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ハートの国のアリス
~Wonderful Wonder World~

『ここからスタート ■01話』

◆どこか異空間◆
【【【時間経過】】】
【ペーター・声のみでネームプレートなし】
「ねえ、知っています?」■■
「ゲームには常にルールがあるんです。守らなきゃいけないルール。
いつだって、最初から強制的に決まっていること」■■
「あなたがゲームに参加しなきゃいけないことも、ルール。
強制的に決まっている」■■
「ねえ、こんなこと、今更説明なんてしなくてもあなたはもう知っていますよね?」■■
「え?知らなかったって?
今の説明で知ったんだから、問題ないですよ」■■
「ねえ、ほら……」■■
「…………」■■
【ナイトメア・声のみでネームプレートなし】
「さあ、ゲームが始まるよ……」■■
【【【時間経過】】】
◆主人公の家・庭◆
目を開けると、いつもの景色が広がっていた。■■
花の咲いた庭。
のどかで美しい、いつもの日常。■■
「頭が痛い……」■■
急に起き上がると、頭がズキズキした。■■
op01_01
【ロリーナ】
「アリスったら……、もう……。
屋外でお昼寝なんてするからよ?」■■
横で本を読んでいた姉がくすくす笑う。■■
(ああ、優雅だな……)■■
起き抜けの頭で、ぼんやり思う。■■
寝起きに見ても、姉は美しい。
一般的に見て華やかな女性ではないのだろうが、私には輝いて見える。■■
笑い声まで、花のよう。
大げさかもしれないが、それくらいの形容が必要だ。■■
私とは、まるで違う。■■
(……これで、同じ女っていう括りなんだものね)■■
【ロリーナ】
「あなたも年頃なんだから、おしとやかにしなくては」■■
窘めつつも、優しい姉さん。
忙しい両親の代わりに傍にいてくれる、姉であり母のような存在でもある人だ。■■
反抗するつもりはないので、「はあい」と軽く答えておく。■■
(いつか、私もこんな淑女になるのかしら……)■■
(姉さんみたいな……)■■
(…………)■■
(……無理っぽいなあ)■■
庭でぐうぐう寝ているようでは、道は遠い。■■
だらしなく寝転びながら、姉を見上げる。
私には、この位置がお似合いだ。■■
美しいものの中にいるだけで幸せ。
美しいものを見上げている。■■
日曜日は好きだ。
早朝から教会の礼拝に行かなければならないのが面倒だが、暖かな午後を過ごしているとすぐに癒されてしまう。■■
教会へ行くより、今この時間のほうがよほど神聖なものに思えた。■■
「…………」■■
「なんだか、変な夢を見たわ」■■
ごろごろしながら、話しかける。
話していないと再び眠気に引き込まれてしまう。■■
【ロリーナ】
「夢?
どんな???」■■
どんな……。■■
この美しい庭に似合うような夢ではなかった。
暗くて、切ない気持ちになる夢。■■
どこまでも暗くて、深い。
落ちていくような夢。■■
夢だと分かっていたのに、もう戻れないと思った。■■
「…………」■■
でも、悪夢ではなかった。■■
そこが不思議だ。
戻れないと思ったとき、浮かんだ気持ちは絶望でも恐怖でもなく、安堵だった。■■
暗くて、切ない。
そして、とても安心する夢。■■
「う~ん……。
詳しくは覚えていないの……」■■
「ゲームがどうとか、ルールがなんとか……」■■
【ロリーナ】
「ゲーム?
アリス、ゲームがしたかったの?」■■
「そう……」■■
「ごめんなさいね。
最近、本ばかり読んでいて構ってあげられなかったわね」■■
「え?」■■
「そんなことないわよ。
そんな顔しないで、姉さん」■■
姉は、最近出来たボーイフレンドが作家なせいもあって、もともと読書家なのに磨きがかかった。■■
読書家なのは悪いことじゃない。
私も、姉の読書の邪魔をするつもりはないし、構ってもらえなくて拗ねるような子供でもない。■■
ましてや、姉さんに悲しい顔をさせるつもりは毛頭ないのだ。■■
【ロリーナ】
「いいえ、夢は願望の表れというわ。
この前、読んでいた心理学の本に書いてあったもの」■■
「ええと、たしか、フロイトの夢理論だったかしら?
夢の意味は常に願望充足に関わっているのよ」■■
「もちろん、すべてがそうとは言い切れない点もあるけど、夢は願望が象徴化されたものであることが多いのよ」■■
「へ、へえ……。
姉さんって、本当に物知りなのね」■■
適当に相槌をうっておく。
感心はするが、フロイトがどうとか言われてもぴんとこない。■■
姉はすごい。
優しいし、頭もいいし、恋愛もしている。■■
すべて、私には当てはまらない。
同じ女で姉妹なのに、別の生き物のようだ。■■
女として理想の象徴と思えるような人が傍にいるせいか、私には淑女としての意識が欠落している。■■
姉の教育が悪いわけではない。
張り合う気がまったくなくなってしまうのだ。■■
「ねえ、今日はなんの本を読んでいるの?
その……心理学の本?」■■
【ロリーナ】
「ああ、この本?
そうねえ……、そうとも言えるし、そうでないとも言えるわ」■■
「童話のような、小説のような話なの」■■
「童話……」■■
ぽかんとしてしまう。■■
【ロリーナ】
「あら、馬鹿にしたものじゃないわよ。
童話や児童向けの小説には、裏に伝記や教訓が含まれているんですもの」■■
「あ……、馬鹿にしたんじゃないわ。
姉さんが童話を読むなんて珍しいと思っただけ」■■
いつも姉は難しい本ばかり読んでいる。
私なんて、冒頭部分で眠くなってしまうようなものばかりだ。■■
【ロリーナ】
「童話は、その奥に教訓が含まれていると分かっているから簡単だけど……。
この本は……、簡単だけど難解だわ」■■
「どういうこと?」■■
【ロリーナ】
「深読みすれば奥が深いけど、深読みしちゃ駄目な気もするの。
奥があることが明らかなのに、難しく考えちゃ奥が見えなくなるっていうか……」■■
「……はあ」■■
「やっぱり難しい話なのね。
それとも、姉さんが難しくしちゃっているだけなのかしら」■■
【ロリーナ】
「う~ん……。
どうなのかしら……。
私って、すぐ考えにはまっちゃうのよね……」■■
真面目な人だ。
馬鹿にしているわけでなく、微笑ましい。■■
ただ真面目なだけでなく、そうやって悩む姿が実に女性らしい。
可愛いと思える生真面目さだ。■■
「どういう話なの?」■■
【ロリーナ】
「ストーリー……?
ええっとね、女の子が不思議の国に迷い込むのよ」■■
「そこで不思議な冒険をするんだけど……。
最初はね、ウサギを……」■■
手を振って、中断してもらう。
話が長くなりそうだ。■■
実のところ、眠らないために話しているだけで本に対しての興味は薄い。
そこまで詳細を知りたいわけではなかった。■■
「ああ、途中経過ははしょっちゃっていいわ」■■
「女の子が主人公の、冒険ものなのね。
それで?
最後はどうなるの?」■■
【ロリーナ】
「……最後!?
そんな、最後だけ知りたいだなんて……」■■
「私、推理小説の犯人とトリックを先に教えてもらいたい、奇特な人種なのよ。
あらすじだけ知りたいの」■■
【ロリーナ】
「あなたって子は、もう……」■■
「その不思議の国の女王様が主人公を裁判にかけるのよ。
主人公は逃げ出すの」■■
「?裁判で逃げ出せるほど、手錠が緩かったの?
警備の人間は何をしていたの?」■■
【ロリーナ】
「そういう話じゃないのよ……。
必死に逃げて、そこで目を覚ますの」■■
「……なんだ、夢オチなのね」■■
【ロリーナ】
「そういうと元も子もないけどね……」■■
元も子もない。
その通りだ。■■
読者にとって、夢オチと死にオチは最も「元も子もない」オチといえる。■■
「使い古されたような終わり方ね……」■■
「……で?」■■
【ロリーナ】
「え?」■■
「結末は?」■■
【ロリーナ】
「それが結末よ。
今言ったのがラスト」■■
「目が覚めて、それでおしまい?」■■
【ロリーナ】
「そうなの」■■
「主人公はそれからどうもならなかったの?
それまで冒険したのなら、締めに心理描写くらいはあったんでしょう?」■■
【ロリーナ】
「特に描写されていないわ」■■
「主人公の心理描写でなく、お姉さんの心理描写で締めくくられるのよ」■■
「主人公が素敵な大人になってくれるようにって、お姉さんは願うの」■■
「それが、この物語の終わり方……」■■
「……へえ。
それで、終わりなの」■■
……呆れた。■■
【ロリーナ】
「童話よりは……、少し大人向けかしら。
子供が読んで楽しめるような話じゃないかもしれないわ」■■
「貸してあげましょうか?」■■
「子供が読んで楽しめるような話じゃないんでしょう?
じゃあ、きっと私が読んでも楽しめないわ」■■
そんな話、大人でも楽しめない気がする。
どこが面白いのか、あらすじを聞いた限りでは興味もひかれない。■■
姉のように深読みしてみようという気も起きなかった。
借りたところで、手つかずのまま借りっぱなしになってしまうだろう。■■
「私には、そういう繊細な話は向いていないの」■■
実のところ、私もかなり本が好きなほうだ。
こういうところはさすがに姉妹というか、本はよく読む。■■
だが、好みというものがある。■■
「賢そうな話はダメだわ。
もっと、分かりやすいものでないと」■■
【ロリーナ】
「もう、また……。
アリスったら、いつもそんなふうに……」■■
「あなたはもう子供じゃないし、本当はすごく頭もいいでしょう?
学校の成績もいいし、なんでもそつなくこなすって先生も誉めていらっしゃったわよ」■■
「それは、ただ課題をこなしているだけで……」■■
「また、面談に行ってくれたの?
あんなの、義務じゃないんだから行かなくてもいいのに」■■
【ロリーナ】
「そうはいかないわ。
私は、あなたの母親代わりなんですからね」■■
「あなたはそういった連絡をすぐに隠してしまうから、探し当てるのに苦労するわ」■■
優しい目で見つめられて、照れる。
くすぐったい。■■
ロリーナ=【主人公の苗字】。
姉であり母のような存在の人。■■
年若い姉なのに、本物の母親と錯覚しそうになる。
それだけ、彼女は懐が深い。■■
私にも、可愛い妹、可愛い娘を演じてみようという気にさせてくれる。
彼女の期待に応え、そうならなければ、と。■■
「……ありがとう。
いつも手間をかけさせちゃってごめんね」■■
【ロリーナ】
「何言っているの。
家族じゃない」■■
「それに面談なんて数十分のことよ。
手間なんてものじゃないわ」■■
「そう?
……父さんに聞かせてやりたいわ」■■
【ロリーナ】
「お父様は……」■■
「はい、はい。
ごめんなさい」■■
「そうよね、父さんはお仕事があるもの。
だから、私に割く時間なんてなくて当然」■■
【ロリーナ】
「…………アリス」■■
「…………」■■
「……ごめん。
皮肉を言っちゃうのは癖なのよ」■■
ぺろりと舌を出す。
子供っぽく。■■
安心したのか、姉の表情は和らいだ。
それを見て、私も安心する。■■
子供のように振舞うのは、楽だからだ。■■
年の割に子供っぽい服も、姉の趣味。
姉は、私のことを、もう一人の妹・イーディス同様に可愛い妹だと思ってくれている。■■
だから、勘違いをして何でも好意的に見ている。
今のやりとりにも悲しい顔をさせてしまったが、それにも多分な誤解が含まれているはずだ。■■
父親が構ってくれなくて、拗ねている妹。
少しばかりの不幸。■■
(境遇的に、いかにも家族ものの小説にありそうだわ)■■
それこそ、心理学を必要としそうな繊細な少女像。■■
姉が心理学の本を読み漁っているのだって、私にまったく関係ないとは思えない。
姉は私を誤解している。■■
(傷つきやすい、多感な年頃だとか……)■■
自分がそう思われているとしたら、ちょっとぞっとしない。
実際の私は、そんなに可愛らしくはないのだ。■■
父が学校の面談に来るかどうかなど、どうでもいい。
そんなことで拗ねるなんて馬鹿らしい。■■
働いて、教育費も生活費も払ってくれている。
それだけで父親としては充分だ。■■
父は、大酒飲みでもなければ暴力を振るうわけでもない。
精神的にも、家族を傷つけたりはしない。■■
私も、気色の悪い家族ものの小説のように、「お父さんは私を愛してくれていないんだわ」などとごねるような年でもない。■■
(接触が少ないだけで、まったくの無関心っていうわけじゃないもの)■■
でも、父が愛しているのは、母だけ。■■
過去形だ。
母だけ、だった。■■
だから、母の子供である私達の面倒もみてくれる。■■
実子でありながら、どうも自分の子供という感覚は薄そうだが……。
だけど、それなりに大切に扱ってくれている。■■
不満なのは、姉に手間をかけさせていること。
そうさせてしまっている自分にいらつく。■■
姉の言う通り、私はもう子供ではない。
しかし、まだ子供でい続けなくてはならない。■■
養育され、面倒をみてもらっている。
自分だけでは立てず、不在がちの父のせいで姉には面倒のかけ通しだ。■■
(いつ結婚したっておかしくないのに……)■■
求婚者も後を絶たないのに、姉は私が後見人の必要のなくなる年になるまでは結婚する気がないという。
嫁き遅れてしまう・必要ないと拒みながらも、私はまだ面倒をみられる立場を脱せない。■■
どうしようもない。
私は子供だから。■■
体や心が大人でも、立場は子供だ。
そんな自分が嫌いだ。■■
父に対して皮肉を言いたくなるのは、仕方ない。
私が姉に迷惑をかけざるを得ないのは、結局のところ不在がちな父のせいだからだ。■■
内情が分かっていても、嫌いだ。
自分の立場と合わせて、嫌わざるを得ない。■■
「でも……、私がなんでもそつなくこなす、ねえ……」■■
面談で誉められたという部分も、皮肉に聞こえる。
実際には、誰かに面倒をみてもらわねばならず、その現状を打破することも出来ないのに。■■
「先生がそう言ったの?
それって、誉め言葉なのかしら」■■
担任の教師を、意地悪く思い出してみる。■■
学校での私は、優秀な成績を叩きだしてはいても、優等生ではない。
先生に対して、悪戯もすれば意地悪もする。■■
【ロリーナ】
「アリス……、学校が嫌いになったの?」■■
(…………。
私ってば、どうしてこう……)■■
どうにも要領が悪い。■■
そんな気はないのに、悲しい顔をさせてしまう。
お荷物になっておいて、墓穴を掘るのだけがうまい。■■
「そんなことないわ。
望んで行かせてもらっているんだもの」■■
「学校は楽しいわ。
授業も、友達づきあいも新鮮なの」■■
【ロリーナ】
「本当?
