ!」
「それはどうも……」
「それじゃあ、やろうか兄弟」
「そうだね、兄弟」
「???」
(やるって、何を?)
「トリック・オア・トリート!」
「お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞ!」
(ああ、なるほど……)
ハロウィン定番の台詞に、意識せず笑みが漏れた。
こういうところは子供らしく、無邪気だ。
「ということで、お菓子ちょうだい、お姉さん」
「あ、くれなくてもいいよ?
お姉さんだったら、僕、お菓子貰うよりも悪戯させて欲しいから!」
「うんうん、そうだよね。
お姉さんなら、お菓子よりも悪戯したいね!」
……前言撤回だ。
この二人はどこまでも子供らしく、邪気に溢れている。
「えーと、ちょっと待ってね。
お菓子をあげるから」
「えー」
「えー」
「えー、じゃないわよ……」
二人にそう言いながら、ポケットを探る。
飴の一つくらい、きっとどこかに……。
(………………ない)
服についているポケット全部、何度も探るが……何も出てこない。
(え、えー……)
冷たい汗が、頬を伝う。
私がお菓子を持っていないことに気づいたらしい双子は、途中から顔つきが変わった。
きらっきらと目を輝かせて、「お菓子がない」という言葉を待っている。
「……二人とも」
「なに?」
「なになに?」
「…………お菓子がないから、悪戯をどうぞ」
(ううう……)
私の言葉に、双子の顔が輝いた。
それはもう嬉しそうに、ぱあっと。
「お姉さんに悪戯していいんだって、兄弟」
「何をしようか、兄弟。
普通の悪戯じゃあ、つまらないよね」
「出来れば、普通の悪戯でお願いします……」
私の言葉など、もちろん彼らに届くはずもなく。
二人はひそひそと小声で話し合った後、可愛らしく笑った。
そして。
「きゃっ」
「ふふふ」
「悪戯~」
ぎゅうっと私に抱きついてきた。
「ふ、二人とも……」
「まだジッとしてないと駄目だよ、お姉さん」
「そうだよ。
まだ悪戯の途中なんだから」
そう言って、二人は顔を寄せてきた。
両頬に、温かいものが触れる。
「っ!?」
「!!!」
「!!!」
二人にキスされた瞬間、腕を強く引かれた。
「……黙って見ていれば、調子に乗って」
気づいたら、ペーターに抱きしめられていた。
「ペーター?」
「大丈夫ですか、アリス。
すみません、もう少し早く助けるべきでした」
双子にキスされた場所を、ハンカチでごしごし擦られる。
力を込めて念入りに擦られているせいで、ちょっと痛い。
「ウサギのくせに、邪魔しないでくれない?」
「僕ら、お姉さんに悪戯してる途中なんだから」
「何が悪戯ですか。
汚らわしい」
頬を拭く手を止めずに、ペーターは双子をぎろっと睨む。
「彼女に触れていいのは、僕だけです。
薄汚い子供のくせに、触らないでください」
「僕ら、薄汚くなんかないよ」
「そうだよ。
ウサギなんかより、よっぽど綺麗だよ」
「たとえ、もし、仮に僕より綺麗だったとしても、彼女には触ってほしくありませんね」
「彼女は僕の愛しい人。
あなた達のような子供が触れていい人ではありません」
空中で火花が散る。
そんな幻覚が見そうなほど、二人と一匹の間に険悪な空気が流れる。
(ま、街中で喧嘩しないでよ……!?)
どこであっても喧嘩はして欲しくないが、街中での喧嘩……それも他勢力の相手との喧嘩だと、周囲に被害が及ぶ可能性が高い。
それはあまり良くない事態だ。
「おいこら、ガキ共!
そんなところで何してやがる!」
「!」
「!!!」
険悪さが最高潮に達しそうだった時。
遠くから、聞きなれた声が聞こえてきた。
「やばい、馬鹿ウサギだ」
「逃げなきゃ、兄弟」
声の主は、帽子屋屋敷に住むウサギさんだ。
子供達は嫌そうに顔を顰め、慌てて走り出す。
「お城の宰相さん、覚えてなよ!」
「お姉さんへの悪戯を邪魔された仕返し、いつかしてやるからね!」
最後にそんな捨て台詞を残して、二人は人ごみに消えていった。
「てめえら、待ちやがれ!
今回は遊びじゃなくて仕事だって、事前に言っといたろうが!」
「そんなの知らないよ!」
「説明し忘れてたんじゃないの、馬鹿ウサギ!」
「俺はウサギじゃねえ!
そして説明を忘れたりもしてねえ!」
「おまえらも含めて、部下全員集めて説明したんだ!
他の連中はちゃんと聞いてるんだよっ」
「じゃあ、僕らがうっかり居眠りしてたのかもね」
「どちらにしろ、知らないものは知らないもん」
「てめ・ら……っ!!!」
遠くの方から、物騒な音が聞こえてくる。
今ではすっかり聞きなれてしまった銃声が……。
「……なんか、疲れたわね」
「!?
大丈夫ですか、アリス?