いじめられたりしていない?」■■
「いじめ……」■■
ぶっと、ふき出しそうになる。
姉が真剣に心配しているのが、余計におかしい。■■
「……っ……。
友人関係は……、良好よ……」■■
姉は真剣。■■
真剣なのだ。
笑っちゃいけない。■■
【ロリーナ】
「本当ね?」■■
「……っ。
ほんと……」■■
姉の心配は、的外れではない。
しかし、姉の中の私はやはり勘違いされている。■■
我が家は、貴族の家系などではないが、それなりに裕福だ。
姉は私のためと家にいてくれるし、母親のように家事もこなしてくれているが、住み込みの使用人を雇えるくらいに家計は潤っている。■■
今だって、広い屋敷の家事手伝いに、通いで家政婦が来ているのだ。
屋敷の中を忙しく動き回る女性が時折窓から覗く。■■
四人の子供を持った気のいい中年女性だが、やかましくて……。
……ともかく、我が家はそこそこに裕福だ。■■
貴族のような地位はなくとも、このくらいの資産がある家ならば、子供には家庭教師をつけるか寄宿制の学校で教育を受けさせるのが妥当。■■
世習に従えば、私も姉がそうであったように家庭教師に教わるべきだ。
もしくは、妹・イーディスのように寄宿制の学校に入るか。■■
実際、数年前までは私にも家庭教師がついていた。
前の家庭教師が辞めるとき、頼み込んで公立の学校に転入させてもらったのだ。■■
父は渋ったが、姉が説得してくれた。
まったく、姉には頭が上がらない。■■
「楽しい学校生活をおくっているわ。
本当よ?」■■
【ロリーナ】
「……なら、いいわ。
あなたが学校に通いたいと言い出したときにはどうなることかと思ったけど……」■■
「その節はご迷惑をおかけしまして……」■■
【ロリーナ】
「それ、やめてったら。
家族でしょう?」■■
「冗談よ」■■
【ロリーナ】
「冗談に聞こえないの、あなたのは」■■
「昔から、どこか他人行儀で……。
もっと、甘えてもいいのに」■■
「甘えているわよ。
今だって、すごく」■■
「これが私なりの甘え方なの」■■
【ロリーナ】
「はあ……。
嫌われてはいないと思うけど……」■■
「嫌うどころか、大好きよ。
姉さん」■■
姉の安心するであろう言葉を選びながらも、否定はしきれない。
どこか線引きをしてしまっている。■■
可愛こぶっても、本当は甘え方なんてよく分からない。
好かれ方なんて、もっと分からない。■■
うちくらいの資産家層だと、貴族のすました夜会等にも招かれる機会がある。
そこで得た教訓は、私には向いていないということだ。■■
私はイーディスのように無邪気ではなく、姉のように優雅でもない。■■
(それでも、ふりなら出来る)■■
優雅になんて笑えないが、装うだけなら簡単だ。
いつもやっていること。■■
お偉方の集まりでは、姉に向かって話すように可愛い子供を演じれば難がない。■■
逆に、それでは乗り切れないのが学校だ。
金持ちの娘が公立の学校に行けば、反感を買う。■■
下町の子も混じっている。
異端に神経質なのは、どこでも同じだ。■■
しかし、私は黙っていじめられるような可愛らしい女の子じゃない。
耐えることが美徳なんて、それこそ耐えられない。■■
(向いていないもの)■■
学校では、可愛こぶったりしない。
毅然と受け流すやり方もあるのだろうが、私の対応は実に単純だ。■■
叩かれれば叩き返すし、水をかけられれば次の日には泥水をかけてやる。
意地悪をされれば倍にして返す。■■
いじめようとした子を逆に泣かしたことも数知れず。
お互い告げ口を出来るような立場ではないから、その辺はうまくやった。■■
その気性が気風に合っていたようで、今では受け入れられ、友達も多い。■■
家のことで、どうこう言ってくるような人は周りにいなくなった。
私も家のことは話さない。■■
学校にいるのは楽で、初期に助けてくれなかった先生を悪戯の対象にする毎日は最高に気分がいい。
成績はいいし放置した負い目があるので、下手なことも言えまい。■■
教師にとっても、扱いにくい富裕層の子女など早々に自主退学してほしかったのだろうが……。
泣いて家に帰るほど、私は弱くなかった。■■
今では、溶け込めているという自信があった。
他愛ない悪戯や、馬鹿げた会話も楽しめる。■■
「学校は楽しいわ。
とっても」■■
「行かせてくれている姉さんには、すごく感謝している」■■
にんまりと笑うのは心の中だけにしておいて、姉には可愛い笑顔を向けておく。■■
可愛い……はずだ。■■
裏が透けて見えなければ。■■
幸いにして、心理学を学ぶ姉にも心の透視はできない。
にっこりと、優しい笑顔が返される。■■
(――……ああ、やっぱり)■■
【ロリーナ】
「ん、何?」■■
「ううん、なんでもない」■■
(何もかもが違う。
私とは)■■
【ロリーナ】
「あなたも大人になってしまうのねえ……。
少し寂しいわ」■■
「何言っているの。
私はまだ子供よ」■■
【ロリーナ】
「隠し事をし始めるようになったら、もう大人だわ」■■
「そんな……。
違うわよ」■■
「隠し事なんてしていない」■■
否定に、力がこもる。■■
(違うわ。
大人になっていくからじゃない)■■
(私は、昔からこうだったわ。
子供の頃から、こうだった)■■
何もかもが、姉とは違う。
まったく異なる。■■
【ロリーナ】
「イーディスのように寄宿舎に住んでいるわけではないけど、最近はあなたとの間にも距離を感じるわ」■■
(…………)■■
最近になってやっと感じ始めるなんて、呑気すぎる。■■
【ロリーナ】
「こうして、私と日曜の午後を過ごしてくれるのもいつまでかしら」■■
「……ずっとよ」■■
私がこの家を出て行く日まで、ずっと。■■
平日の放課後と土曜日は友達と過ごす時間。
日曜は、姉と過ごすと決めている。■■
他に予定もない。■■
【ロリーナ】
「いつか、あなたにも素敵な人が現れて、私なんて構ってくれなくなるわ」■■
寂しさと期待をこめて、私を見る。■■
そんな目で見ないでほしい。
姉と私は、まったく違う。■■
(そんな日は、永遠に来ないんじゃないかしら)■■
【ロリーナ】
「ふふ……。
あなたが恋人をこの家に連れてくる日が今から楽しみだわ」■■
(……それだけは有り得ないって、分かってよ)■■
視線を逸らした私を、姉は又、都合よく勘違いしてくれる。
照れたのだとでも思ったはずだ。■■
【ロリーナ】
「こうして過ごせるのも、今の内だけね……」■■
「……そうだ。
今から、ゲームをしましょうか」■■
「え?」■■
【ロリーナ】
「夢にみるくらいだもの。
よっぽどやりたいんでしょう?付き合うわ」■■
「何がいい?
チェス?オセロ?」■■
「いいのに……」■■
「本当に、ゲームがしたいわけじゃないのよ。
姉さんも、本の続きが気になるでしょう?」■■
姉は気を遣ってくれているようだが、意地をはっているわけではなく、本当に。■■
私は、ゲームがしたいわけじゃない。
ゲームなんか、したくない。■■
先刻みた夢は……、願望というよりも、もっと……強制的な夢だった。■■
そう、ゲームを『したい』のではなく、『しなくてはいけない』というような夢。■■
【ロリーナ】
「つれないことを言わないで。
ゲームは一人じゃ出来ないのよ?」■■
「せっかくだから、久しぶりにゲームをしましょう?」■■
「そりゃ、一人じゃ出来ないけど……、する必要もないし……」■■
【ロリーナ】
「ボードゲームが面倒なら、気軽にカードゲームはどうかしら?」■■
「そうねえ……。
カードゲームにも色々あるけど、シンプルに……トランプなんかは?」■■
「……トランプ?」■■
【【【演出】】】・・・どくんと心臓の音
どくんっ、と。
心臓が跳ねた。■■
【ロリーナ】
「どう?
トランプなら、遊び方もバリエーションがあるし……」■■
「……そ、そうね。じゃあ、カードゲームを。
トランプで……いいわ」■■
【【【演出】】】・・・どくんどくんと鼓動の音
体中が、ハートになったようだ。
どくどくと、脈打つ。■■
そう、『しなくてはいけない』。
私は、トランプを『しなくてはいけない』。■■
それが……。■■
「ルールだから」■■
【ロリーナ】
「え?
何か言った?アリス」■■
「え?ううん???
私、何か言った???」■■
とろんと瞼が下がり、再び眠くなってくる。
陽気のせいだ。■■
【ロリーナ】
「ふふっ。
嫌だわ、アリス、まだ寝ぼけているのね」■■
「トランプは、私が取ってきてあげるわ。
待っている間に、寝ちゃ駄目よ」■■
姉さんは、本にしおりを挟んで、身軽に立ち上がった。■■
「うん、待っている」■■
「待っているから……」■■
「…………」■■
釘を刺されたが、姉さんが家に入って行くと同時にうとうとし始める。■■
トランプは、ボードゲーム等と一緒に物置にあるはずだから、探すのにはきっと時間がかかる。■■
昔はよく、家族で遊んだものだ。
昔……。■■
母が生きていた頃は、よく……。■■
「…………」■■
【【【時間経過】】】
姉は私のためにトランプを探してくれているのに、うとうとするなんて酷い妹だと思うが、止められない。
視界が、またぼんやりしてくる。■■
暖かい、午後の庭。
草の匂いと、柔らかな日差し。■■
眠るには最高の環境に、瞼が重くなっていく。■■
いつもの景色。
花の咲いた庭。■■
のどかで美しい、いつもの日常。■■
蝶がひらひら舞って、服を着たウサギが走っている。■■
いつもの日常だ。■■
(…………)■■
(…………)■■
(……???)■■
「……?」■■
「ウサギ……?」■■
「【大】ええっっっ!?【大】」■■
服を着たウサギが走っている?■■
それが日常だったら、おかしい。
有り得ないことだ。■■
がばりっと、起き上がる。■■
「いだっ!」■■
また急に起き上がったせいで頭が痛い。
くらくらして、へたり込む。■■
低血圧なのかもしれない。
頭が痛い。■■
(…………)■■
(…………)■■
(……ウサギなんて、どうでもいいわ)■■
ウサギなんてたくさんいるんだから、その内の一匹が服を着ていても、それほど不思議なことじゃない。■■
(私は疲れているんだ。
……寝よう)■■
「…………」■■
…………。■■
【白ウサギ・ウサギ】
「……って、そこ!
追いかけるところですよ!?」■■
「なに、無視しているんです!?
ウサギを追いかけなきゃ駄目でしょう!?」■■
……ウサギが喋っている。■■
しかし、まあ、ウサギなんてたくさんいるのだ。
その内の一匹が服を着ていても、その上喋っていても、それほど不思議なことじゃない。■■
(いや、まあ、不思議だけど……)■■
(私は、相当に疲れているんだわ。
……寝よう)■■
【白ウサギ・ウサギ】
「こらこら!
若いうちからそんなに無気力じゃ将来は暗いですよ!」■■
ウサギなんてたくさんいる。
その内の一匹が服を着ていても、その上喋っても、その上私を詰ってきても、それほど不思議なことじゃない。■■
……寝よう。■■
寝るしかない。
私は疲れきっている。■■
あきらかに、面倒事の臭いがする。
……正直、関わりたくない。■■
【白ウサギ・ウサギ】
「無視しないでくださいって!
ほら、僕を追いかけないと!」■■
「……ぐうぐう」■■
【白ウサギ・ウサギ】
「…………」■■
「……ぐうぐうぐう」■■
【白ウサギ・ウサギ】
「…………」■■
「……ぐーーーーーーーー」■■
【白ウサギ・ウサギ】
「…………」■■
姉にお小言を言われたときの定番・狸寝入りを試みる。■■
だんだんと、本当に眠くなってくる。
しばらくしたら、本当に眠ってしまうだろう。■■
姉には悪いが、眠くて幻覚・幻聴症状が出てくるようでは限界だ。
後で起こしてもらえればいい。■■
暖かな日差しに、どこまでが夢なのか分からなくなる。
きっと、喋るウサギも夢だったのだ。■■
現実じゃない……。■■
ふわりと、宙に浮くような感覚。■■
「…………」■■
「……?」■■
「ええええ!!???」■■
私は、狸寝入りをしていたのも忘れ、目を開けた。■■
そこには先ほどまでいたウサギはいなくて、ちょっとインテリ風のお兄さんが………。
チャームポイントは、ウサギ耳……。■■
「えええええええええ!!???」■■
【白ウサギ・ペーター】
「耳元で叫ばないでくださいよ」■■
インテリ風のお兄さんは、ウサギ耳をぴくぴくさせた。
確かに、大きな耳のすぐ傍で叫ばれたら煩いだろう。■■
……近すぎることが問題だ。■■
「あ、ごめん。
……降ろしてよ」■■
私は悪くないのに、反射的に謝ってしまう。■■
ウサギ耳のお兄さんも充分に非日常的だが、そのお兄さんに抱き上げられている事態は更に非日常的だった。■■
かっこいいお兄さんに抱き上げられたりしたら、乙女としては顔が赤らむシチュエーションだ。■■
……ウサギ耳を無視すればの話だが。■■
【白ウサギ・ペーター】
「着いたら降ろしてあげます。
さ、行きますよ」■■
お兄さんは私を抱き上げたまま、ぴょこぴょこ穴に向かって進んでいく。■■
(……【大】穴?【大】)■■
「なっ!?
なんで、うちの庭にこんな馬鹿でかい穴が!?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「さて、なんででしょう」■■
「なんでって、なんでなんでなんで!?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「さてさて、なんででしょうねえ?」■■
こんな大きくて深い穴、見たことがない。
底が見えない。■■
こんな穴、うちの庭にあるはずがない。■■
いつ誰が掘ったんだ?
まったく気付かなかった。■■
【白ウサギ・ペーター】
「何故ここに穴があるかはともかくとして、穴があったら飛び込まなくては」■■
「えええ!?」■■
「なに!?
何言っているの、あんた!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「えいっ」■■
穴の中
【【【演出】】】・・・ぴょんと飛び込む音
お兄さんは躊躇いもせず、ぴょ~んと、穴に飛び込む。■■
……私を抱えたままで。■■
「!?!?!」■■
「っ……!!?!」■■
穴に飛び込んで……。■■
当然、落ちる。■■
【【【演出】】】・・・落下音
落ちる。
落ちる。■■
落ちる。
更に、落ちる。■■
「っ……」■■
「う……ぎ……っ」■■
op01_02 「ぎゃああああああーーーーーーー!!!」■■
「私は、確かにちょっとばかり無気力かもしれないけど、自傷癖も自殺願望もないわよーーー!?
自殺ウサギに付き合いたくないーーーーー!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「耳元で叫ばないでくださいってばーーー!」■■
「僕だって、自殺願望なんてありませんよっ!
自殺ウサギなんて酷いです!」■■
ウサギのお兄さんは反論してきたが、まともに取り合っていられない。■■
びゅんびゅんと、すごい勢いで落ちていく。
おなかが、すうっと冷える。■■
「ぎゃあぎゃあぎゃああああああーーーーーーー!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「うるさいですよ!
耳がきんきんします!」■■
「穴の中は響くんですからねーーー!
お静かにお願いします!」■■
「うるさいのはあんたよ!
この、コスプレウサギ男!変質者!」■■
「ちょっとばかり顔がいいからって、誘拐した上に無理心中なんて犯罪よーーー!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「こ、コスプレ!?
へ……変質者って……、ひど……」■■
「自殺ウサギとか、変質者とか……、酷いです……っ!
僕はあなたのことが好きなのにっ」■■
(私のことが好き……!?)■■
突然の告白に、変質者という認識が決定的になる。■■
「事実でしょーーーーー!!!」■■
「変質者じゃなきゃ、変質ウサギよ!!!
どっちにしても、不審者……不審ウサギよ!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「不審ウサギ!?
なんですか、それは!!!」■■
「違いますよ!
僕は、時間に細かい、真面目で誠実なウサギさんなんです!」■■
「誠実なウサギさんは、女の子を穴に引っ張り込んだりしないわよーーーーー!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……ん?
う~ん……。それはそうかも……」■■
「そうよ!
あんたは、誠実なウサギさんじゃないわ!」■■
……いや、そもそも誠実なウサギって、どんなだ。■■
私には、ウサギの知り合いなんていない。
比較対象がない。■■
(…………)■■
(……当たり前よね)■■
そう、当たり前だ。
ウサギに知り合いなんて、いてたまるか。■■
精々が、友達の飼っているペットのウサギくらいだ。
喋ったり、人型になったり、口喧嘩するようなウサギは知らない。■■
「これは夢よね……」■■
「これは夢、これは夢、これは夢……」■■
ひゅるひゅる落ちながら、自分に言い聞かせる。■■
これは、夢だ。
夢のはず。■■
……夢であってほしい。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ははっ、夢じゃないですよ」■■
ウサギは、私の希望をあっさりと打ち砕く。■■
「夢よ!
夢じゃなかったら死んじゃうじゃない!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「死ぬ?」■■
ぴょこんと、片耳が動く。■■
そんな可愛らしい仕草をしても、ちっとも可愛くない。
私の可愛こぶりっこよりも気色が悪い。■■
「死ぬに決まっているでしょう!
こんな深い穴に落ちたら!」■■
「地面に着いたら、人生の終わりよ!
一瞬で死んじゃうわ!」■■
ひゅるひゅるひゅる……。■■
これだけ落ちているのだ。
落下時間が長く、延々と落ち続けている。■■
どれだけ深いのか、想像もつかない。
想像したくない。■■
終わりがないような穴だが、どれだけ深くてもいつか底に着く。
これが夢でなかったら、間違いなく死んでしまう。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ふ~ん……。
そんなものですかね……」■■
「あ~、でも、そうですね。
人間だったら死んじゃうかもしれませんね」■■
「僕はウサギだから死にやしませんけど……」■■
「【大】ウサギだって死ぬわよ!!!【大】」■■
これほどの穴に落ちて、ウサギだけ例外的に助かるなんてことは有り得ない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ははは……っ。
この程度の穴で死ぬわけがありませんって」■■
「この程度!?」■■
この穴が『この程度』だとしたら、どの穴だって『この程度』ですんでしまう。■■
【白ウサギ・ペーター】
「そうですよ。
この程度……」■■
「あ……、そろそろ着きますね……」■■
「!!!」■■
「い、嫌……!!!
私、まだ死にたくな……っ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「なんです?
まだ着きたくないんですか?」■■
「着きたくないっていうか……」■■
(無事でいたい……)■■
この穴の深さでは、到着がイコール死だ。■■
「落ち続けたいわけじゃないけど、死にたくないから着きたくもない……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「あ!
落ちるのにハマっちゃったんでしょう?」■■
「ハマる……?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そうですよね~。
落ちていくのって楽しいですよね」■■
「僕も、いつまでも落ちていたい気分になることがありますよ」■■
「すうっとして、すっきりするっていうか……」■■
「すうっとしすぎよ!!!!!
ハマるわけあるか!!」■■
阿呆なことをぬかすウサギを張り倒してやりたい。
ここが地に足をつけられる場だったら、間違いなくそうしていた。■■
青くなるほど、すうっとしすぎて、すっきりどころか死にそうだ。■■
【白ウサギ・ペーター】
「あなたと一緒だと、余計に楽しい。
僕もハマりそうです……」■■
うっとりと囁かれ、更にすうっと血の気が引く。■■
(変質者……)■■
(変質者と心中……)■■
「こんな人生の幕引きは嫌~~~……!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ははは……。
いつまでも落ちていたいっていう気持ちは分かりますけど、そうはいきません」■■
「そんなこと言っていない!!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ははっ、着きますよ~」■■
「~~~~~~~~~~~~~っ!!!」■■
目を閉じる。
スプラッタな自分の姿が目の裏に浮かぶ。■■
(思えば、短い人生だった……)■■
人は死ぬ間際に色々と思い出に浸ったり未練を悔やんだりするというが、大したことは思い浮かばない。■■
姉・ロリーナは悲しむだろうが、きっと将来は姉に見合う男性と結婚して幸せな家庭を築くだろう。
死んだ妹のことを忘れずに、新居の写真立てに飾ってくれるはずだ。■■
妹のイーディスは……、あの子は泣くだろう。
わんわんと、うるさいほどに。■■
でも、立ち直りも早い。
目を腫らして、次の日には立ち直れる。■■
父は……、泣くかどうかも怪しいものだ。
母が死んで以来、父は仕事の鬼と化していて、家にいる時間もほとんどない。■■
前に顔を合わせたのがいつだったかも覚えていない。
まともな会話をしたことなど、遥か昔だ。■■
狂ったように仕事に明け暮れる父は、父親としては失格でも夫としては最高なのだろう。
再婚など思いつきもしない人だ。■■
(……羨ましい)■■
彼が嫌いで、哀れで、嫉ましい。
失ったら気が狂うほどに好きな人と結ばれていたのだ。■■
父の世界は、母を失って灰色になった。■■
私が死んでも、世界は何も変わらない。
私が死んでも、誰も気が狂ったりしない。■■
未練があるとすれば……、大した未練がないことが未練だ。■■
私には、残していって不安な人がいない。
私なしでは狂ってしまいそうな人が。■■
(私には、無理だわ)■■
私には。
きっと、ずっと。■■
私は、母のようにも姉のようにもなれない。■■
【【【時間経過】】】
時計塔・展望台
【白ウサギ・ペーター】
「……はい、到着っ!」■■
【【【演出】】】・・・ぴょーんとバウンドの音
ぴょ~んと、大きくバウンドする。■■
とてつもなく大きなトランポリンで跳ねた感じ。■■
相当に深い底まで落ちたはずなのに、死ぬどころか、衝撃はほとんどなかった。■■
(……すごいバネ)■■
呆気にとられる。■■
落下時間はとても長く感じられたが、恐怖で感覚が狂っていたのかもしれない。
思ったより、浅い穴だったのだろうか。■■
そろりと目を開けると、そこは……。■■
「…………」■■
「……どこ、ここ」■■
目の前に広がるのは、あきらかに私の家の庭ではない。
地底深くの、真っ暗な洞窟でもない。■■
深い穴の底とは思えない、明るい景色……。■■
穴の底というより、展望台のような見晴らしのいい場所だ。
塔の上階のような……。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ん?ここがどこかって?
ここは、不思議の国ですよ」■■
ウサギは、質問自体が不思議なことだというように答える。■■
広がる景色に見覚えはない。
少なくとも、うちの近所ではなさそうだ。■■
穴に落ちて、知らない地域の塔の上。
確かに不思議としか表現できない。■■
「不思議の国……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そうそう。
不思議の国」■■
「ワンダーランドにようこそ、アリス」■■
「…………」■■
(…………)■■
(顔はいいのに、かわいそうに……)■■
このかっこいいお兄さんは、若干、××××系の人らしい。■■
「……はっ!」■■
「…………。
なんで、私の名前を……」■■
穴を落ちたときとは別の意味でぞっとする。■■
こんな知り合いはいない。
家に招いた覚えもない。■■
姉や父、妹などの知り合いとも思えなかった。■■
(ウサギコスプレで不法侵入・誘拐・無理心中未遂の上……、ストーカー?)■■
やっぱり、変質者……。
まごうことなき、変質者……。■■
パーフェクトな姉ではなく、私のほうをストーキングするあたり、趣味も悪い。■■
(顔はいいのに、もったいない……)■■
ちょっと、ホロリとくる。■■
「あなたって……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「こらこらこら……。
なに、哀れみの目で見ているんです」■■
「……なんだか、ろくでもないことを考えていそうですね」■■
「……ええ」■■
「危険そうな人だなあ……、って」■■
ストーカー……。■■
ストーカー……。
ストーカー……。■■
ストーカー……。
ストーカー……。
ストーカー……。■■
(……ストーカー)■■
へたりこんだまま、じりじりと距離をとる。■■
【白ウサギ・ペーター】
「危険じゃありませんよ。
警戒しなくても、何もしませんって」■■
「でも……」■■
ストーカーの言うことなんか信用がならない……。■■
【白ウサギ・ペーター】
「アリス、あなたに危害を加えるつもりはありませんよ。
……僕は」■■
「……含みのある言い方をするわね」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ははは。
含みなんて……」■■
「…………。
……ありませんよ?」■■
……ないとはとても思えないような間があった。■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕は、時間に細かい、真面目で誠実なウサギなんです」■■
(時間に細かい?
真面目で誠実な……?)■■
「…………」■■
「……じゃあ、うちに帰してよ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「無理です」■■
「……ふざけているの?」■■
眼下に広がる景色には、まったく見覚えがない。
どうやって移動したのか分からないが、ここは私の家からは随分と離れた場所のようだ。■■
【白ウサギ・ペーター】
「好奇心といえども僕を追いかけてきたからには仕方ありませんよ。
さあさあ、この薬を飲んでください」■■
「……は?」■■
唖然とする。■■
追いかけてきた?
連れ去られたの間違いだろう。■■
「あんたが誘拐してきたんでしょう!?
怪しいウサギなんて追いかけて穴に飛び込んだりしないわよ!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……嫌だなあ。
落ちたショックで前後の記憶が曖昧なんですよ」■■
「とにかく!僕を追いかけて穴に落ちた後は、薬を飲むんです!
さあ、飲んで!」■■
「冗談はやめてよ!
なんで、名前も知らない変質者から貰った怪しい薬なんて飲まなきゃならないのよ!」■■
「常識的に考えて……、いや、考えなくても飲むわけがないでしょう!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ああ、自己紹介がまだでしたね。
僕は、白ウサギです」■■
「さあ、自己紹介もすませましたし、飲んで」■■
「…………。
名前っていうか、種類でしょ、それ」■■
自己紹介をすませればいいという問題でもないが、つい突っ込んでしまう。■■
これも反射的。
人間、非日常に遭遇すると妙に冷静になるか慌てふためくかのどちらかだ。■■
「あなたの名前は?
名乗れないの?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕の名前……?」■■
名乗れないような怪しげな素性なのかと睨むと、ウサギはじろじろと見返してきた。■■
「なに……?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「…………」■■
「……へ~え」■■
「……?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕の名前が知りたいんですか?」■■
「知りたいっていうか……」■■
お近付きになりたいわけではない。
顔はいいけど変質者の友達なんて、欲しくない。■■
「あなたは私の名前を知っているのに、私はあなたの名前を知らないのよ?
不公平じゃない」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……なあんだ。
てっきり……」■■
「僕のことを好きになったのかと思ったのに……」■■
「は……」■■
口がぽかんと開く。■■
「呆れた……。
なんて自惚れ屋のウサギなの……」■■
「私が、あんたを好きになる?
冗談じゃないわ」■■
「いくら顔がよくったって、誘拐犯を好きになるほど馬鹿な女じゃないのよ」■■
読書家の姉を持つだけあって、心理学の知識もそれなりに植えつけられている。■■
誘拐された者が誘拐犯に好意を持つのはよくあることだ。
つり橋の法則と大差ない。■■
恐怖を恋と勘違いするのに似ている。
パニックは、人の感覚をおかしくするのだ。■■
頼る者がその人しかいない・その人が自分の命運を握っているとなれば尚更で、縋る心情が好意にすりかえられる。■■
「私を、かわいそうな被害者と一緒にしないで。
あんたなんかを好きになったりしないわ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……そうですよね。
簡単にはいきませんよね」■■
ウサギの耳が、ぴくぴくっと動いた。■■
【白ウサギ・ペーター】
「そううまくいっちゃ、ゲームがつまらない」■■
「さあ、ゲームを始めましょう。
さあさあ、飲んで」■■
(ゲーム?)■■
「飲むわけがないでしょう……」■■
ぷいとそっぽを向く。■■
【白ウサギ・ペーター】
「……む。
飲まないと、家に帰してあげませんよ?」■■
「どうせ、帰してくれる気なんかないくせに」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そんなことは……」■■
「帰す気なら、条件をつけたりしないわ」■■
この誘拐犯が、私を家に帰してくれるとは思えない。
だからといって、従う気などさらさらなかった。■■
隙をみて、自力で帰る。
それしかない。■■
今は、情けないことに腰が抜けて立てない。
しばらくして力が戻ったら……。■■
【白ウサギ・ペーター】
「……いいから、飲んでくださいよ」■■
「人の話を聞きなさいよ。
飲まないって言っているでしょうっ!!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「薬を嫌がるなんて、小さな子供みたいですね」■■
「小さな子供!?
幼くないからこそ、分別があるのよ!」■■
誘拐犯相手に猫を被る必要などない。
子供ぶるつもりもなかった。■■
【白ウサギ・ペーター】
「もう……。仕方がないなあ……。
駄々っ子なんだから……」■■
「ちょっと!