またどこかで休みますか?」
げんなりと呟くと、隣の白ウサギは過剰なほど心配してくれた。
心配してくれるのは嬉しいのだが。
(半分くらいは、あなたのせいで疲れたんだけどね……)
悪戯好きの子供も大人気ないウサギも、疲れる。
+++
「すごいわね……」
感嘆の息が漏れる。
エースに教えられたのは、坂道や急な勾配の階段を登りきった先にある場所だった。
「階段を登っている途中でも、十分すごかったけど……」
見下ろした先に広がる、赤。
ハートの城の色とも、血の色とも違う鮮やかな。
秋の色だ。
「綺麗だわ……」
真っ赤な紅葉。
その中に浮かぶ、一本の道。
思わず見とれてしまうような景色だ。
「ええ、綺麗ですね」
珍しく、ペーターも素直に同意した。
そのくらい、すごい光景なのだ。
「ここまで登った甲斐があったわね」
「そうですね」
「あ、あっちにも紅葉の並木道があるわ。
行ってみない?」
「はい、行きましょう」
しばし眼下の光景を眺めてから、私達は動き出した。
奥の方に、ゆるやかな勾配の並木道が見える。
そちらに向かうと、登ってきた道とはまた違う風情があった。
(落ち葉がたくさん……)
私達が登ってきた道には、落ち葉が一枚もなかった。
登っている途中に強い風が何度も吹いていたから、あれが原因なのだろう。
それとは違い、こちらの道に葉が落ちていた。
道を覆ってしまうくらい、赤い色の葉がたくさん。
「こっちも綺麗ね。
一面真っ赤で……」
(あ……)
その時、ちょうど時間帯が変わった。
昼から夕方へと。
(赤い……)
ただでさえ赤かった道が、さらに赤く染まる。
空も木々も道も、全てが。
(……なんだか)
それは綺麗な光景だった。
ペーターに連れて行ってもらったお店で見たものとは違う、美しさ。
人の手が全く入っていない、自然の。
(ちょっと、怖い)
とても綺麗だったが……、なんだか綺麗すぎて怖くなる。
まるで血の海の中に立っているみたいで。
(血……)
ふと、思い出す。
この前のサーカスでのこと。
白ウサギが怪我をして、血を流した出来事を。
「……?
アリス?」
隣に立つペーターの手を握る。
あの時、気づかされたのだ。
この世界では、別れは簡単にやってくるものなのだと。
この愛しいウサギとも、突然、もう二度と会えなくなる可能性があるのだと。
(そんなの、嫌)
「どうしたんですか、アリス。
具合でも悪いんですか?」
「……そうじゃないわ」
ペーターと会えなくなるなんて、嫌だ。
考えるだけでも怖くなる。
傍にいてほしい。
駆け寄る先に、ずっと。
「???」
「アリス?」
衝動に駆られるまま、私はペーターに抱きついた。
頭上から、白ウサギの不思議そうな声が聞こえる。
「ペーター」
「はい、なんですか」
名前を呼べば、すぐに返事をくれる。
この距離にずっといて欲しい。
そう願うのは、いけないことだろうか。
そんなふうに願うことを、この白ウサギも望んでいてくれるのではないだろうか。
(……自惚れでは、ないわよね)
今までの私だったら、自惚れだと自己嫌悪に陥りそうな考えだ。
でも、ペーターに関してだけは、自惚れなどではないと言える。
そんな、自惚れだと感じることのほうが、酷いことなのだと。
「ペーター」
「どうしたんです? アリス」
ペーターの手が、髪をすいていく。
優しく、愛しげな触れ方だ。
けれど、それ以上の何かを感じさせはしない。
それが、ひどくもどかしい。
「!?」
「…………」
「ん……」
「……っ」
「アリス、本当にどうしたんですか?」
「どうもしないわよ?」
「なら、なんで……」
困惑に揺れる声を、封じる。
時々ペーターがそうするように、キスで言葉を遮る。
「ペーター……」
(大好きよ)
言葉には、しない。
その代わりに、直接伝える。
触れ合わせて、直に。
「んぅ……っ」
「……っ」
「……はぁ……っ」
初めは戸惑っていたペーターも、何度か唇を重ねるうちに、いつもの調子を取り戻した。
触れたところから溶けてしまいそうなキスを、何度も交わす。
「アリス……」
「んっ」
ペーターの腕が、私を抱きしめ返した。
それだけでなく、冷たい空気が服の下に忍び込む。
「……ぅ」
「アリス、アリス……」
「は……」
空気の冷たさと反比例するように、上がっていく熱。
ペーターの手が、探るように触れてくる。
恐る恐る、けれど大胆に。
「ふ……っ」
深いところを探られ、暴かれるほど、熱は増していく。
触れ合っているところが、火傷しそうだ。
(傍にいて)
(もっとも近くに、ずっと)
これ以上ないほど近くにいるのに、そんなことを思う。
どれほど近くにいても足りない。
どんなに長く一緒にいても。
不安が、消えてくれない。
「……っ。
ペーター……」
衝撃と、痛み。
一瞬、不安も何もかも、吹き飛んだ。
「アリス……」
痛みと……不安を和らげるように、ペーターがいたるところにキスを落とす。
不思議なことに、たったそれだけのことで、不安が薄らいでいく。
完全に消えてはくれないけど、意識に上らないほどに。
「大好きです、アリス。
愛しい人」
最後に胸のところにキスをして、白ウサギはそう囁いた。
その格好のまま、掻き抱かれる。
強く強く。
「好きです、アリス。
大好きです。
愛してしまう」
胸元に顔を埋め、白ウサギは言葉を重ねる。
「愛しているから…………で」
(何?
なんて言ったの?)
縋るような囁きは、風の音に負けて聞こえなかった。
▲▲▲FIN.▲▲