聞いているの!?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「はいはい……。
そんなに強気で意固地だから、ボーイフレンドにも逃げられてしまうんですよ?」■■
「!!!」■■
頭にかっと血が上った。■■
この変質者は、最低だ。
名前だけでなく、触れられたくない内側までも調べ上げているらしい。■■
知っていて、踏み込んでくる。■■
【白ウサギ・ペーター】
「お姉さんに持っていかれてしまうなんて、かわいそうですよね」■■
ウサギの口調は、ちっともかわいそうというふうではなかった。
本物のウサギのように赤い目は、皮肉に笑っている。■■
「姉さんに持っていかれたわけじゃないわ!
姉さんは、私のものを取ったりするような人じゃない……!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そうでしょうとも。
あなたのボーイフレンドが、あなたのお姉さんに勝手に熱を上げてしまっただけのことです」■■
「あなたのものを取ったりするような人じゃないお姉さんは、見向きもしなかった。
実に誠実で、妹思いのお姉さん」■■
「それで終わり。
それだけのことですよね」■■
そう、それで終わり。
それだけのことだ。■■
続きなんかない。
それで終わりだ。■■
「そうよ。
姉さんは誠実だった」■■
【白ウサギ・ペーター】
「それに、ガールフレンドの姉に熱を上げるような馬鹿な男には興味もなかった」■■
「……そうよ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そんなくだらない男、お姉さんは相手にもしなかった。
お姉さんにはもっと上流の男が似合う」■■
「……何が言いたいの」■■
そう、そうだ。
姉には上流の男性が似合う。■■
ガールフレンドの姉に熱を上げるような馬鹿な男には、興味もなかった。
向けられる視線の熱さに、気付いてもいなかっただろう。■■
だけど、私は、そんな男に熱を上げていたのだ。
姉は、知らなかった。■■
姉は誠実で、その人をまったく相手にしなかった。■■
(姉さんには、相応しくなかった)■■
素敵な姉さん。
優しくて、誠実で。■■
たおやかなのに、凛々しく、まっすぐな女性。■■
告白を受けたとき、姉は、ちらりともその人を見なかった。
まったく、迷うこともなく、袖にした。■■
そのことに安心して、振ってくれた姉に感謝して、振られたその人を見てすっきりした。
そして、傷ついた。■■
姉は私とは格が違う。
私が好きになった人を、相手にもしない女性だ。■■
【白ウサギ・ペーター】
「その上、初恋の家庭教師は、あなたにお姉さんを重ねていた」■■
「……っ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「知っていますよ?
あなたはかわいそうな人だ」■■
「かわいそう。
かわいそうなアリス」■■
頭に、これ以上ないというくらいに血が上る。
湯気が出そうだった。■■
しかし、どこかに冷静な自分がいる。■■
このストーカーウサギはムカつく男だ。
人を傷つけるようなことを平気でのたまうような、嫌な男。■■
彼の口調が言葉通りに私を哀れんでいたら、私は傷ついた。
だが、彼は楽しそうで……。■■
私は今、怒ってはいても傷ついてはいない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「かわいそうだから……、飲ませてあげます」■■
「な……?」■■
op01_06 「……っつ……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「かわいそうな人だ……」■■
「……っは……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕が解放してあげますよ。
楽にしてあげる」■■
口をこじ開けられ、液体が流し込まれる。
頭を固定され、無理やりに。■■
唇を閉じていられない。
キスなんてものじゃない。■■
「……離……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……全部飲んだら、ね。
すぐに離してあげますよ、アリス」■■
「僕は、あなたに乱暴な真似なんかしたくないんです」■■
「……っ……」■■
これが、乱暴でなくてなんだというのだ。■■
こんなもの、キスなんかじゃない。
暴力だ。■■
だが、唇を合わせ、液体を飲み込まされて……。■■
キスじゃない。
キスじゃないのに、経験したことのないような深いキスを交わしている気分になる。■■
【白ウサギ・ペーター】
「……苦しい?」■■
「……う……」■■
「苦しいに決まって……」■■
時々、唇が離され、話しかけられる。
答えた隙に、また深く口付けられる。■■
「…………っ」■■
かなりの量を飲み込んでしまった。
なんだか分からない。■■
毒かもしれない。
毒だとしたら、心中だ。■■
この男の口の中にも薬は広がっている。
どこからどこまで、何がなんなのか分からないくらいに、深い。■■
苦しい。
飲み込んでしまう。■■
「……っ」■■
「……~~~~っ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「苦しいでしょうね。
でも、あなたの望んだことなんですよ?」■■
こんなこと、誰が望むものか。
そう言おうとしたが、反論できない。■■
言葉に窮したわけではなく、口を開けば薬を飲み込まされる。■■
何も言えない。
口を開けない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「どうでもいいって思っているでしょう?
自分のこと」■■
「どうなったっていいって、そう思っていたはずです」■■
「…………」■■
今度は、口が開けたところで反論できただろうか。
今の言葉を否定できただろうか。■■
自分など、どうなったっていい。
そんなふうに思ったことなどない、と。■■
私には……。■■
「でも、あんたみたいな奴にキスされることなんて、望んでない……っ!!!」■■
キス。
これがキスだなんて、認めたくない。■■
キスだとしたら、一生忘れないような最悪なキスだ。
認めたくないが、口に出した時点ですでに認めてしまっている。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ふふっ、苦しみたいって望んでいたくせに」■■
ウサギはそう言って、軽く笑い、唇を離した。■■
「っつ!
げっ、げほ……!!!」■■
(信じられない!
この男!)■■
(最後の一滴まで飲み込まされた!!!)■■
「の……、飲んじゃった!
やだ、知らない人から貰ったものを食べちゃ駄目なんていう姉さんのお小言、笑ってやりすごしていたのに!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……ああ、好奇心といえど、薬を飲んでしまったからには仕方がない」■■
「これはハートの薬。
アリス、飲んだからにはゲームに参加しなくてはなりません」■■
薬の一部が気管に入り涙目でむせている私を無視して、ウサギは芝居がかった調子で喋った。■■
「ふ……、ふざけたこと言ってんじゃ……!!
げっ、げほげほっ!!!」■■
「げ~~~~……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そんな、吐き捨てるみたいに言わないでくださいよ。
傷つくなあ」■■
ちっとも傷ついていそうに見えない、しらっとした顔でウサギは口元を拭っている。■■
「……吐きそうよ。
最悪っ」■■
事実、私はなんとか吐こうとしていた。■■
口に指を突っ込む。
下品かもしれないが、吐き出さなくては。■■
(ハートの薬?
それって、なんの薬?)■■
ウサギに聞いても、のらりくらりとはぐらかされて話を引き延ばされることは目に見えていた。■■
一刻も早く吐き戻そうとするが、これがなかなか難しい。■■
【白ウサギ・ペーター】
「吐きたいくらいに嫌?
僕は、そんなに悪い気分じゃありませんでしたけど」■■
ウサギが覗き込んでくる。
吐き出そうとしているのは分かっているだろうに、女性に対しての気遣いなど皆無だ。■■
ぎっと見上げると、ウサギは未だに口元を拭っていた。■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕は、あなたが好きなので」■■
「…………」■■
「……それはよかったわね。
私は、最悪な気分だわ」■■
初対面の相手が、あんな乱暴なキスをしてきた挙句、目の前で口元をごしごしとこすっている。
薬だかなんだかを飲ませるのが目的だとしても、屈辱だ。■■
(こいつ、私のことを好きどころか嫌いなんじゃないの)■■
おざなりに言われた、「そんなに悪い気分じゃありません」という言葉で余計に苛立つ。■■
「そんなに悪い気分じゃありません」?
それなら、少しだけ嫌な気分ということか。■■
自分から仕掛けておいて?
正体不明の薬を飲ませておいて?■■
ハートの薬というのは、いったい何だ。
名前からして、マズイ雰囲気がぷんぷん漂っている。■■
吐き戻せなかった私には、これからどんな症状が出るのか……。■■
…………。■■
(…………)■■
(……【大】ぶち殺す【大】)■■
あれがどんな薬にせよ、ろくなものじゃない。
当然、これから出る症状にしたってろくなものじゃないだろう。■■
見覚えもないような場所で、これからどうなるにしろ、ぶん殴らなくては気がすまない。
いや、ぶん殴ったくらいじゃ治まらない。■■
怒りで、力が戻る。
先刻まで腰が抜けて立ち上がれなかったのに、急に足元がしっかりした。■■
穴に落ちてから、落ち続けていくような感覚だったのに。
どうして、急に力が戻ったのか。■■
(……どうでもいい。
ともかく、一発殴っておこう)■■
【【【演出】】】・・・ドカッと殴る音
【大】ドカッ!!!【大】■■
【白ウサギ・ペーター】
「あだっ!!!?」■■
(……決まった)■■
結構いい音がした。
手ごたえもバッチリ。■■
拳骨が、いい感じにひりひりとする。■■
【白ウサギ・ペーター】
「痛いですよ!?
何するんですか!」■■
「何って、分からないの?
……殴ったのよ」■■
ここで溜め息を一つ。■■
「そうよね。
非力な女の細腕じゃ、思い切り殴ったとしても何も感じない程度よね」■■
「分からないのなら、もっと殴らなきゃ……」■■
そもそも、一発ですましてやる気などなかった。■■
【白ウサギ・ペーター】
「えっ?
えっ、ええ?」■■
「なに?
ちょっと?!?」■■
「い、痛かったですよ!?
非力どころか、あなた、なんでそんなに喧嘩慣れして……」■■
「わっ、ちょ……っ」■■
はあっと、拳骨に息を吹きかける。■■
【【【演出】】】・・・ドカッと殴る音
【大】ドカッ!!!【大】■■
【【【演出】】】・・・バキッと殴る音
【大】バキッ!!!【大】■■
【白ウサギ・ペーター】
「っつ~~~~~~~~!!!」■■
「分かった?
殴ったのよ」■■
「……まだ分からない?
私が怒っていること」■■
【白ウサギ・ペーター】
「わっ、分かりました!
分かりましたとも!!!」■■
「……その態度じゃ、分かったとは思えないわね」■■
再び拳を作ると、ウサギは慌てて言い足す。■■
【白ウサギ・ペーター】
「分かりました!
分かってます!」■■
「すごく……すごく怒っているんですよね!?
ごめんなさいっ!!!」■■
「すごくじゃないわ。
ものすご~~~く……、よ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そう!
そうですよね!」■■
「ものすごく怒っているんですよね!?
間違えました、すみませんっ!!!」■■
「ものすごく、ものすご~~~~~~く怒っているわ」■■
「……乙女の唇は安かないのよ。
代価は払ってもらいますからね」■■
【白ウサギ・ペーター】
「え!?ええ!?
お金とる気ですか!?」■■
「お金ですむなら安いものでしょう」■■
「……でっかい借りを作ったと思いなさい」■■
「で、ここはどこなの。
さっさと家に帰して」■■
手をグーの形にして、ウサギにちらつかせる。■■
【白ウサギ・ペーター】
「は、はあ……。
えっと、ここはハートの国で……」■■
痛い目にあったせいかウサギの態度は神妙なものに変わっていたが、答えは相変わらず要領を得ない。■■
「そんな国名は聞いたことがない」■■
【【【演出】】】・・・ドカッと殴る音
【大】ドカッ!!!【大】■■
【【【演出】】】・・・バキッと殴る音
【大】バキッ!!!【大】■■
【【【演出】】】・・・ミシッとめり込む音
【大】ミシッ!!!【大】■■
ばっさり切り捨てて、景気よく殴る。■■
【白ウサギ・ペーター】
「った~~~~~~~~~~~……」■■
「ひ、ひど……!動物虐待ですよ!?
ありえない音がしませんでしたか、今!」■■
「動物虐待は、いけないことよね。
動物や子供に暴力を振るう人は許せないわ」■■
「でも……、誘拐犯に情けは無用よ」■■
ウサギの白々しい態度と同じくらいに白々しく、鼻で笑ってやる。■■
このウサギは、ウサギ耳こそはえているが、か弱い動物や子供ではない。■■
どう見ても青年で、力もある。■■
「私のほうが弱者なんだから、私が暴力を振るう分には問題ないわ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「こんなに強い人を弱者なんて言いませんよ!」■■
「追い詰められれば、弱者でも強くなるわよ。
私を追い詰めたあんたが悪いの」■■
「姉さんの前だったら、こんなことしないんだから。
それなりにいい子で通っているのよ、私」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……っは、いい子?
くだらないですね……」■■
「……くだらないとか、あんたに言われる筋合いはないわ」■■
ウサギは、すぐに憎たらしい態度に戻った。
まったく、癪に障る奴だ。■■
このストーカーウサギがどこまで知っているのかは分からないが、関係ない。
他人だ。■■
人間関係や心情など、語る必要はなかった。
私が、このウサギに望んでいることは一つだけだ。■■
「ここはどこなの。
私を帰して」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ここがどこかって?
ハートの国……、その答えはお気に召さないようだから、言い方を変えましょうか」■■
「ここは、あなたが望んだ世界ですよ。
アリス」■■
「ここでは、誰もあなたのことを知らない。
あなたのことも、あなたのお姉さんやお母さんのことも」■■
「…………」■■
まともに相手にしてはいけない。
戯言だ。■■
「……私が望んでいるのは、帰ることよ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「帰りたいんですか?」■■
「当たり前でしょう」■■
【白ウサギ・ペーター】
「本当に?」■■
「くどい。
帰さないと、通報するからね」■■
帰してくれても、通報する気でいっぱいだ。■■
ストーカー行為・不法侵入・誘拐。
女の敵。■■
「通報されたら、牢屋行きになるわよ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「牢屋ですか……。
それは嫌だな」■■
「誰だって嫌でしょうよ。
今なら減刑できるわ。帰して」■■
【白ウサギ・ペーター】
「牢屋って、埃っぽくてかび臭い。
不潔じゃないですか」■■
「ウサギは、綺麗好きなんですよね~。
汚い場所は好きじゃない」■■
すっとぼけているのか、のんきな男だ。■■
「……あんたが綺麗好きかどうかなんてどうでもいいけど、不潔な場所へ送り込まれたくなかったら、とっとと私を家へ帰すことね」■■
【白ウサギ・ペーター】
「…………。
アリス、本当に、元の世界へ戻りたいんですか?」■■
「くどい男はもてないわよ」■■
いくら顔がよくてもね、と、続きの言葉は飲み込む。
顔はいいが、ストーカーじゃ救いようがない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「本当の本当に?」■■
「くどいって何度言わせる気なの」■■
【白ウサギ・ペーター】
「あなたが嘘つきだからですよ」■■
ぴしりと、ウサギは言い切った。
とても自信に満ちている。■■
これぞストーカーの戯言だ。■■
思い込みもいいところ。
自分が正しいと思っている。■■
「嘘なんて……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「嘘ですね。
帰りたいと望むような人には、僕を呼べない」■■
「あんたを呼んだ覚えなんてないわ!
会ったこともない人を呼ぶわけないでしょう」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……会っていますよ?」■■
「何度も、何度もね。今だって、会っている。
今会っているように、昔から会っていた」■■
「あなたの心には、いつだって僕が詰まっている」■■
「気持ちの悪いことを言わないで」■■
【白ウサギ・ペーター】
「詰まっているんですよ、ぎっしりとね。
今このときだって」■■
とんと、ウサギは私の胸を指で突いた。■■
とんでもなく無礼なのには、今更驚かない。
しかし、この男ときたら……。■■
変質者そのものの行動だが、いやらしさがない。
危機感がいまいち出てこないのも、そのせいだろう。■■
今も、分かっている。
このウサギは私の胸を触ったのではない。■■
ハートだ。
心臓をなぞった。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ずっと、僕達は一緒にいた」■■
「僕とあなたは長いお友達だ。
同じ世界に招きたくなるくらいに」■■
ストーカーの、狂気じみた言葉だ。■■
だが……、なぜだろう。
危機感は、それでも生まれてこない。■■
帰りたい。
帰りたいはずだ。■■
……帰りたいはず、なのに。■■
友達の家に遊びにいって、帰りたくないなと思うときのような気持ち。
明日が休みなら、このまま泊めてもらうのに。■■
そういう気持ちになってしまう。■■
「…………。
私は、あんたと会ったことがないわ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「アリス。
あなたが僕を否定しても、僕はあなたの中にいる」■■
「……間違った。
今は違いますよね。あなたが僕の中にいる」■■
「僕の中に……」■■
「…………」■■
「……気色が悪い」■■
【大】ドカッ!!!【大】■■
【白ウサギ・ペーター】
「っつった~~~~~~~~~~!!!」■■
「あなたって、乱暴すぎ……」■■
「僕があなたを撃てないと知っていてそういうことするんでしょう?
酷いなあ……」■■
(うてない?)■■
(……うつ?)■■
どの「うつ」なのだか、意味がとれない。■■
「……もう、いい」■■
「帰す気がないのなら、自分で帰るわ。
さようなら」■■
さっと、ウサギに背を向ける。■■
立ち上がれるようになったからには、もうここに留まっている理由もない。
役に立たない案内人などいらない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「……えっ!?
ど、どこへ行くんです!?」■■
「帰るのよ」■■
「あんたを殴って、私は帰るの。
お分かり?」■■
拳を見せ付けると、ウサギの耳がぴんと立った。■■
びくついたらしいが、追いかけてくる。
私は振り向かない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ま、待ってくださいよ!
帰れませんよ!?」■■
「帰るわ。
道は分からないけど、そんなのどうとだってなるもの」■■
「迷ったら、人に聞く。
あんたじゃない、他の人に」■■
【白ウサギ・ペーター】
「!!!」■■
「他の奴に!?
皆、僕と同じですよ!」■■
「…………。
皆、変質者なの?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「違います!
でも、皆、僕と同じです」■■
(……まさか、この地域に住んでいるのは皆が皆ウサギ耳付きの変人ばかりなのかしら)■■
(…………。
……うげ~~~……)■■
「そ、それでも、あんたよりはマシでしょうよ」■■
恐ろしい考えを頭から締め出す。
このウサギが教えてくれない以上、自力で帰るしかない。■■
ここがどの地域なのかは分からないが、どうせ地続きだ。
歩いていれば、どこかへは着く。■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕を受け入れてくれないんですね……」■■
「……他を当たりたいなら当たればいい。
帰ったところで、どうせあなたは僕から離れられない」■■
「どこへ行こうとも、僕はあなたの……」■■
「…………」■■
「……だから、そういう台詞はストーカーそのものだからやめときなさいって」■■
【【【演出】】】・・・ドカッと殴る音
【大】ドカッ!!!【大】■■
【白ウサギ・ペーター】
「いったあ……。
酷い……、酷いですよ、アリス!」■■
「……うるさい。
いちいち気色が悪いのよ」■■
イライラと歩く。■■
手助け無用と言ったはいいが、本当にここはどこだ。
周囲の様子を見下ろしても、まるきり見覚えのない景色だ。■■
私は、穴に落ちたはず。
穴は、うねうねと曲がってなどいなかった。■■
そんなに遠くへ飛ばされたとは思えない。
おかしい。■■
……落ちたのだから、塔の上にいるということ自体がおかしいのだが。■■
【白ウサギ・ペーター】
「帰ろうにも、もう手遅れですよ。
薬を飲んじゃったんですから……」■■
「!」■■
「……あの薬!
そうか、あれで幻覚症状が出ているのね!?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「幻覚……?
幻覚じゃありませんよ」■■
「飲む前から、ここの景色は変わらないでしょう」■■
「うるさいうるさい!
そう考えないとやってられないのよ!」■■
「じゃあ、あの薬は一体何……」■■
【白ウサギ・ペーター】
「アリス、アリス!」■■
「うるさいってば!」■■
【???・ユリウス】
「うるさいのは貴様だ、女。
人の領土で何を騒いでいる」■■
「!!!」■■
(また、変なのが出てきた……!?)■■
【白ウサギ・ペーター】
「時計塔の主のお出ましですか……。
……お邪魔しています」■■
【???・ユリウス】
「……まったくだ。
邪魔だから、速やかに出て行け」■■
「私は、女王の関係者と帽子屋連中と遊園地の馬鹿共とは付き合いたくないんだ。
関わり合いになるのも嫌だ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「それって……、この国の誰とも係わり合いになりたくないってことでは……」■■
【???・ユリウス】
「その通りだ。私は誰とも関わりたくない。
速やかに立ち去れ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「はあ……」■■
「変わりませんね。
時間の番人、ユリウス=モンレー」■■
【ユリウス】
「変わってたまるか。■■
……ん?」
「…………」■■
【ユリウス】
「なんだ、この女……。
おい、人のことをじろじろと見るな」■■
ユリウスという男に注意されたが、私はじろじろと見るのをやめなかった。■■
失礼だというのは分かっている。
しかし、この人がどういう人なのか見極めなくては。■■
私は誘拐されて、ここは見知らぬ土地。
この男がウサギの知り合いなら、この男にも警戒しなくてはならない。■■
(……でも、ウサギ耳はない)■■
それだけで一気に好感度も上がろうというものだ。■■
安心した。
この地域の人間すべてにウサギ耳がはえていたら、悪夢だと決め付けて気絶するしかない。■■
「観察しているのよ。
私にとっては重要なことなの」■■
【ユリウス】
「?
不躾な女だな。さすが、ウサギの連れなだけある」■■
私の状況はユリウスには伝わっていないらしく、気味悪そうに目を逸らされた。■■
ユリウスにとっては、私こそが不審者のようだ。
私がウサギを見るのと同じように私を見る。■■
少し安心した。
この人は、警戒心を持ち合わせた、まともな神経の持ち主らしい。■■
【白ウサギ・ペーター】
「どういう意味です」■■
【ユリウス】
「言葉通りの意味だ、ウサギ」■■
「どいつもこいつも、ウサギは皆イカレている。
その連れだって、イカレているに決まっている」■■
【白ウサギ・ペーター】
「彼女は、僕の愛しい人ですよ。
侮辱したら許さない」■■
ウサギの言葉にぎょっとした。
もちろん、私は彼に「愛しい人」などと言われるような関係ではない。■■
【ユリウス】
「おまえの女ではなくおまえを侮辱しているんだ」■■
「こいつの女!?
私がこいつの、恋人ってこと!?」■■
「よしてよ!
誤解だわ!」■■
「このウサギはストーカーで……」■■
私の抗議は、ウサギにもユリウスにも無視された。
目を向けもしない。■■
【ユリウス】
「ウサギなど、滅べばいい」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ウサギウサギって……。
差別だ……」■■
「いくら時計の番人でも、女王の臣下に対して無礼なんじゃありません?」■■
【ユリウス】
「この国は女王の領土だが、この時計塔に限っては私の領土だ。
私へ命令するなら、領土外でするんだな」■■
【白ウサギ・ペーター】
「あなた、時計塔から出ないでしょう」■■
【ユリウス】
「そうとも。私はここから出ない。
だから、私には誰も命令できないというわけだ」■■
ウサギは恨めしげにユリウスを見るが、彼は動じない。
堂々としたものだ。■■
【白ウサギ・ペーター】
「はあ……」■■
「僕って、偉いウサギなんですよ?
扱いが酷い……」■■
【ユリウス】
「敬ってほしければ、尊敬に値する行動をとれ。
尊敬は権力に付随するものではなく、権力を行使する方法によってこそ付いてくるものだ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……ご忠告、どうも」■■
【ユリウス】
「まあ、貴様が今更尊敬に値する行動なんぞをとったところで、何を企んでいるのかと思われるのがオチだろうがな」■■
【白ウサギ・ペーター】
「…………」■■
【ユリウス】
「尊敬どころか、信用に値しない奴だ」■■
(……キっっっツイ人)■■
険のありすぎる人だ。
言葉以上に、威圧されるのがキツイ。■■
だが、ウサギに散々なめにあわされた身としては、すっきりする。■■
(それにしても、女王だのなんだのって、いったい何……)■■
【白ウサギ・ペーター】
「……ユリウス=モンレー」■■
ウサギの目がすうっと、細まる。
赤みが増したように見えるのは気のせいなのか。■■
今までの空気とは違う、ひんやりしたものが流れた。■■
「……っ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「おかえしに、僕からも忠告して差し上げますよ」■■
「長生きしたいのなら、これからも時計塔から出ないことですね。
後ろに気をつけて歩くことです、これからも一生」■■
【ユリウス】
「ご忠告、ありがとう」■■
ユリウスは、動じなかった。
脅しにしか聞こえない言葉を、ウサギの言い方を真似て挨拶のように受け入れる。■■
【ユリウス】
「しかし、無駄な忠告だ。
私が表に出ると思うのか?」■■
「領土争いになど興味はない。
この時計塔があればいい」■■
【白ウサギ・ペーター】
「時計塔を奪われそうになったら?」■■
【ユリウス】
「……そういう事態にならない限り、動かないさ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「そういう事態になったら動くんですね」■■
ウサギは、微笑んだ。■■
(……邪悪)■■
そう形容するしかない笑みだ。■■
顔の作り自体が優男なだけに、空寒い。■■
【白ウサギ・ペーター】
「僕が、女王様の耳であることをお忘れにならないことだ」■■
【ユリウス】
「貴様も、覚えておけ。
私は、長生きにも興味がない」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……忘れていませんよ」■■
【ユリウス】
「……ふん」■■
【白ウサギ・ペーター】
「あなたは、何にも興味がないんですよね。
自分に対しても」■■
思わせぶりに囁く。
それは捨て台詞だったようで、ウサギは階段へ向かった。■■
【白ウサギ・ペーター】
「では、僕は帰りますよ」■■
(……って、……え???)■■
(ええ???)■■
(誘拐しておいて、放置する気!?)■■
意味が分からない。
それならいったい、何のために連れてこられたというのか。■■
(いや、何かされても嫌だけど、でも……)■■
先ほどのキスの記憶は、強引に頭の中から削除する。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ああ、忙しい、忙しい。
僕のスケジュールには一秒の余暇さえないんです」■■
【ユリウス】
「貴様の時計は、頭同様に狂っているようだな。
私にも修理できん」■■
【白ウサギ・ペーター】
「あなたに直してもらわないといけないようなら、壊れたままでいいですよ」■■
ウサギはべえっと舌を出した。■■
子供じみた仕草だが、目は笑っていない。
冷たい視線をユリウスにくれて、ウサギは階段を下りていこうとする。■■
「ちょ……っ」■■
呼び止めてどうしようというわけでもないが、思わず声を上げた。■■
【ユリウス】
「……おい。
この女は?」■■
仏頂面をしたまま、ユリウスは顎で私を示す。
存在を忘れられていたわけではないらしい。■■
【白ウサギ・ペーター】
「愛しい人、アリス。僕の大事な人ですよ。
でも、彼女は僕のこと、いらないんですって」■■
【白ウサギ・ペーター】
「……どうせ、すぐに呼ばれるでしょうけど、今は離れてあげるんです」■■
【白ウサギ・ペーター】
「嫌われたくありませんし、これ以上頭を殴られて馬鹿になりたくない」■■
【ユリウス】
「安心しろ、これ以上に馬鹿になりようがない」■■
【ユリウス】
「……ここに置いていくなど、冗談じゃないぞ。
つれていけ」■■
「それはそれで冗談じゃないんだけど……」■■
ぽつりと漏らした言葉は、引き続き、無視される。■■
【白ウサギ・ペーター】
「そのうち、勝手に出て行ってくれますよ。
あなたと時間を過ごすなんて、誰にとっても苦痛です」■■
【ユリウス】
「私だって、時計以外のものと一緒に過ごしたいとは思わない」■■
【ユリウス】
「そのうちではなく、今だ。
今すぐにつれていけ」■■
【白ウサギ・ペーター】
「知りませんよ。
僕は彼女に命令できない。直接言ったらどうなんです?」■■
【ユリウス】
「……命令ができないだと?」■■
それまでろくに私を見ようともしなかった男・ユリウスが、急に振り向いた。■■
(み……、見ようとしないままでよかったのに)■■
(この人……、すごく怖い……)■■
威圧感たっぷりに迫られるくらいなら、無視してくれたままでよかった。
怖いだけだ。■■
【ユリウス】
「……名前は!?」■■
「……?」■■
「なんの……???」■■
親の仇でも見るように睨みつけられ、なんのことだか分からなかった。■■
【ユリウス】
「おまえの名前に決まっているだろう!」■■
名前。
私に聞いているのだから、私の名前に決まっている。■■
しかし、名前を聞いているとは思えないような態度だ。■■
【ユリウス】
「自分の名前も分からないのか!?
蟻のような脳みそしか詰まっていないんじゃないのか!?」■■
「……蟻に脳みそはないわ」■■
「聞き方が悪いんでしょう。
名前を聞くような調子じゃなかったわ」■■
【ユリウス】
「蟻に脳みそがないことくらい知っている。
つまり、おまえには脳みそがないと言いたいんだ」■■
【ユリウス】
「いいから名乗れ!
私の名前は、ユリウス=モンレー!おまえは!?」■■
尋ねる前に自分が名乗るくらいの分別は持ち合わせているらしい。
怖い上に失礼な人だが、やはりウサギよりマシだ。■■
……ウサギ耳もない。
ここが最重要だ。■■
「私の名前は、アリス=【主人公の苗字】よ。
【主人公の苗字】家の次女で……」■■
助けてもらおうと、やや愛想よく自己紹介しようとする。■■
しかし、ユリウスは私の出自や出身地などに興味はないらしい。
続きを聞こうともせずに頭をかきむしる。■■
【ユリウス】
「余所者!
この女、余所者じゃないか!!!」■■
ユリウスは、悲鳴のように叫ぶ。■■
もう、そこに冷静さはなかった。
恐ろしいものを見たというように、再び私から目を逸らす。■■
【ユリウス】
「この国の人間じゃない!ここにいるべき人間じゃないぞ!?
私の許可なく密入国させたな!?」■■
「何を考えているんだ!?
元の世界に戻せ!」■■
「すぐに!
今すぐにだ!」■■
【白ウサギ・ペーター】
「無理です」■■
距離を置いて、ウサギはにまにま笑っている。■■
【ユリウス】
「時間の番人である私のいうことが聞けないのか!?
外部との境は、私の支配下だぞ!?」■■
【白ウサギ・ペーター】
「ふふっ、無理なんですよ。
彼女は、もうこの世界の人間だ」■■
逸れた視線が、勢いよく私へ向く。■■
(こ、こんな目で見られるなら無視されていたほうがマシ……。
もう、こっちを見ないで……)■■
私のことを先刻より更に怖い目で見てから、ユリウスはウサギへ視線を戻した。■■
【ユリウス】
「貴様……。この~~~~ウサギめ……。
薬を飲ませたんだな」■■
ユリウスは下品な悪態をつき、ウサギへつかみかかろうとする。■■
下品な言い方はともかく、私もまったく同感だ。
このロクデナシウサギには、どんな悪態をついても悪いと思えない。■■
【白ウサギ・ペーター】
「彼女の意志ですよ。
好奇心に負けて、飲んじゃったんです」■■
【【【演出】】】・・・カツカツと速い足音
ウサギはユリウスの手をひょいひょいと避けて、階段へ消えていく。■■
【ユリウス】
「待たんか!
この~~~~ウサギ!!!」■■
【【【演出】】】・・・カツカツと速い足音
ユリウスも、追っていく。■■
私は私で反論がある。
薬を自主的に飲んだりしてしない。
とんでもない言いがかりだ。■■
「誰が好奇心で怪しい薬なんて飲むものですか!
アンタが無理やり……っっっ!!!」■■
「……あれ???」■■
(頭がぐるぐるする……)■■
【白ウサギ・ペーター】
「好奇心はゲームの元。
あなたが飲んだ分だけハートの国でハートを集めなければ、元の世界には戻れません」■■
階段から、投げつけるように声が聞こえてくる。■■
「ハートを……集める?」■■
「心臓でも集めろっていうの……?
グロ……」■■
ぐるぐる。■■
ぐるぐる、ぐるぐるする。■■
(低血圧なだけでなく、貧血……?
姉さんの言うことを聞いて、偏食をせずに栄養は満遍なくとるべきだった……)■■
【白ウサギ・ペーター】
「ハートを集めたら、ゲームはあなたの勝ち。
ゲームに勝ったら、あなたは帰れる」■■
「元の世界に戻るのか……、それともハートの国に永住するのかはアリスの自由です。
帰るばかりがハッピーエンドとは限りません」■■
「誰が、心臓集めをするようなグロテスクワールドに、永住なんて!
私は、今すぐ帰りたいのよ……!」■■
「今すぐ……!
すぐに……!!!」■■
ぐるぐるし始めた頭を押さえ、階段へ向かう。■■
今すぐに追わなくては、間に合わない。
あのウサギは、とびきり足が速いのだ。■■
【ユリウス】
「そうだ!今すぐ帰れ!!!
今、すぐに帰るんだ!」■■
「今すぐに!」■■
ユリウスの声が、すぐ耳元で聞こえる。■■
(すぐ帰る……。
私は帰るのよ……)■■
(帰る……)■■
(…………)■■
(あれ……?
彼は、ウサギを追って階段を下りていったんじゃなかったっけ?)■■
どうして、耳元でユリウスの声が聞こえるなんてことがあるのだろう。■■
彼は階段を下りていった。
ここにはいない。■■
【ユリウス】
「どうでもいいことを考えるな!
帰るんだ!手遅れにならないうちに!」■■
「帰れなくなる前に!
元の世界へ……!」■■
「帰れ!
帰らないと……!」■■
「さもないと、おまえは……。
……アリス!!!」■■
ぐるぐる……。■■
ぐるぐるぐる……。
ぐるぐるぐるぐる……。■■
耳元で聞こえたユリウスの声は遠のき、いつのまにか私は穴の中に戻っていた。■■
ぐるぐるする……。■■
(これは頭が回っているんじゃなくて……、穴自体が回って……る???)■■
そうじゃない。
私は、まだ落ちていた。■■
落ち続けていた。
暗い穴の中。■■
今は一人だ。
一人で、落ち続ける。■■
【白ウサギ・ペーター】
「ゲームには、常にルールがあります」■■
今度は、耳元でウサギの声がした。■■
響く。
ウサギの声なのに、違う人の声のようだ。■■
(あれ???
なんで?)■■
(ウサギも、階段を下りていったはず……)■■
【白ウサギ・ペーター】
「あなたが僕を嫌いでも、守らなきゃいけないルール。
知らなければ命取り」■■
「時間を追ってハートを集めれば帰れるし、集めなければ帰れない」■■
「帰りたければハートを見つければいいし、帰りたくないならそのままにしておけばいい」■■
「ただ集めるだけなら、変わらない。
体が帰れたところで、ハートは帰れない」■■
「ここは、どうにかしたければどうとでもなる世界……。
ハートを持って帰るか捨てて帰るかが悩みどころ」■■
ぐるぐるぐるぐる……。■■
白ウサギの声も遠のいていき、真っ暗な世界が回る。■■
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる……。■■
【ペーター】
「そうそう、僕はペーター=ホワイトっていうんですよ」■■
遠のいた声が間近で聞こえ、そして弾けた。■■
ぱんと、弾けて消える。■■
あとは真っ暗。
何もない世界。■■
暗転
【【【時間経過】】】
◆夢の中(異空間)◆
【???・ブラッドの声】
「アリス、君のお姉さんって女らしい人だね」■■
ええ、本当に。
お裁縫も、お料理も上手に出来るの。■■
通いの家政婦さんがいるのに、掃除も、家の管理だって率先してやってのける。
家庭的で、温かみのある女性なのよ。■■
でも、年寄りじみているわけじゃない。
ほんのり花の香りがするでしょう?■■
【???・ブラッドの声】
「とっても優しそうで……」■■
もちろん。
優しいだけでなく、強い人だわ。■■
母が亡くなったとき、幼い私を抱きしめてくれた。
呆然となっている父に代わって、葬式を取り仕切って参列者に挨拶までした。■■
本当は自分だって泣きたかったくせに、夜になって一人になるまでずっと我慢していたのよ。
幼い私は、そんなこと考えもしなかった。■■
姉だって大した年齢じゃなかったのに、あのときから私のために花のような時間を犠牲にしてきた。■■
【???・ブラッドの声】
「気品があるっていうか……、素敵な人だ」■■
そう、姉さんには知性があるの。
賢さが、自然な気品を出している。■■
我が家は上流階級じゃないけれど、どんな貴婦人にだって負けないわ。■■
女らしくて、優しくて……。
素晴らしい人。■■
私の自慢なの。
私の自慢。■■
自慢なのよ。
素敵な人なの。■■
【???・ブラッドの声】
「アリス、君は似ていないと言うけれど、君にはお母さんの面影がある。
写真を見たけど、似ているよ」■■
そうかしら。
嬉しいな。■■
私、母に似ていないって思っていた。
母さんにも姉さんにも似ていない。■■
二人はいつも素敵で、違う人種みたいな気がしていたの。
似ているなんて、嬉しいわ。■■
【???・ブラッドの声】
「お姉さんにも似ている。
姉妹なんだから、当たり前だけどな」■■
嬉しい。
嬉しかったわ。■■
本当にそうならよかったのに。
嬉しいと思ったのは、最初だけ。■■
【???・ブラッドの声】
「アリス。
すまない、私は……」■■
謝ってほしくなんかない。
そんな必要はないの。■■
姉さんは、母さんに似ていて、本当に素敵な人だから。
だから、■■
【???・ブラッドの声】
「私は……君の姉さんが……ロリーナが好きなんだ。
今も、ずっと」■■
だからね、あなたが私より姉さんを好きでも、ちっとも不思議なことじゃないわ。■■
【【【時間経過】】】
母も、姉も、特別な女性だった。■■
誰かにとって、特別な人。
私は、ああはなれない。■■
これからも、きっとそのまま。
私は、誰の『特別』にもなれないまま。■■
私を特別に思ってくれる人なんていない。
これからだって現れない。■■
だって……、私にも特別と思える人なんていないから。■■
(…………)■■
(…………)■■
(……ま、私って根暗で嫌な奴だしね)■■
【【【時間経過】】】
★オープニングムービー
◆時計塔・展望台◆
「…………」■■
「……???」■■
「……っ!」■■
唐突に、目が覚める。■■
目が覚めると同時に、解放されたような気分になる。
気持ちが軽く、体まで浮き上がりそうだ。■■
「…………」■■
なんだか変な夢をみた。
暗くて、切ない気持ちになる夢。■■
どこまでも暗くて、深い。
落ちていくような夢。■■
夢だと分かっていたのに、もう戻れないと思った。■■
そして、どこか安心する。
どこまでも暗くて深いその夢に、私は安堵したのだ。■■
「あ……れ?」■■
こんな夢は、以前にもみたことがなかっただろうか。
頭がぼうっとして、ここがどこだか分からない。■■
(ここは……、どこだった?)■■
記憶にない。■■
ここは暗い。
私の家は、ここではない。■■
こんな見覚えのない場所ではなく、もっと暖かな場所で夢をみていた。
こんな場所じゃない。■■
日曜日の午後、柔らかい日差しの下の寛げる空間。
私は、姉と庭にいた。■■
(姉さん……)■■
どうしてだか、暗い気持ちになる。■■
暗くて深い夢より、更に暗い。
安堵を伴わない気持ちになる。■■
優しい場所。
あそこは帰りたい場所であるはずなのに。■■
「……?」■■
近くに小瓶が転がっている。■■
(これは……)■■
(これは……。
なんだったっけ……?)■■
(…………)■■
しばらく考えて、かっと頬が熱くなる。
照れというよりも、怒りのためだ。■■
今までの記憶が思い出される。
一気に目が覚めた。■■
「…………」■■
「あのクソウサギ……」■■
「殺す……。
ウサギの丸焼きにしてやるわ、あの~~~~……」■■
淑女にあるまじき、不穏な呟きが漏れる。■■
ペーター=ホワイトといったか、あの、ウサギ耳をつけた変な男。■■
顔はよかった。
顔だけは。■■
私も、女の大半がそうであるように美男子には寛大だ。■■
ウサギ耳さえついていなければ、もっと違った場面でロマンティックにキスされていれば……。
もう少し違った感想だったかもしれないけれど。■■
まだそんなに長くない人生において、男性とキスした思い出がたくさんあるわけではない。
その中でも、最悪。■■
ワーストランキングのトップだ。
これからも、そう順位は変わるまい。■■
(思い出すだに……、最悪)■■
ふざけた男にふざけたキスをされたという、嫌な思い出にしかなりそうにない。■■
そもそも、あれはキスといえるのか。
相手の目的は別のところにあった。■■
あのウサギにとっては、キスの意味などなかったのだろう。■■
(あんな強引に薬を飲ませるなんて……)■■
……なんの薬だったのだろう。
時間を置いたことで冷静に考えることができる。■■
専門的な知識はないのであくまで感覚的にだが、体に異変はないように思える。
気を失っている間に、何か不埒なことをされたわけでもなさそうだった。■■
(意識が薄らぐような薬品だったの?)■■
変なものを飲まされて気を失ったという事実は変わらないが、成分や目的が不明だ。■■
(後遺症の残るようなものや、中毒性のあるようなものじゃないでしょうね……)■■
(…………)■■
目の前には、薬瓶。■■
【???・ナイトメア】
「拾わなきゃ」■■
「…………」■■
薬瓶に手を伸ばす。■■
成分表などはついていない。
香水が入っていそうなデザインのガラス瓶だ。■■
中身がすべて透けて見える。
カラだ。■■
この瓶の中身を、全部飲まされた。
再び頬が熱くなる。■■
(あんなの、キスじゃない)■■
相手だってそんな気はなかっただろうし、私にだってもちろんない。■■
でも、この瓶の中身をすべて飲み干すほどに……。■■
「……~~~~~っっ。
もっと、殴っておけばよかった」■■
相手にそのつもりがなかったにしろ、とてもバードキスといえるようなものではなかった。
そのつもりなしにやったのだから、余計に許せない。■■
次に会うときは、改めて薬の正体を聞くと同時に、もう一度殴りなおしてやろう。■■
(……会わないほうが得策なのは分かっているけど)■■
でも、会ってしまいそうな気がする。
外れたほうがいいような、勘だ。■■
会わないですむならそれに越したことはない。
どうせ、尋ねたってまともな返事はかえってこないだろう。■■
【???・ナイトメア】
「拾って持っていくんだ」■■
(……さて、これからどうしよう)■■
とりあえず、転がっている瓶を拾っておく。
そうしなくてはならない気がした。■■
これは私にとって必要なものだ。
それがなぜかは分からないが、とにかく必要だ。■■
「……?」■■
(……なぜ?)■■
分からない。
分からないのに、なぜ必要だと思うのか。■■
分からないことが多すぎる。■■
(ここは、一体どこ?
どうして、こんなに真っ暗なの?)■■
起き上がる。
……真っ暗だ。■■
それも当然で、外はすっかり夜だった。
星空が広がっている。■■
夜なら、暗いのも当たり前……。■■
「……!?」■■
「夜っ!?」■■
夜だ。
確認するまでもなく、夜。■■
気絶していた間の時間感覚などあてにならないが、そんなに時間が経っていたとは思わなかった。
せいぜい、数十分のことだと思ったのに。■■
「大変!どうしよう!
姉さん、きっと心配して……」■■
【ユリウス】
「……なんだ、まだいたのか」■■
「!
あなた、先刻の……」■■
不機嫌そうな男が目の前に立っていた。■■
「ユリウス……よね?」■■
【ユリウス】
「……ユリウス=モンレー。
時計塔の番人だ」■■
「帰れと言っただろう?
どいつもこいつも人の忠告を聞かない……」■■
「私だって帰りたいわ!」■■
【ユリウス】
「では、話は簡単だ。
とっとと帰れ」■■
簡単だというが、帰れといわれて帰れるものなら、とっくにここから出て行っている。■■
眼下に広がる夜景は、どう見ても見覚えがない。
私の住んでいる街の明かりではない。■■
「帰り道が分からないのよ!
ここはどこなの?」■■
「私、あの変な男に誘拐されてきて……」■■
【ユリウス】
「誘拐?
無理に連れてこられたのか?」■■
「そう!そうなのよ!
あの変な……」■■
【ユリウス】
「ペーター=ホワイト。
名乗っただろう?」■■
「そうだったわね。
最後に名乗っていった……」■■
「でも、名前なんてどうだっていいわ。
とにかく、そいつが私を穴に引きずり込んで……」■■
「ああ……もう……どうしよう……。
どうすればいいの。夜になっちゃっているなんて……」■■
【ユリウス】
「なんだ……?
落ち着け」■■
「夜になったからといって、何をそんなに焦ることがある」■■
ユリウスは、私が慌てていることが解せないようだ。■■
「そりゃあ、焦るわよ!
私は、まだ親の脛をかじっている身なのよ。門限だってあるの!」■■
「夜……。
今夜も父さんが帰って来ていないといいんだけど……」■■
不在がちな父親だ。
夜も帰って来ないことが多い。■■
帰ってくるとしても深夜で、顔を合わすことはほとんどない。■■
しかし、間が悪い人だ。
こういう悪いタイミングを狙い澄ましたかのように帰ってくる。■■
(もし父さんが帰って来ていたら……、最悪だわ)■■
姉だけなら、こう言ってはなんだが、謝り通せば許してくれる。
父はそうはいかない。■■
悪い友達と付き合いがあるのではないかと、家に閉じ込められるか。
学校をやめさせられ、家庭教師に切り替えられてしまうかもしれない。■■
普段は父親らしいことなどしないくせに、そういった口出しは厳しいのだ。■■
「ああ……、どうしよう……。
もう夜……」■■
「夜なんて……。
そんなに時間が経っていただなんて……」■■
心配した姉が、通報でもしていたらどうしよう。
父親の耳にも届いてしまう。■■
そうなったら、本当に学校を辞めさせられる。■■
「嫌だ……。
とんでもないわ……」■■
私の動揺は、かなり激しかった。■■
深い穴に落ちて、死を覚悟したとき以上だ。
死にたいとは今だって思わないが、下手をすれば死ぬより悪い。■■
(家に閉じ込められるだなんて……)■■
学校に行けば、私は母や姉とは比べられない。
知っている人は知っていても、母や姉の影を気にせずにやっていける場所だ。■■
家に招待さえしなければ、誰も私の母や姉のことなんか気にしない。■■
家が嫌いなわけじゃない。
でも、家を出なくては閉塞感で死にそうになる。■■
外部との接触を奪われることだけは、どうしても避けたい。■■
【ユリウス】
「なんだ???
なんなんだ???」■■
【ユリウス】
「門限だと?
なんでそんな無意味なものに拘束されるんだ?」■■
「無意味って……」■■
大体の家庭において、それほど無意味なものではないだろう。
うちが特殊というわけではないはずだ。■■
【ユリウス】
「余所者は、門限などに縛られているのか?
無意味だろう。そんなもの、意味がない」■■
【ユリウス】
「あの白ウサギの時計ほどに意味がないものだ。
そこにあるというだけで、それ以上ではない」■■
【ユリウス】
「奴のする時間の約束と同じくらいに守られないもので、あてにならない」■■
「あの人、そんなに時間にルーズなの……?」■■
【ユリウス】
「ルーズなんていうレベルじゃないが……」■■
【ユリウス】
「……なんでもいいが、泣くなよ?
女の涙は鬱陶しい」■■
【ユリウス】
「これだから女は嫌なんだ。
すぐ騒ぐわ泣くわで……」■■
「…………。
……先刻も思ったんだけど、あんたって嫌な奴よね」■■
涙もひっこむほどの、口の悪さだ。
動揺している女に向かって言うような台詞じゃない。■■
「安心してよ。
泣き喚いたりしないから」■■
元から、泣くつもりなんてない。
でも、泣きたい気分なのは確かだ。■■
早く帰りたい・帰らなければと思っていたのに、今は家に帰ることが億劫だ。■■
「夜だなんて……」■■
【ユリウス】
「夜……?
夜が気に食わないのか?」■■
【ユリウス】
「帽子屋とは気が合いそうにないな……」■■
私の落ち込み具合が激しかったためか、ユリウスは少しだけ同情的な態度になった。■■
「……帽子屋?」■■
【ユリウス】
「知らないのか?」■■
「誘拐されてきたんだって言ったでしょう」■■
【ユリウス】
「誘拐……、な。
いかに女王の配下のウサギでも、望まない者をこの国に招きいれることは不可能だ」■■
【ユリウス】
「アリス、おまえにも望む気持ちがあったからこそ……」■■
「望む気持ち!?そんなものないわよ!
私が、望んでここに来たっていうの!?」■■
誤解だ。
来たいと思って来たわけではない。■■
こんな見知らぬ土地に、よく知りもしない男について来てしまいたくなどなかった。■■
「引っ張られて、穴に落ちて……」■■
説明しようとして、言葉が足りないことに気付く。
詳しく言おうとすればするほど、嘘くさい。■■
(家の庭にウサギがいて、そのウサギに穴に引っ張り込まれて、落ちた先がこの塔だった……って?)■■
…………。
錯乱しているとしか思われないだろう。■■
もしくは、誤魔化しているようにしか。
邪推されても仕方がないほど、真実味がない。■■
ユリウスはペーターと知り合いらしいが、親しそうには見えなかった。
それがなくとも、嘘くさい話なのだ。■■
「……私、見知らぬ男の人についていくほど軽い女じゃないのよ」■■
声が尻すぼみになっていく。
言い訳じみている。■■
うまい言葉がみつからない。
事実そのものが嘘のような内容で、どうとも説明しようがなかった。■■
【ユリウス】
「そうか」■■
「夜に一人で遊び歩いたりもしないわ。
本当よ」■■
【ユリウス】
「感心なことだな。
……それで?」■■
ユリウスは淡々としている。■■
責める口調ではない。
疑うような言動でもない。■■
……それ以前に、興味もなさそうだった。■■
「それで、って……。
だから、嘘はついていないわ」■■
【ユリウス】
「おまえのことを嘘つきなどとは言っていないだろう」■■
「おまえは、あの馬鹿ウサギに穴に引っ張られて、ここに来た。
普段のおまえは男についていったり、夜遊びをするような女じゃない」■■
「主張は分かった。
その通りだろうと、それが嘘であろうと私にとってはどうでもいい」■■
「嘘じゃないってば!」■■
【ユリウス】
「私にとっては、どうでもいいんだ。
おまえが嘘つきだろうと正直者であろうとどちらでも構わない」■■
「どちらでもいい。
私は、おまえに帰ってほしい」■■
持って回った物言いをする男だ。
理屈っぽく嫌味たらしいところが、父を思い出させる。■■
「私だって帰りたいわ。
家に連絡を……」■■
「……いえ、自分で帰るわ。
帰れる。道を教えて」■■
家に連絡を入れるとなると、おおごとだ。■■
いくら見覚えがない場所といっても家までたいした距離ではないはずだ。
ここがどこだか、家がどちらの方向かさえ分かれば、一人で帰れる。■■
……帰れるはずだ。■■
【ユリウス】
「無理だな。
おまえは、一人では帰れない」■■
「え?
そんなに複雑な道筋なの?」■■
【ユリウス】
「複雑であるともいえるし、そうでないともいえる」■■
「帰りたいと思えばすぐにでも道は拓けるが、望まなければ永遠に戻れない」■■
「ここに来れた時点で、帰りたがってはいないんだ。
ここへ来ることを望んだ者が帰り道を拓くのは容易ではない」■■
「どういうこと。
意味が分からない」■■
この人もおかしい。
私が望んでここに来たわけではないと説明したのに、まるで通じていない。■■
「私は帰りたいのよ。
今すぐに」■■
【ユリウス】
「私だって、帰ってほしい。
おまえは招かれざる客なんだ」■■
「じゃあ、道を教えてよ!」■■
押し問答にイライラしてくる。■■
まだマシだというだけで、ペーターとのやりとりの繰り返しのようだ。
意思の疎通がなっていない。■■
【ユリウス】
「一人では帰れないと言っているだろう」■■
「私は一人でも平気よ!
迷わずに一人で帰れるわ!」■■
送ってもらったりなどしたら、又おかしなトラブルに巻き込まれそうだ。
夜に見知らぬ場所を一人で歩きまわるのは危険だが、知らない男に道案内を頼むのも同じくらいに危険だ。■■
おまけに、私をここまで連れてきたウサギ耳男の知人。
こんなおかしな人に借りを作るのもいただけない。■■
道だけでも聞いておいて、なんとか一人で帰ろう。
さすがに、道も聞かずに飛び出すのは危険すぎる。■■
「いいから、道を教えてよ。
私の家の住所は……」■■
【ユリウス】
「住所など聞かされても、どうすることも出来ない。
無駄だ」■■
「一人では帰れない。
それがルールだ」■■
「なによ、ルールって!」■■
【ユリウス】
「決まりごとのことだ!
物分かりの悪い女だな!」■■
「意味をきいているんじゃないわ!
あなたこそ、物分かりが悪い!」■■
【ユリウス】
「なんだと!
人が親切に応対してやっているのに!」■■
ユリウスはユリウスでイライラしているらしく、語気を荒げる。■■
互いに、自分の主観で話していて、どこかずれている。
ずれていることは分かるものの、その食い違いの理由が分からない。■■
ともあれ、まともに会話しようという気がある分、ペーターよりはずっといい。■■
「一人で帰すのが、そんなに心配?
心配してくれるのは有難いけど……。
でも……」■■
「……いいわ、こうしていてもどんどん夜が更けていっちゃうし……」■■
「一人じゃ駄目だっていうのなら、あなたが送ってよ。
信用するから、家まで連れていってくれないかしら?」■■
【ユリウス】
「~~~~~っ!!」■■
「違う!
私が言いたいのはそんなことじゃない!」■■
「心配などしていない!
事実を言っただけだ!」■■
「……私が、送り役になるだと?
論外だ、ふざけるな!」■■
「図々しい……。
ありえない……」■■
ユリウスはひとしきり怒った後、嫌そうに目を逸らす。
最後あたりは、ぶつぶつと独り言になっていった。■■
愚痴りたいのは私のほうだ。■■
「……なによ。
なんなのよ、もう……」■■
「そんなに送るのが嫌なら……。
……だから、道を教えてって言っているじゃないっ!」■■
「一人では帰れないとか、送るのは論外だとか……」■■
「なんなの……。
夜になっちゃうし……意味が分からないことばかり……」■■
【ユリウス】
「!!!」■■
「なっ、泣くな!
泣くなよ!?」■■
「泣いてないわよ!」■■
ぎっと、ユリウスを睨みつけてやる。■■
【ユリウス】
「……っ」■■
ユリウスは焦ったように、再び目を逸らした。
不機嫌なせいかと思ったが、この男、人の目を見て話すのが苦手なのかもしれない。■■
「泣いてない……けど、泣きそう……」■■
【ユリウス】
「っ!?」■■
「よせ、泣くな!
私は女の涙とか、そういううざったいものが大嫌いなんだ!」■■
「泣くなよ!?
泣いてもいいが、泣くなら、よそで泣け!」■■
「私の目につかない場所でなら、ぎゃあぎゃあみっともなく泣き喚こうが、目を腫らして化け物のような顔になろうと一向に構わない!
ここでは泣くな!」■■
「…………」■■
「……つくづく酷い奴ね」■■
慰めるつもりなど皆無のようだが、結果的に涙も引っ込む。
先刻同様に、あまりの口の悪さに呆れて、だ。■■
「泣きたくもなるわよ……。
変なウサギにどこか分からない場所へ連れてこられて……、あなたも変なことばかり言うし……」■■
「それに、もう夜……。
夜よ、夜……」■■
【ユリウス】
「そんなに夜が気に食わないのか」■■
「そうよ、どうしよう。
こうしている間にもどんどん時間が経っちゃう……」■■
「夜なんて……。
姉さんが通報したりして、騒ぎになっているかも……」■■
「父さんが帰ってきていたら終わりだわ……」■■
【ユリウス】
「夜をそこまで毛嫌いするとはな」■■
「私は暗いほうが落ち着くが……、女というのは暗い場所を嫌う輩が多い」■■
夜が嫌いなわけではない。
今、どことも知れない場所で夜を迎えているのが大問題なのだ。■■
そんなことまで説明しないと通じないのか。■■
うんざりする。
この地域の人は……まだ二人しか会っていないが、話が通じない。■■
【ユリウス】
「夜行性の帽子屋連中とは気が合いそうにない意見だが、あんな連中とは気が合わないほうが幸せだろうな」■■
「白ウサギに連れられて来るくらいだ。
奴は女王の配下だから、おまえも、女王の好む時間が好きなのか?」■■
「夜以外の時間なら、なんだっていいわ」■■
帽子屋の次は女王様。
ユリウスも、やはり、相当におかしい。■■
さすがウサギ耳男の知人だ。
まともに会話ができない。■■
いよいよ道案内もなしに、家を捜すしかなさそうだ。■■
【ユリウス】
「そこまで言うのなら、夜を退けてやろう。
この場で鬱陶しい泣き顔を晒されては堪らないからな」■■
「……?」■■
ユリウスは手にしていた工具をかざす。
凶器にもなりかねない物に身構えるが、それは私にではなく外に向けられた。■■
何をするつもりかと、その動きを目で追う。■■
【ユリウス】
「面倒ばかりだ。
だから、女は嫌いなんだ」■■
口の悪さに慣れてきたせいもあるが、ユリウスの言葉は耳をすり抜けていった。■■
「え……。
なに……?」■■
「!?」■■
op01_18
「な……っ!?」■■
【ユリウス】
「女王は、赤が好きだ。
時間も例外なく」■■
「赤の時間……、夕方にしてやったぞ?
満足か?」■■
「ま、満足かって……、そんな……」■■
【ユリウス】
「?
夜でない時間なら、なんだっていいと言っただろう」■■
「言ったけど、そんな、まさか……」■■
呆然となる。
間抜けに、口が開いた。■■
工具が銃に変わったのも衝撃的だが、空の色が変わるなんて、手品にしても大規模すぎる。■■
【ユリウス】
「なんだ。
夕方も気に食わないのか?」■■
「昼が好きなら、最初からそう言え。
手間をかけさせるんじゃない」■■
「連射すると、頭痛がする……」■■
ユリウスが、もう一発銃を撃つ。■■
そうすると、今度は赤い空が青くなった。■■
夕方から、昼へ。
ここに、最初に来たときと同じ、昼の景色。■■
【ユリウス】
「遊園地の主が好みそうな、いい天気の昼だ。
どうだ、今度こそ満足がいったか?」■■
「天気までは変えられないぞ。
それは私の手に余る」■■
「…………」■■
【ユリウス】
「……おい?」■■
「…………」■■
【ユリウス】
「なんだ?
どうした、アリス?」■■
頭がぐるぐるする。■■
先刻のように、ぐるぐるぐる……と。
回る。■■
足元がおぼつかなく、独特の浮遊感。■■
【???・ナイトメア】
「……だよ」■■
(……あ、分かった)■■
(なんだ、そっか……。
そうなんだ。それなら納得)■■
【???・ナイトメア】
「夢だよ」■■
「……夢だ」■■
【???・ナイトメア】
「これは、夢」■■
【ユリウス】
「???」■■
「おかしいおかしいとは思ったのよね。
そうか、そうよね」■■
「ちょっと考えればすぐ分かるのに……。
でも、みている間って、そういうものよね……」■■
【ユリウス】
「おい、アリス?
何を言っている?」■■
ここにいる私自身が、独白の塊のようなものだ。
独り言のように聞こえるのかもしれないが、気にしない。■■
ユリウスが銃を持っているのも、ころころ変わった空の色も、もう気にならない。
それをおかしいことだとは思わないし、仰天したり動揺したりもしない。■■
やっと分かった私は、平常心を取り戻していた。■■
【???・ナイトメア】
「これは、夢なんだ」■■
「夢だったんだ」■■
ようやっと、安心する。■■
夜になったとか、門限とか、確かにそれなら気にしなくてもいい。
無意味だ。■■
これは夢。
時間なんか関係ない。■■
私は、夢を見ている。
日曜の午後、暖かい自分の家の庭で。■■
姉さんがカードを取りにいっている間に眠ってしまったのだ。
なんて呑気な私。■■
(ああ、よかった)■■
夢なら、何も慌てる必要はない。
自然に目が覚めるか、誰かが起こしてくれるのを待てばいい。■■
悪夢のようだと思ったが、そのまま、夢だったのだ。■■
【ユリウス】
「…………」■■
「……そう決めたなら、それでいい。
おまえが夢だと思うなら、これは夢だ」■■
私の夢の中の登場人物は、面白くもなさそうに頷いた。■■
【ユリウス】
「ゲームは一人では出来ない。
だから帰れない」■■
「……終われない夢だな」■■
「ゲームは一人では出来ない、ね。
姉さんと同じ台詞だわ」■■
「一人じゃ帰れないのなら、どうすれば帰れるの?
教えてよ」■■
これは夢だ。
夢と分かれば、安心だ。■■
不思議なことも、怖くない。
どんなに不思議でも、そのうち覚める夢なのだから。■■
楽しんでしまえばいいと、余裕ができる。■■
いつもより少しばかり複雑な、ストーリー仕立ての夢だ。
夢をみているのなら、楽しんでしまえばいい。■■
【ユリウス】
「帰る方法、か。
本来なら、おまえが望めばすぐにでも帰れるのだが……」■■
「そう簡単にはいかなくなっているようだな。
馬鹿ウサギは、悪知恵だけは働く」■■
「扉の鍵を、おまえに飲み干させてしまった」■■
「飲んだ……?
鍵を飲み込んじゃった覚えなんてないけど……」■■
【ユリウス】
「飲んだだろう?」■■
飲んだ……。■■
(鍵を……?)■■
「……もしかして、この薬のこと?
この瓶に入っていたやつ?」■■
【ユリウス】
「そうだ。
忘れっぽいらしいな。なかなか忘れられるものではない飲まされ方をしたようだが?」■■
「!?
見ていたの!?」■■
「止めてくれたらよかったのに!!!」■■
【ユリウス】
「痴話喧嘩に立ち入るほど野暮じゃない」■■
「痴話喧嘩なんかじゃないわ!
あんな男、今日まで会ったこともなかったのよ!?」■■
【ユリウス】
「おまえがペーター=ホワイトとどういう関係だろうと知らん。
空間の歪みを感じたから、上まで上ってきたんだ」■■
「普段なら、上で何が起ころうと関係ない。
放っておく」■■
「私は自分の作業場から出たくないんだ。
この塔の中であろうとも、動き回る暇があれば作業をしているほうが……」■■
ユリウスはまたもやぶつぶつと呟き、視線を落とした。■■
「ここは、あなたの職場なの?」■■
【ユリウス】
「この時計塔は、職場なだけでなく私の住処だ。
私は時間の番人だから……」■■
「……私のことはどうでもいい」■■
「おまえは鍵を飲み込んでしまったから、簡単には帰れないぞ。
どうしてくれるんだ」■■
どうでもいいと言いながら、結構自己紹介もしてくれるし、思っていたほど悪い人ではなさそうだ。
夢だということが分かって、気が大きくなる。■■
「どうしてくれるって、私が帰れなくてもあなたには関係ないでしょう?
やっぱり心配してくれているの???」■■
時計屋ははっと鼻で笑った。■■
ウサギ男といい、さすが私の夢だ、性格の悪い奴ばかり。
自分を表しているようで、うんざりする。■■
【ユリウス】
「おまえが時間を歪めたから、放置しておけないだけだ」■■
「おまえが罪を犯したわけではない。
だから投獄もできない」■■
「かといって、すぐに銃を向けて解決するのは私の職に反する。
私は馬鹿ウサギのように無能ではない」■■
「……?
ペーターって、そういうタイプなの?」■■
ペーターは、「すぐに銃を向けて解決する」のだろうか。
イメージに合わない。■■
彼は嫌な奴だし暴力も辞さない印象はあったが……、もっと物事を考えそうなタイプに見えた。
違和感を覚えるが……。■■
……夢だから、不思議や矛盾があってもおかしくはないのか。■■
【ユリウス】
「……別のウサギだ。
ペーター=ホワイトのことじゃない」■■
「この国には、ペーター=ホワイトよりもっと愚鈍なウサギがいるんだ」■■
私の怪訝そうな表情を見て、ユリウスは疑問に答えてくれる。■■
(やっぱり、いい人……)■■
「ここはウサギだらけなのね。
嫌な国……」■■
【ユリウス】
「おまえもウサギが嫌いなのか?」■■
「特に、好きでも嫌いでも。
でも、今は嫌いになったわ」■■
「ろくでもないウサギに会ったからね……。
夢から覚めても、嫌ってしまいそうよ」■■
【ユリウス】
「私も嫌いだ。
ウサギはろくなことをしない」■■
「……全部、撃ち殺してしまいたい」■■
「穏やかじゃないわね」■■
さすが、私の夢だ。
いちいち感心してしまう。■■
【ユリウス】
「私は、ここの住人としては穏やかなほうだ。
おまえを撃ったりしていないだろう?」■■
「…………。
当たり前のことでしょう」■■
「撃つほうが当然みたいな言い方……」■■
【ユリウス】
「ここでは、気に食わなければ撃つような連中ばかりだ。
私は、気に食わなくても罪人でなければ撃たない」■■
「……夢でも、撃たれるのは寝起きが悪くなりそうだから嫌だなあ」■■
【ユリウス】
「…………。
撃たれれば痛いからな」■■
「そうよね。
夢でも、痛い!って思うことがあるわよね」■■
「殺される夢は縁起がいいっていうけど、寿命が縮まりそうになるし……」■■
【ユリウス】
「…………」■■
「命は大事にしろよ」■■
ユリウスは、長い髪をかきあげた。■■
【ユリウス】
「ゲームは一人では出来ない。
裏を返せば、一人で進めない限りゲームになる」■■
「ゲームを進めれば、帰れるだろう。
生きてさえいれば」■■
「適当にふらふらして、誰かと過ごせば適当なときに帰れるってこと?」■■
【ユリウス】
「……そういうことだ」■■
よく見る顔だ。
『身も蓋もない』というときの顔。■■
こういう顔をされるような言動はなるべく慎んでいるが……、夢ではいいだろう。■■
「かったるいわね。
早く覚めちゃえばいいのに」■■
【ユリウス】
「…………」■■
ユリウスは、ますますその表情を露にした。■■
「『身も蓋もない』ことを言うでしょう?」■■
私の夢の登場人物だ。
誰に対しても、猫なんか被らなくていい。■■
【ユリウス】
「おまえは、本当に……?」■■
「何よ?」■■
【ユリウス】
「いや……。来る者によって国は形を変える。
私達が持っていないものをおまえは持っているはずだ」■■
「へえ、かっこいいわね」■■
勇者の出てくる伝説ものの小説みたいだ。
大概、私も姉に影響されている。■■
「救世主の証とか、そういうの?」■■
【ユリウス】
「くだらない……」■■
「いいものではないぞ。
私達が押し込めることが出来ているものを、おまえは克服できていない」■■
「そういうふうには見えないが……」■■
「心理学っぽいわね……。
あ~、やっぱり影響されてる……」■■
「愛と勇気でコンプレックスを克服していくとかいう、身の毛もよだつようなストーリーなの?」■■
克服すれば帰れるとかいうストーリーなら、絶対に参加したくない。
夢が覚めるまで待つほうがいい。■■
呆れた声を出す私を、ユリウスはもっと呆れた目で見た。■■
【ユリウス】
「コンプレックスというなら……、そうだな」■■
「だが、安心しろ。克服しなくても戻れる。
コンプレックスを抱えながら生きている人間など、腐るほどいる」■■
「時間は、何もしなくても進むものだ。ゲームも変わらない。
やる気がなくとも駒を進めれば終わりに近付く」■■
「適当に過ごせばいいのね……。
楽だけど……」■■
「でも、かったるい……。
どうせ終わるなら、ささっとすんじゃえばいいのに」■■
私が、また『身も蓋もない』ことを言うと、ユリウスは溜め息をついた。■■
【ユリウス】
「コンプレックスを抱えて苦しむような繊細な女には見えないな」■■
「人は見かけにはよらないものよ」■■
にやりと笑う。
心の中だけでなく、実際に。■■
夢の中なのだから、結局は心の中と大差ないのかもしれないが、なんにせよ気分がいい。■■
【ユリウス】
「そんなことはないだろう。
見かけは……」■■
「?」■■
【ユリウス】
「……似合わないことを言いそうになった」■■
ユリウスは嫌そうに(それはもう心底嫌そうに)、工具を一振りした。■■
それが銃に変わると知っていると、迂闊に近寄る気になれない。
夢の中だろうと、痛い思いをするのはごめんだ。■■
【ユリウス】
「女を癒してやるなど、私のキャラじゃない」■■
「じゃあ、どういうキャラなの」■■
……心配しなくても、癒しキャラには見えない。■■
【ユリウス】
「どういうキャラでもない。
私は、仕事に忙しい職人だ」■■
【【【演出】】】・・・足音
すたすたと、ユリウスは階段に向かっていった。■■
【ユリウス】
「ゲームを始めろ。
私は仕事に戻る」■■
「待ってよ!
誰かと適当に過ごしていれば戻れるなら、あなたと過ごしていてもいいんでしょう!?」■■
【ユリウス】
「誰か他をあたれ。
私は仕事で忙しい」■■
ユリウスは、そのまま去っていってしまった。■■
階下のどこかに職場があるのだろう。
この塔は広そうだ。■■
「……けち」■■
夢でも、楽は出来ないということか。
ここにいたまま、時間を過ごせば戻れる……というか目が覚めるのなら楽でいいのに。■■
「…………」■■
よくよく考えると、時間が経てばその内目が覚めるはずだ。■■
(……でも、夢って、体感時間が一瞬のものもあれば、数年のものもあるのよね)■■
(数年もぼ~~~っとしているなんて……)■■
(……暇だ)■■
「…………」■■
「かったるいけど、移動しよう……」■■
【【【時間経過】】】
時計塔・全景
……見当をつけたとおり、塔は本当に大きかった。
そして、高かった。■■
下りようと決めた時点では、甘くみていた。
上から見て、正確な高さなど分からない。■■
「こんなに高いと知っていたら、下りようなんて死んでも思わなかったのに……」■■
それこそ、体感時間が何年だとしても、待って過ごしたほうがましだった。
長い長い長い階段だ。■■
しつこいくらいに長い。
それでも、一旦下り始めたからには途中でリタイアするのも癪で、最後まで下りきった。■■
たかが夢だ。
しかし、疲れた……。■■
(夢のくせに、厄介な……)■■
夢にも色々とあるが、この夢は感覚まで鮮明なタイプの夢らしい。
夢だと分かっていても妙にリアルな夢。■■
今回ほどクリアではないものの、今までにもそういう夢をみたことはある。
起きても疲れが残りそうな夢だ。■■
階段を上るよりは下りるほうがずっと楽なはずなのに、息が上がっている。
あれだけ長い階段を今度は上がるなんていう恐ろしい選択はできそうもない。■■
塔へ戻る選択肢は、まず消えた。
移動すると決めたからには、どこかへ行かなくては。■■
「ど、どこへ行こう……」■■
ぜはぜはと息が荒い。
もうどこにも行きたくない、ここでいいやというのが正直な感想だ。■■
ここはどうやら、街中の広場のようだ。
今出てきた時計塔が、広場の中心にある。■■
へたりこみたい気分だったが、市街地だけあって人通りが多い。■■
自分の夢の中で遠慮しても仕方ないが、荒い息をついているのが恥ずかしく、その中の誰かに接触する気にはなれなかった。■■
(それにしてもこの夢、いろいろと設定が適当すぎる……)■■
大体、『誰かと適当に過ごしていれば戻れる』といっても、誰と過ごせばいいんだ。
誰でもいいとしても、どう接触すればいいものやら。■■
見知らぬ通りがかりの人に、「夢から覚めるまで、私と過ごしてくれませんか?」って?
どこのナンパ男だ……。■■
私なら逃げ出す。■■
(たとえ夢でも、恥ずかしすぎる……)■■
街中を歩く人は、あまりに普通すぎる。
あのイカレウサギや、不機嫌な時計職人さんみたいな変な人なら、現実感もなくて話しやすい。■■
そういう突飛な行動もできたかもしれないが……。
現実的だと、かえって駄目だ。■■
(……どうせ夢だし、無理することもないか。
門限もないし、急ぐわけでもない)■■
せっかく外に出たのだから、夢の国見物といこう。■■

MAP全体・昼
1:「ハートの城」(OP02話(ハートの城)へ)
2:「帽子屋屋敷」(OP02話(帽子屋)へ)
3:「遊園地」(OP02話(遊園地)へ)